八話『独りが好き』
──太刀脇好羽はとんっと爪先で跳び、塀に座った。あまりにも華麗なその行動は、恐ろしくも感じる。
さっきから軽く降りたり跳んだりしてやがるが、コイツは一体どんな能力を持っているんだ? 月海の様に物理法則でも無視すんのか?
予想を脳内で決めていた俺は、太刀脇が口を開いたため思考を中断した。
「二年前、月海リリアは組織に追われていた──いえ、月海リリアだけでなく、私達能力者となった人間は全て」
「……割り込み悪いんだけど、フルネームで呼ばれるのは気持ちが悪いわ。さん付けが嫌ならせめて『月海』と苗字だけで読んでくれないかしら」
「月海リリアを含め私達能力者は何処に逃げても直ぐに発見されてしまう」
「……もういいわ別に」
太刀脇が完全に無視したことで月海は気を悪くしたらしい、腕を組んだ。月海は直ぐに態度に出るから分かりやすいんだよな。扱いやすくていいがよ。
「だからとある日からたった今まで、逃げ続けるしかない生活に……」
「ちょっと待て、少し出遅れたが質問がある」
月海に構わず続ける太刀脇に掌を向けてストップをかけた。危うく聞き流すとこだった。
俺に止められたのが気に入らなかったのか単純に俺が気に食わないんだかは知らないが、太刀脇はギロリと鋭い視線を刺してきた。
「何」
「何処に行っても直ぐに発見されるのは何故だ? お前の言い方的に、一応目星はついてんだろ? 恐らく、確定してんだろうが」
「……そんなことで止めたの? 下らない。今はそんなことどうだっていい」
「いいから答えろっつの」
俺はとにかく気になって話を進ませたくなかった。進ませて更に困惑しても嫌だかんな。そして、不明な障害となり得そうなことは知っておかなきゃ不利だ。
強制的っぽい言い方は悪かったとは思うが、そんなに睨む程か? 今の太刀脇の眼は名探偵が推理する時より鋭い。
「組織、ゼウスのボスは私達と同じく能力者。能力者は、能力者の存在が感じて取れるの」
「あー……なるほどな。色々と謎が解けた」
今の一言で、最低でも二つは不明だった点が解かれたぜ。
まず、ゼウスのボスが神秘的な力を持つと言われてるのは、能力を持っているからだろう。能力を知らない人間にとってはどうも理解は難しい。
そして二つ目。太刀脇が月海を能力者だと見極められた理由だ。能力者が能力者の存在を感じて取れるってんなら、この距離じゃ百パーセント分かる。
「んで、永遠に狙われるのはゼウスのボスが感知出来る範囲から逃げ出せていねぇから、か。面倒だな」
「そういうこと。感知出来るのがどの範囲までなのかは知らないけど、町を四つ分離れたとこで野宿してたら追っ手がいなくなった」
「四つか。確かハカセの奴もかなり町を離れたら追われなくなったとか……いやアイツは能力者じゃねぇ、単に見つからないだけか」
「四つなら、約十キロといったとこかしらね」
十キロか、流石に離れ過ぎはまずいしな。そもそも、ハカセの近くから消える訳にはいかねぇ。アイツの力はまだまだ必要だしな。
感知出来るなら何故、コイツら二人は平然と外に出ていられるんだ?
