謁見室へ 前編
謁見室へ 前後編を投稿しました。
マリスクたちが案内された部屋でやっと荷解きを始めた時だった。
「謁見の準備が整いましたのでご同行下さい」
ため息しかでない。到着時刻に合わせて歓迎を受けていたのなら、このタイミングは妥当だった。無駄に長い時間馬車に閉じ込められていたから、出しやすい場所に入れてあった謁見のための正装さえまだ出せていない。
「まだ旅装束だが」
マリスクの言葉に伝えに来た従僕が露骨に嫌そうな顔をする。従僕が賓客に対してこんな態度を取っていいわけがない。非常識が末端まで浸透しているのは別に構わない。この国の評価は底辺まで下がりきっている。非常識をされる度にシータが冷気を出し凍えそうになるのがいただけない。
「先ほど部屋に案内されたばかりです」
シータがすいっと前に出て抗議をするが、従僕は眉間に皺を寄せ関係ないと睨みつけてくる。
「それから、荷物が一つ、こちらが幾ら止めても違う方向に運ばれていったのですが、ここの者は堂々と盗みを働くのですか?」
「ぶ、無礼な。盗人を雇っていると言いたいのか」
ぐわっと眉を吊り上げて従僕か怒鳴ろうとしたが、次の言葉でその表情はすぐに穏やかになる。
「王妃殿下が、と申しておりましたが…」
「それは盗まれたではなく…」
ホッとした従僕が説明しようとするのをシータが遮る。
「国母とあろうお方が国賓の荷物を礼状や説明もなく持っていくなど普通では考えられませんわ」
従僕の目を白黒させている。そんなことを言われるとは思わなかったのだろう。
「王妃殿下の名を騙った、王妃殿下の名を汚す無礼な行為なのにそれが当然だと申されませんわよね」
そんな大層なことではないのに。と従僕は失笑を浮かべ説明しようとするがシータはそれを許さない。
「違いますよ。それは…」
「この件は国を通して正式に抗議させていただきます」
抗議の言葉に従僕の顔色がやっと変わった。王妃のすることに難癖をつけるシータを赤い顔をして怒鳴りつける。
「王妃殿下を侮辱なさるのですか! 王妃殿下の命で荷物を持っていく、間違っていないでしょう?」
マリスクは嘆息するしかない。問題しかない。説明も令状も無しに客の荷物を勝手に持っていくこともこの従僕のこの態度も。
「シータ」
従僕が期待した目をマリスクに向ける。マリスクがシータを叱責するとでも思ったのだろうか? だとしたら、とんでもない勘違いだ。
「手紙にはこう付け足してくれ。周辺諸国にも親書で報せてほしい、と」
従僕が思ってみなかったマリスクの言葉に慌てた表情を見せた。周辺諸国に何を報せるのか。ただこの国にとって良いことではないだけは分かっているようだ。
「エウテス国からの来訪者からは″女主人の名″で荷物を勝手に取り上げることが出来る、と」
「なっ! 何を仰有るのですか?」
従僕が驚愕の声をあげる。そんな話、聞いたことがない。訪れた国で勝手に荷物を取り上げられる、常識ではあり得ず許されたことでもない。
「畏まりました。それがこの国の礼儀になってしまったようですわね」
シータの失望した呟きにマリスクも同意する。
「私は正装に必要な貴金属が入った鞄を″王妃殿下が″と言われて持っていかれた。中身を説明しすぐに必要な物だと言ったのにも拘らず。それが正当だと言われるのなら貴国からの訪問者には同じことをしなければならないだろう? どの国も訪問者の母国の礼儀でもてなし居心地が少しでもよいようにと心掛けている」
従僕は怒りで赤くしていた顔色を今度は青くしていた。他国に赴いた時荷物を取られるのが当たり前となりそうなことに。それもこの国の礼儀だからという理由で。そんな礼儀、今までこの国にはない。ないが、この国では王妃の望みを叶えることは最優先事項だ。
「どちらにしろ、もしものための予備は荷物の奥底にあり、取り出すのには時間がかかる。シータ、このままで行こう。国の代表として正装でエウテス国王陛下に挨拶したかったが必要な物がない。服装を問われたら、正直に事実を話すとしよう」
謁見の間に付き添う護衛の者たちがスッとマリスクの側に集まった。荷解きをしている従者たちは主の外出に頭を下げて見送る態勢を取っている。
「お、お待ちください」
従僕の慌てた声に眦を上げたのはシータだった。
「時間なのでしょう?」
「に、荷物のことは…、帝国や他国に報告されることは…」
