四話 『ハカセ』
月海に連れて来られたのは廃墟だった。いつ使用されなくなったのか分かんねぇくらい老朽化は進んでいない。ここに『博士』が住んでいるんだとしたら、しっかり手入れをしてるんだろう。
しかし、やはり漫画みてぇな展開だ。協力者と共に廃墟に住んでいるってなると、結構ありがちかも知れない。
あまり期待はしないまま、月海の後を追って──入り口らしき扉ではなくてその横の外側に設置された階段を上がっていく。
「月海、中に入らねぇのかよ。こん中に居るんだろ? 博士」
「そうよ。入らなければ会えないじゃない、バカなの? 一階はアイツのゴミ置場。普段は二階で色々、調べたりするの」
へぇ、わざわざ二階でか。一階をゴミ置場にしたのは、捨てに行きやすいからか? 確かに少し生臭い気もするが。
だが少し違和感も感じたな。何で『アイツの』なんだ? 月海のゴミ置場何処だよ。
眼の前を行く月海はスカートだから、角度的に下着が丸見えだ。案外スカートの丈が短いからな。……だがそんなこと気にも留めない様子で月海は進んで行く。
二階で立ち止まるまで、その無駄な程小綺麗な横顔を見せつけられた。──見えるだけだけどよ。
「ハカセ、今回は他にも客が居るわ。……返事がないなら勝手に入るわよ」
中で金属を弄る様な、カチンって音が微かに聞こえる。居るみたいだな。だが流石にこんな目立つ場所にいつまでも居たかねぇから、月海の判断に従うことにした。
俺が頷くと、月海はつんとした表情で強引にドアノブを捻る。それと同時に解鍵された音が出たのは、コイツの能力のお陰か。
「……荷物は適当に置いておくわ。塔坂、あんたの荷物も適当に置いておいて。──それと今、ハカセの方に眼を向けるのはお勧めしないわ」
「あん? 何でだよ──って、何してんだ!?」
月海に言われて中に進み、反射的にその男を見た。
──『博士』と呼ばれるその男は、まだ若そうだった。顎髭が少しだけ長く、ほんの少しやつれた様な顔をしている。ゴーグルの様な物をつけているため眼は分かりにくい。
静電気にやられた様なボサボサの白髪で、白衣の下にハワイのイメージを起こさせる南国風のシャツが見える。
博士はたった今、何かをナイフで切っている様だ。食べ物ではなくて、生き物を。
「だぁから、ちょっと待てって言ったじゃないか。ほら、とうさか君が固まっちゃってる。オペ中くらい、入って来ないで欲しいね」
ゴーグルをズラした博士の眼はまるで何も見てない様な、そんな虚ろに感じる暗い瞳をしている。
つーか今、オペって言ったか? 手術……してんのか? そんな格好で? 殆ど設備すら揃ってねぇじゃねぇか。ベッドとメスと点滴とシートと証明……そのくらいしか見当たらない。
「あ、ダメだこりゃ」
ふと呟いた博士は、メスを患者らしき男性の恐らく腹に突き刺した。角度的にどうなってるのか見えはしねぇが、多分。
血が大量に噴き出して、患者は本当にピクリとも動かなくなる。……アイツ、人殺したのか? 俺達の眼の前で!?
「……ダメだったのね」
月海がボヤくと、自分の肌についた血を拭いながら、博士は死体を引き摺っていく。
「うん、ダメだったね。この男は手遅れだった。どっちにしろ助からないよ……」
死体を階段から突き落とし、背伸びしながら戻って来る。
白衣を脱ぎ捨てた博士は椅子に座り、肘をついて俺を見つめる。コイツ、さっき俺の名前言ってやがったな。……月海が出したからか。
手術台の周りは真っ赤な液体で染められ、惨状を主張する。一階のゴミ置場ってのは、人間のことを指していた様だ。
俺はコイツらを、許す気にならなかった。
「おいテメェら。……人間の命を何だと思ってやがんだ? 手術してたなら、最後までやり遂げろよ。何普通に殺してんだ……!」
「塔坂、あんたは何も知らないんだから黙ってて。その男に殴りかかったところで何も出来ないわ」
「何だと? テメェも俺のこと全然知らねぇだろうが。あんな右足首ねぇ奴になんざ負けるかよ!」
「負けるんだって言ってんのよ。そろそろ、説明させてくれるかしら? 言っておくけど、あんたがしつこいから連れて来たんだから」
月海は呆れた様な顔で俺を睨む。真っ白で清潔なタオルを手にした月海は床についた血を綺麗に拭き取り、それを手術台に放る。
