真似をしただけ
「彼女とは学友として接している。
それを邪推するなど醜悪で見苦しい」
彼は鋭い視線を彼女に浴びせながら冷たい声でそう告げた。
校舎から見える中庭で一人の美しい女性が数人の男性に囲まれて談笑していた。
「ハーマ様、これをどうしたらよいのですか?」
見目麗しい男性がその容姿に釣り合う風貌をした女性に親しげに何かを問いかけている。近かった距離を更に詰め、より親密な雰囲気を作り出そうとしていた。
「マリスク様、近すぎます!」
ハーマと呼ばれた女性は顔を真っ赤にして距離を取ろうとするが、周りを囲むマリスクとはまた違う魅力を持った男性たちでそれが出来ないでいた。
「お気になさらず。それよりもこれのことを詳しく教えていただけますか?」
マリスクは二人の前に広げられた教科書を指でトントンと叩いていた。
そこに足音を響かせて現れた一団があった。マリスクは一瞥すると不快そうに眉を寄せ、ハーマははっと息を飲み諦めたように立ち上がった。
「ハーマ、この醜態はなんだ!」
怒気を含んだ声にカーテシーをしていたハーマがビクッと体を震わせる。発したのは現れた一団の先頭にいたこれはまた目を奪われるような美貌の男性だ。
先頭にいるのはこの国の王子ケルン。一人の庇護欲を誘う可愛らしい容姿の女性を囲むように国務大臣の息子ヘークタ、騎士団長の甥リスマ、外務大臣の息子ヌクサ、財務大臣の息子ヨーイン。後の四人の男性も容姿がとても整っていた。
「やあ、従兄弟殿」
マリスクは立ち上がると片手を上げて睨み付ける視線からハーマを隠すように前に出た。ハーマがその後ろから前に出ようとするが、ハーマを守るように囲む男性たちがそれを許さない。
「マリスク。私はハーマに用があるのだ!」
「ケルン。ハーマ様は僕に分からないことを教えてくれているだけだよ」
マリスクは口元には笑みを浮かべているが、その視線は相手より鋭く冷たい。
「では、マリスク。貴様の態度は婚約者のいる女性にするものではない」
その視線にたじろぎながらもケルンはマリスクの影から不安そうに顔を覗かせているハーマを睨み付けていた。
ハーマが小声で何も言わないようにマリスクを諌めているが、周りの者たちがマリスクに任せるようにハーマに言い聞かせていた。
「何がおかしいのかな? 僕は真似をしているだけなのに。まあ、下心が無いとは言わないよ」
悪怯れることなく肩を竦めてマリスクは楽しそうに問い返した。
ケルンはその態度にますます眉間の皺を濃くしていく。
「真似だと?」
「そうだよ。ケルン、君と君の後ろにいる女性がしていることを真似しているだけだよ」
「なっ! 私の真似だと!!」
マリスクは笑みを深くして首を縦に振った。
「今も真似をしているよ。僕たちの方が人数は少ないけれど」
ケルンたちは五人の男性で一人の女性を囲んでいるが、マリスクは四人でハーマを守っている。マリスクの方が一人少ない。
「わ、私とソファタは学友だ」
「僕とハーマ様も学友だよ」
マリスクは振り向いて顔色を無くしているハーマに安心させるように優しく笑いかけた。
マリスクの甘い笑みに集まってきた生徒たちの中から小さく黄色い声があがる。
「ハーマのは不貞だ。私という婚約者がいながら男を侍らせている」
マリスクの形の良い眦が上がる。低く咎める声がその形のよい唇から放たれた。
「それは聞き捨てならない。留学生の僕が学園に慣れるまでハーマ様に付いていただく。君のお父上、国王陛下からの王命だよ。彼女はそれに従っているだけだ。彼女の名誉を汚すような発言はいくらこの国の王子であろうが許されない」
ケルンは不服そうに顔を歪ませながら口を噤んだ。ハーマが王命でマリスクの世話係をしていることはもちろんケルンは知っていた。その距離が近すぎるのはハーマではなくマリスクに原因があることも分かっている。ハーマを囲む男性たちは、マリスクが国から連れて来た護衛のため側にいるのは当たり前なことも。
「それにケルン、僕は君の真似をしていると言ったよね」
「それの何処が真似なのだ。私とソファタは適切な距離で接している」
ケルンは自分とソファタが他人から揶揄されるような態度で接していないと思っていた。学友として適切な距離と節度を守っているように見えている、と。
「そうだね、残念ながら完全な真似になっていない」
マリスクは悲しそうに視線を落とし力なく首を横に振った。
ケルンはそうだろう、と自慢気な顔をして胸を張ろうとしたが驚きで目を見張ることとなった。
「ケルンたちは二人が寄り添い合うけれど、ハーマ様は節度を持って、といつも僕と距離を取ろうとされるからね」
マリスクの反論に集まってきた者たちが大きく頷くのを見て、ケルンは固まった。小さく囁く声はマリスクの言葉を肯定するものばかりだ。
「なっ! 私たちはそんなことをしていない!」
ケルンは叫んだが、マリスクが不敵な笑みを浮かべたので嫌な予感が胸中によぎる。
「そうかな? ちゃんと魔具を観て、ケルンたちの真似をしているのだけど」
「ま、まぐ、だと!」
ケルンは驚き過ぎて声が上擦ってしまった。
魔具は魔力を持つ者だけが作ることが出来る特殊な道具だ。魔力がある石・魔石を燃料として動く。魔石は魔力持ちの者が石に魔力を籠めた物や魔獣から採取することが出来る。一般的な魔具として照明器具があげられる。照明器具が魔具に代わったことにより、油に火を点し灯りとしていた時代より格段に火事の件数が減ったのは有名な話だ。
「そうだよ。僕の国では出来事を記録する魔具が開発されていてね。その魔具に記録させたものを参考にしている」
マリスクは視線を大きく動かした。
「この学園にも僕が留学する前からあるよ」
その言葉にビクンと体を揺らしたのはケルンの後ろにいる女性だった。魔具の場所が気になるのか視線を彷徨わせている。
「ちょうどあそこ。昨日、ハーマ様に転ばされたと狂女が騒いだ天井にもある」
マリスクはすっと中庭から見える渡り廊下を指差した。
「うん、ちゃんと狂女が自ら転けたのにハーマ様のせいにして、騒ぎを聞き付けた者たちがハーマ様には何も聞かず、ハーマ様が悪いと責めていたのが映っていたよ」
ニッコリ笑って告げられた言葉に驚愕の表情で固まる者たちがいた。
カーン、カーン
もうすぐ授業が始まると知らせる鐘が鳴った。バラバラと集まっていた者たちが教室に戻っていく。
「上映会をそのうち行うから、是非観に来てよ」
マリスクはそう言うと振り向いてハーマに手を差し出した。
「教室に参りましょう」
ハーマは今の状態でここを離れていいのか、視線を差し出された手とケルンに彷徨わせていた。
「勉強をしに来たのに遅刻は嫌なのです」
マリスクがハーマの手を優しく握り歩き始める。
「…、ケルン様、失礼いたします」
ハーマは微動だしないケルンたちに一応声をかけてその場を後にした。
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