従僕はどうにか帝国へ他国へ報告されるのだけは阻止したかった。各国に大使が行く度に荷物が強制的に取られる。それがとても不味いことは分かっている。それも自分が王妃がなされることだからと容認したために。そこまでの責任を従僕は背負えない。
「何故? この国の新しい常識を各国で共用しなければいけませんわ。今後の親好のためにも」
従僕は肌が粟立つのを感じた。目の前の侍女は慈悲深げな笑みを浮かべているのにものすごく怖い。思わず後退ってしまう。
「遅い。呼びに行くのにいつまでかかっている」
向こうから、厳つい体をした男がやってきた。この国の将軍レイファだ。熊を連想させる大きな体、武人らしく厳つい顔、存在だけでその場を征する威圧感がある。マリスクの近くに来るとギロリと見下ろしてきた。
「旅装束?」
「馬車で随分待たされましたので。それに正装用の荷物を勝手に持っていかれて抗議していたところですわ」
マリスクとレイファの間にシータが体を滑り込ませた。
「「………」」
シータとレイファは無言で睨み合った。
「またハーマ様、か」
「違いますわ。遅れていらっしゃったのは王太子殿下です。荷物を勝手に持っていかれたのは王妃殿下付き侍女だと名乗った者たち。不機嫌な顔で謁見だと急かせたのはこの者ですわ」
シータがレイファの言葉を否定する。
マリスクは軽蔑の眼差しをレイファに向けた。何故すぐにハーマの名前を出すのか。まるで悪いことはすべてハーマのせいだと言っているようだ。
「貴殿は何故ハーマ嬢が悪いと? 到着時刻は前日に報せてあった。城の到着の鐘も鳴らされた。なかなか来なかったのは王太子殿下だ」
マリスクの視線を避けるように顔を背け、レイファはボソッと呟いた。
「…、ハーマ様がどうせ嘘をケルン殿下に」
あの性悪め。と小さく呟いたのをマリスクは聞き逃さなかった。
「つまり貴殿は婚約者の嘘に騙される王太子殿下が間抜けだと言いたいのか?」
「なっ! 帝国の皇子はケルン殿下を侮辱するのか?」
レイファは大きな体に怒気を纏い威圧するようにマリスクを見下ろしてくるが、マリスクは全く怖くなかった。シータの冷気のほうが怖い、あれは体の芯から震えがくる。
「侮辱しているのは、レイファ、貴方です。嘘を吐かれても事実かどうか確認し対応するのが任された者の務め。この国の王太子殿下はそういうことも出来ない人だと貴方が公言したのです」
「相変わらずわけの分からぬことをごちゃごちゃと。私はケルン殿下を侮辱などしていない。するはずがない。何もかもハーマ様が悪いのだ」
シータが盛大に息を吐いた。マリスクもその気持ちがよく分かった。そしてこんな男を将軍という重要な役におくことが出来るこの国を改めて怖いと思った。
「それはそうと、外務大臣に伝えていただけますか? 今後、エウテス国からの訪問者の荷物は女主人の采配で取り上げることができる、と」
「耄碌したのか、シータ」
レイファは反撃のチャンスとニヤリと笑った。
「そんなこと許されるわけがないだろう」
「ええ。普通は許されませんわ。理由も令状もなしにそんなことをすれば普通は外交問題ですわ」
マリスクと護衛たちは一歩後ろに下がった。シータからの冷気が冷たすぎる。熊のように厚い毛皮でも身に着けているのかレイファは訝しげに目を細めシータを睨み付けているだけだ。寒がるそぶりもない。マリスクを呼びに来た従僕はもうみっともなくガタガタと震えている。
「中身の説明をし必要な物だと言っても王妃殿下の命という言葉だけで持っていかれましたわ」
「ジュリ様の命なら仕方ないだろう」
レイファは当たり前だと胸を張る。
「ええ、ですから、各国でも真似をするだけですわ。この国の王妃殿下がされることを他国でも行う。非常識で外交問題ですがエウテス国の者限定で」
「それはおかしい。ジュリ様は特別なのだ」
シータの冷気が強まったマリスクは思わず腕を擦ってしまう。
「それこそおかしいですわ? 同じ王妃殿下、いえ、女王陛下が治めていらっしゃる国もあります。母国の礼儀で接待しようとする親愛をおかしいといってはなりませんわ。親愛国まで侮辱されますの? では、お伝えよろしくお願いしますね」
こちらです。とマリスクに声をかけて歩き出したシータに続いてマリスクたちも足を動かした。
「貴殿が敬愛する王妃殿下の真似を各国が行うだけだ。くれぐれも国際問題だと騒くことがないように伝えてくれ」
レイファの横を通り過ぎる時、シータを睨みつける視線を遮りマリスクはそう告げた。
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