「太刀脇は最後に狙われたのはいつだ? 月海は……」
「二年前が最後よ。何故かハカセと暮らし始めたらバレなくなって」
「……私は四ヶ月前。今はこの町に来てから、全く狙われなくなった」
「はぁ、この町に何かある訳じゃねぇもんな。きっと範囲から外れたんだろ、何処がアジトなんだか知んねぇけどな」
「アジトの場所なら知ってる。ここから二つ離れた町の地下に多分。あと、この町は範囲からズレてない筈」
「分かんねぇな」
太刀脇すらも黙り込んで、話も中断する羽目になった。ゼウスの連中の考えが分からねぇ。何故感知出来る範囲にいるこの二人を狙いに来ないのか、不可解だ。今なら隙だらけだろ。
取り敢えず太刀脇に話の続きをさせねぇとこのまま帰るのことになりそうだな。──いや、帰るか。
「月海、この後まだ何か予定あるか?」
「……? いえ、別に無いけれど」
「なら丁度いい。つーか、提案がある」
不安気に見つめてくる月海と、眉を寄せて明らかに嫌悪丸出しの太刀脇を交互に見て、案を出した。
「ハカセの家で話を聞く。ここがゼウスの感知範囲内なら、いつ襲われてもおかしくねぇからな。何故かハカセの住むあの家は狙われねぇし」
「そうね、その方がいいかも。私もあの家に住んでから組織に見つかってないわ」
月海も肯定して、最早決定ムードになっていた俺達だが、それは太刀脇が立ち上がったことで途絶えた。何せ、俺達とは正反対を向いているからな。
「太刀脇? おい、そっちはハカセの家じゃねぇぞ。こっちだこっち」
「……行かない」
「は?」
太刀脇は屋根の上にふわりと跳んで、俺達に冷淡な眼を向ける。うお、初めて足が竦んだぞおい。認めてやる、あいつ怖ぇ。
「いやそんなのどうだっていいか。おい! 行かねぇってどういうことだ⁉︎ つーか降りて来いお前! 人ん家だっつぅんだよそこは!」
「どうだっていい。それと、行きたくないから行かない。寧ろよくそんな『博士』と一緒に住めるものだ」
「……何が言いたいのかしら」
ハカセを疑っている様な発言に、流石の月海も切れたみたいだ。射殺す様な眼を向けてる。
太刀脇は少しも臆することなく、月海の質問に淡々と答えた。
「得体の知れない男性……それだけで充分嫌だけど、それ以上に。狙われないのは組織の人間だから、そうは思わない?」
「何言ってるの……?」
月海はかなり苛立っているみたいだが、太刀脇の予想は大きく外れた訳じゃなかった。ハカセは元々ゼウスに利用されていた人間で、仲間だったとも呼べる関係だ。今は違うが、そこは間違いじゃねぇ。
だが今のアイツは恐らく死んでいるとでも思われてんだ。右足首から下を切断されて、病院にも行っていないとなれば出血多量で死亡も有り得るからな。自分で応急処置して助かってるが。
その上アイツ、殆ど外出しねぇらしいから見られることも無いしな。
「月海、ちょっと落ち着け」
月海が怒り狂えば能力が発動するかも知れねぇ。それがどんな効果を発揮すんのかはこの場では分からねぇから、肩を叩いて太刀脇から眼を逸らさせた。
「太刀脇、お前が言いたいことは分かる。簡単に信用すんなってことなんだろ? 月海が未だゼウスに見つからねぇ理由は不明だが、ハカセが見つからねぇ理由は大体予想つく。それに、アイツがゼウスの仲間じゃねぇってのは、一応確信してるからな」
「ふん、どうなっても知らないから」
小さく息を吐いた太刀脇は踵を返し、生暖かい風に髪を靡かせて眼だけをこっちに向けた。
「能力者は誰からも受け入れられない。私は独りが好きだから構わないけど、これが現実。……今にその男も、貴女を裏切る。『博士』って奴も、皆」
捨て台詞を吐いた太刀脇は、ふわりと跳び上がって視界から消えた。恐らく、屋根を伝って何処かに帰って行ったんだろう。
二の腕をグリグリ押されて、月海に視線を変えた。
「痛ぇな何すんだ。腕をそうやってくる奴初めて見たわ」
「ねぇ、裏切るの?」
「あ?」
月海は泣き出しそうなくらい沈んだ表情で、振り絞った様な声で言った。さっき太刀脇が吐いた捨て台詞がかなり効いてるみたいだ。まぁ、そりゃそうだろうがよ。
「ふざけんな。俺はまだお前からは離れねぇよ、全然詫びは出来てねぇし。だから心配すんな。帰んぞ」
「……うん」
月海の頭に一度手を置いて、歩き出す。月海を送っている間ずっと太刀脇のことが頭から離れなかった。あのチビ、独りでどうにも出来ないことがあったらどうするつもりなんだ?