その光景を見ていた博士は、口だけを笑わせた。
「僕は『ハカセ』って名前なんだよ、珍しいだろう? 別に何かの博士ではないさ」
博士だと思ってた奴が漸く自己紹介したとこで、俺は一旦心を落ち着かせることにした。人が眼の前で殺されたからと言って、滅茶苦茶なことをする訳にはいかねぇ。何も出来なくなる。
能力について何かを知るまでは、コイツら相手でも堪えるしかないみてぇだ。
「さっきのこと、怒ってるみたいだ……が、僕は医者だ。患者が助からない訳じゃないなら、殺したりしない。さっきの男には身寄りも無いし自殺志願者でもあったから、どっちにしろ死ぬことに変わりはないだろう」
「テメェが殺す意味が理解出来ねぇっつぅんだよ」
「自殺には苦がつきものだ。だが麻酔うってある状態なら、それ程の苦は味わわずに済む。だから殺した。それだけの理由さ。……まだ理解出来ないか?」
ハカセの人を馬鹿にした様な口調が鼻につくが、今は冷静に受け入れるしかねぇ。だから拳を握り締めて、反論はしねぇことにした。
また口元だけ微笑んだハカセは、月海に視線を変えた。
「よかったじゃないか、協力者が増えて。彼が事情を知ってまでここに残るというのは想像するのも難しいけど、これで僕の役割は消えた。二度と帰る必要は無いよ」
直ぐ殴りかかっちまいそうだな、コイツと居ると。
自分を邪魔者扱いし、その上協力を簡単に破棄したハカセに軽い視線を向けた月海は、白衣を引き千切った。
「おいおい、人の物ダメするってことはどういうことか分かってるのか?」
「あんたこそ、過去のこと警察に明かされたくなければ契約破棄なんてしないことね。普通に生きていたいなら、大人しくしてるのが得策だと思うけど?」
月海の反抗に、ハカセは軽く笑ってみせる。
「生なんて興味無いね。どうだっていい、何もかも。誰が死のうが僕が死のうが君が死のうが、結局はこの世の害にすらならないんだからさ」
「マジで腐ってんだな、お前」
「歳上の人間に『お前』は無いだろ。これでも君らの倍の人生を生きてるんだぜ? もうちょっと敬ってほしいくらいだ」
「あんたみたいな人間のクズ、敬意を払う方がどうかしてるわ」
「ははっ、そこだけは言えてるね。実に正確な反論だ」
月海に貶されてこれまでで最も楽しそうに笑ってやがる。このハカセってのは相当にイかれた野郎だな。絶対協力なんてしてやらねぇ、コイツとは。
こんなクズをよく協力者として契約してんな。俺だったら自分から破棄すんぞ。
まぁ、月海のことだし独りなのが嫌なだけだろうが。
月海が小さな椅子を投げつけてきた。危ねぇな。俺くらい身体能力高くなけりゃ当たってたぞ。俺はキャッチしたけどな。
月海も同じ椅子を持って来て、壁際に置く。それから腰をかけて、腕組みながら壁に寄りかかった。
俺は寄りかからず、壁に近い位置で椅子に座る。
そうして話し合いの席が取れたと確認し、俺はハカセに対して質問することにした。
「お前はまず何だ? 見たところ、研究者って訳でもなさそうだが。どうやって月海の能力を消すつもりなんだ?」
俺の質問に肩を竦めたハカセは、腰掛けに右腕を引っ掛けて上辺だけで笑う。
「一応これでも、研究はしてるさ。ただ本職は医者だから、あまり大層な研究はしたこと無い。リリアの能力を消すのは、意外と簡単かも知れないんだ。……ま、僕じゃない有能な科学者とかならね」
じゃあ何で簡単なんだよ、と言いかけてやめた。コイツに反論すると日が暮れちまいそうだからな。
本職医者な奴が平気で人殺すな。つーか、医者なら病院にでも勤めてろよ。
「ハワイなんてリゾート行ってねぇで、仕事しろよ。ここに居るんだから仕事なんてしてねぇんだろ?」
「してないね。だけどリゾートにも行かない。僕はリゾートが大嫌いなんだ……周囲ではしゃぐ人間が目障りでね」
「さっきから医者のセリフじゃねぇな。……お前は何故月海の能力を受け入れてその上消す手助けまでしようと思ったんだ?」
「逆に訊かせてもらうが、とうさか君。君は何故リリアの協力をする気になった? 能力も簡単に信じたんだろう?」
「質問に質問かよ。ケッ。俺は退屈だったからな、一つくらい普通じゃねぇことが起きて欲しかったんだよ。偶然にも、近くに月海が居た。それだけの理由だ」
