留学前2
マリスクは父である皇帝と顔を合わせた途端、お互いに盛大に息を吐いた。
「あやつは突拍子もなさすぎる」
あやつとは皇帝の妻でありマリスクの母である皇妃エリタのことである。マリスクも同意見だ。いきなり留学して令嬢を拐ってこいとは皇妃が言うことではない。
「まあ、気持ちは分からんでもないが…」
マリスクもエリタが集めた情報を見せてもらった。眉を顰めるものばかりだ。魔具で観た彼女の瞳に光がなかった理由が分かった気がした。
「まあ、それも含めてだな、あの国をこのままにしておくわけにはいかない」
皇帝の言葉にマリスクも頷く。愚妃が起こすトラブルにこの帝国も巻き込まれている。皇妃の母国ということで。
「滅ぼすのは簡単だが…」
戦は魔獣を呼び寄せ誕生させる。魔獣がエウテス国内だけで暴れてくれたら良いが、所詮獣、隣国まで被害が及ぶのは分かりきっていた。帝国が戦にならないよう睨みを利かせているのも、どの国も開戦に踏み切れないのもそれもあるからだ。
またエウテス国がある場所も問題点だった。大陸の外れにあれば被害を被る国は限られ対策も立てやすかったが、あの国は大陸の中央にあり主だった国と隣接している。それに大陸に流れる川のほとんどがエウテス国にある泉を源流としており、そこが戦で荒れることは自国の生命線を自ら傷付けることにもなる。
だから、各国も渋々あの国の暴挙に目を瞑っていた。
「お前も覚悟を決めねばならぬな」
皇帝の言葉にマリスクは素直に頷くことが出来ない。
マリスクは帝国に生まれながらエウテス国の王族の瞳を持っている。その意味はエウテス国の王位継承権を持つことを示す。マリスクが金色の瞳を持つことはもちろんエウテス国には知らせていない。帝国でも肉親以外は僅かな者だけだ。マリスクは私室以外は魔具で瞳の色を緑柱玉に変えている。今のマリスクの瞳は緑柱玉をしていた。
「留学はあの国を見るのにちょうど良い機会だ」
もう決定事項なのだから、黙ってマリスクは従うだけだ。表向き兄のスペアとして帝王学もそれなりに叩き込まれてきた。だからといって覚悟が出来ているかというと微妙な話だ。
「ケルンはもう無理なのでしょうか?」
あの魔具を観る限り、ケルンが婚約者に歩み寄ることはなさそうだが、やはり他国生まれの者よりも自国生まれのほうが国民には良い。ハーマが不幸になるのは許せないがだからといって皇妃の望み通り拐ってくるのはまだ躊躇いがある。
「どうやらジョージ国王と同じ道を辿りそうなのだ」
はぁ。と皇帝の吐く息が重たい。王妃に相応しい今の婚約者を捨てて、身分・教養がない女性を選ぶということか。二代続けてあのような者が王妃となればエウテス国は孤立し、国は荒れ果てやがて魔獣の棲家となるだろう。そうなれば被害を被るのはやはり隣接する国々だ。
「その者が王妃として相応しい者なら良いのだか、あの二人の子だ、慧眼は期待が出来ぬ」
頷きそうになってマリスクは踏みとどまった。頷いてしまえば王になることを認めてしまうことになる。決して自分がケルンより王に相応しいとは思っていない。
「まあ、お前が見て決めるがいい。私も苦労するのが分かっているのに王にさせたくない」
皇帝として禍を避けるために王となることを命令できるのにそれをしない。マリスクは父親としての愛情を感じていた。
母エリタにしてもそうだ。マリスクの瞳を隠すのはエウテス国からの刺客をエリタに集中させるためだ。マリスクの命を守るために矢面に立ってくれている。
「留学の要請は既にしてある。いつでも出発出来るように準備をしておくように」
マリスクは頷いた。留学の目処がついているのか、エウテス国が見過ごせない状況なのか、すぐにでも出発になりそうだとマリスクは思った。
だが、マリスクがエウテス国に向かって旅立てたのは、あれから半年も経ってからだった。留学の要請はマリスクが学園に入学出来る一年前から行っていたらしい。ケルンと少しでも長く学園で交流出来るようにと考慮してのなのだが、エウテス国から承諾の返事が届いたのは一学年が修了してから、要請から二年も経ってからだった。四年生の学園、今年最高学年となるケルンとは一年しか重ならない。
エウテス国がどういうつもりか分からないが、この留学が歓迎されてないことだけははっきりしていた。
「マリスク、彼女を連れて行きなさい」
マリスクが何ヵ月も前に終わっている荷物の中身を確認していると、エリタが腹心の侍女シータを連れて現れた。
「シータをですか?」
「ええ、元エウテスの者です。お前の力になれることも多いでしょう」
歓迎されていない所に行くのだ。味方は多いほうがいい。
だが、マリスクは顎に手を置いて少し考えた。
「母上、それならお願いがあるのですが」
マリスクの提案にニッコリとエリタは笑った。
「そうなるよう圧力をかけしょう」
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