「抵抗すらしねぇってことはねぇだろうな……」
「ん? どうした塔坂君。何か物思いにでも耽っているのか?」
月海は夕飯を作ると言って奥の部屋に入って行った。俺もそろそろ帰ろうかという時、声に出ていたみてぇでハカセに問われた。
「まぁそうっちゃそうだな。少しだけ、面倒くせぇ奴と出逢ったんだよ」
「ふーん、それはもしかして能力者かい?」
ハカセは息をする様に当てて来た。どうやったらそんな風に察せるんだよ、普通に高校での人間関係だとか思わねぇのか。
「ああ、能力者だ。何かふわふわ跳んでやがったから、『重力を無視する』能力とかかもな」
「中々興味深いねぇ。今度会ったら、ここに連れて来てくれないか? 能力者達には協力したいしね」
「残念ながらそれが不可能で困ってたんだ。そいつはお前をゼウスの人間だと疑ってやがる。今日もそれで連れて来れなかったし、話も途絶える羽目になった」
「あながち間違いじゃないからね」
「その所為で強く否定出来なかったんだよ」
ハカセがアホみたいに笑っている隙に、外に出た。いつの間にやら、天気が大雨だ。天気予報は見ておいたから傘は所持しているが。
「そういや、俺はゼウスの連中がどんな服装なのかとかも知らねぇな。統一されてんのか、されてねぇのかすらも」
ゼウスという組織のメンバーを見たことがない──それだけで月海を守れる可能性は格段に下がる。
姿や特徴が分かっていれば、目撃した場合直ぐに避難が可能だ。だが知らなければ、すれ違い様に月海を連れて行かれるまで気づけないかも知れねぇ。
「明日にでも聞いておくか……。あ、面倒くせぇ。学校行ったらこそこそしなきゃなんねぇのか、陽野風がうぜぇから」
面倒くせぇ奴ばかりだな、どいつもこいつもよ。もう少し落ち着いていられねぇのか。
──思った以上にびしょ濡れになっちまった。傘なんて無駄じゃねぇか。
家に戻ったらムッチが出迎えて来て、やっぱコイツだけでいいなとかも思った。人間と違って癒されるしな。
「よぉムッチ、あのバカ親共帰って来てるか? 帰ってる訳ねぇよな、靴ねぇし。ちょっと待ってろ飯出す。遅くなって悪ぃな」
「にー」
ちょこちょこと付いて来るムッチに廊下で餌をやって、今日は何となく食べ終わるまで眺めた。本当美味そうに食べんなコイツ。俺は今夜芋の缶詰だ。
餌の皿が空になってもねだって来るのは、食い意地が張っているからか本当に腹が減ってるのか。まぁ太らせるつもりはないからあげねぇが。
「そうだ長いこと忘れてたな。ムッチ、風呂入るぞ。お前が大嫌いな風呂だ風呂。……早速逃げようとすんな」
「にー!」
ムッチは猫らしく風呂が大嫌いだ。風呂場に連れて行くと怪獣の如く暴れやがる。シャワーで身体を流し始める頃にはピンと動かなくなるんだが。
それにしても『風呂』って単語を聞いただけで逃げ出そうとするとはな。嫌い過ぎて覚えたか。
「にーー! 二エエエエエエエ!」
「騒ぐな! 何つぅ鳴き方してんだお前! 叫ばれると虐待してる様に錯覚すっからやめろ!」
「ニエエエエエエエエエエエエ‼︎」
「更に叫ぶんじゃねぇよ!」
「ニエエエエエエエエエエエエ‼︎」
叫び続けてぐったりしたムッチを専用のベッドに運んで、自分は缶詰めを平らげた。腹が減り過ぎだ。仕方ねぇ、陽野風に貰ったクッキーでも食うか。
「微糖か……? アイツのことだから、大量に砂糖でも入れると予想してたんだがな。違うみてぇだ。チョコは好きじゃねぇし、月海にでもやるか。甘いもん好きらしいし」
あ? あれ? どうだったか。別に甘いもんが好きだとは言ってなかった様な気もする。まぁ別にいいか。
今日はやけに暖かいな。特に足元──つぅか何かが当たってるのか?
「うぉっ⁉︎ ムッチお前、いつの間に来てんだよ。さっき二階のベッドに置いて来た筈だろ……不気味な奴だな」
「にー……」
「……何か機嫌悪くねぇか? もしかして、風呂に入れられたからか? 仕方ないだろ、いつまでも入らなかったら汚ねぇんだから」
「にぃ……」
何か少し鳴き方変わったな。感情が読めねぇと色々難しいもんだな。さっぱり理解出来ねぇ。
朝になっても変わらないムッチの機嫌を取るためと、今日も月海のボディガードをしなきゃならなくて遅くなるってことで、少し高値の餌を皿に置いて高校に向かった。
昇降口で脇腹にタックルを受け、危なく倒れそうになった。
「テメェ、何の用だ毎度毎度」
「またそれ? もう何だっていいじゃん、私と莉音君の仲なんだし?」
「別に仲良くねぇだろが。邪魔だバカ、じゃあな」
「ちょいと待て〜い!」
「ってぇな」
陽野風に頭を叩かれ、腹が立つのを抑え込んで振り返った。よくその身長で俺の頭届いたな。十五センチ差なら普通か?
「はいこれ、お弁当。どうせロクに食べれてないんだろうし、あげる。帰りに箱返してくれれば、明日も作ってこれるから」
陽野風は「ねっ?」と笑顔になった。何企んでんのか知らねぇが、今は助かるから受け取っておくことにした。
「ありがとうって一応言っとく。帰り教室で待ってろよな」
「うんっ、待ってる!」
廊下から体育倉庫に向かうまで、陽野風がじっと見て来るのは凄ぇ気になった。