本当は人生をやめたいなんて思ってやがる月海の能力を消して、自由にしてやりたいってとこだが。
俺の答えを気に入ったのか、ハカセは子供みたいに明るく笑い出した。……いや、馬鹿にしてんなコイツ。
「君は偽善者か何かか?」
「あ……?」
半開きだった眼を全開にし、まるで珍しい生物を見つけた様な好奇に満ちた笑みを浮かべるハカセ。俺は今、ぶん殴るのを我慢した。誰が偽善者だコラ。
「だって普通、そんな理由で人助けなんてしない。ましてこんな性根の腐った、わざわざ自分から人を引き離す様な女のことを。君だって本心はリリアを侮蔑してる……そうだろ?」
何が『そうだろ?』だ。テメェに他人の気持ちが見て取れるとは思えねぇな。残念ながら俺は全く別だ。
「他人を侮蔑なんて、よほどそいつのことを熱心に観察しなきゃ出来ねぇだろ。俺はそいつのことなんざ見てもなかった。侮蔑なんてもんにこそ、塵ほどの興味もねぇよ」
「ふーん、まぁどっちだって気にしないけど。君はこれから共に能力者達を救うんだ。よろしく」
「テメェなんかと馴れ合いはしねぇよ」
「僕だってしたくないさ。勿論しなくて結構。だが、一人ずつでやれることがあるなら、寧ろ教えてほしいくらいだな。僕に出来ることはあれど、君が一人で出来ることなんて、何かあるのか?」
「……いちいち腹立つなテメェの口調はよ」
俺が舌打ちするとハカセは鼻で笑った。コイツは陽野風より嫌いなタイプの人間だ。アイツとはクズ加減が違う。
笑ったハカセが差し出した右手を掴み、直ぐに放した。一応一瞬だけ、握手してやったんだからいいと思え。
「話は纏まったのかしら。あんたは、協力してくれるのよね?」
「言い方が納得いかねぇけど、まぁそんなとこだ。……一つ、看過出来ねぇ一文が有った」
俺は月海から視線を変え、ハカセに再び鋭い眼を向ける。ハカセの表情は薄ら笑いから打って変わり、何かを察した様な眼をする。
俺が口を開くより先に、ハカセが左手を挙げる。その手は月海に向けられた。
「リリア、ちょっと買い出しを頼めるかな。最近食糧不足でね。長持ちしそうな物を、一週間分くらい。金なら白衣に財布があるからそれを」
「……破いた時に落ちて来たわ。分かった、その間に済ませてよね」
「勿論。あ、ちょっと遠いけど彫雨マートのが安いよ」
「……分かった」
彫雨マートって三キロくらい離れてんじゃねぇか、何処がちょっと何だよ。ハカセのことを睨みつけて呆れてっと、月海が少しだけ切なそうな顔になる。
彫雨マートは確かに安い物が揃うって有名だ。だが、それと同じくらい安いのが近場にある。ここから一キロもしないくらいの距離だ。
そこに行かせないってことは、月海に聞かせたくない会話になるということだろう。
「能力者達と言ったことに対して……かな」
月海が扉から出て恐らく階段も降り終えた頃、ハカセはふぅっと溜息を零す。微妙に煙草の煙を吐き出した様な仕草だった。
煙草吸いたきゃ吸え。別に気にしねぇからよ。
「……ああそうだ。どういうことだ? 月海以外にも能力者がいるってのか。しかも、全部を全部助けるって、どういうことだ。突然変異でも起こったのか? そいつらは」
「まぁ、間違っていないね。まず、一人いたら他にもいるだろう。その人間だけが特別なんてのはまずあり得ないからな」
わざわざムカつく言い方しか出来ねぇのかコイツは。まるで俺が知能の低い猿だなみたいな口調で肯定または否定しやがって。
『突然変異ね……』と呟いたハカセはとうとう棚から煙草を取り出し、適当に綻ぶ口に運んだ。
「ふぅ……突然変異だったら、どれほど心が救われたことか。残念ながらリリア達の能力は、どれも人工的につくられてしまったものなんだ」
「……あ!?」
「原因はとある組織。ウィルスをつくったのはその中の、医者達だ。つくらされて、それがどんなのか知って、絶望したよ。自分が世の人間数名を不幸にしたんだってね」
「おい、まさか……」
この口振りからして、間違いないとは思った。それでも確認のため口を開いたら、ハカセは闇に歪んだ瞳をほんの少し輝かせて、薄く笑った。
「そのウィルスをつくらされた人間の内の一人は、僕さ」
──どうりで、簡単に信じた訳だ。
俺は何とも言えない感情を差し押さえて、ハカセから眼を離さなかった。