二話『月海リリア』
「月海……リリア。お前、何ともねぇのか」
警戒しつつ、眼の前で不思議な現象を起こした女の前に進んで行く。
俺に声をかけられた月海は心の篭っていない冷たい瞳で俺を睨みつけてきた。相変わらず威圧感が尋常じゃねぇなコイツの眼はよ。
「……塔坂、だったかしら。これを崩したのはあんた? だとしたら、ここに居て大丈夫なの? 警官が騒ぎを聞きつけてやって来るでしょうけど」
月海は淡白な口調で言った。
まるで、今あったことを他人事の様に流し。
だがおかしいだろ。どう考えたって命の危機だった筈だ。こんな資材の山、当たったら無事で済まないからな。
「何で黙ってるの? ああ、困惑してんのね。ならこっち。着いてきて」
「ん、あ、あ? おい待てよ!」
腕を引かれてダッシュ。月海は全力で走らなきゃ腕だけ持って行かれちまいそうな速度で駆けて行く。
マジかよ、コイツ。運動神経は怪物並みだと知ってはいたが、まさかこんなにもだとは予想してなかった。元陸上部の俺よりも早えんじゃねぇか!?
「ここまで来たら多分、大丈夫。少し休憩しましょ」
月海に連れて来られたのは、よく分からねぇ町外れ。公園……にしては周りに木があり過ぎて中の様子が伺えねぇ。これじゃ子供遊ばせたくはないだろうな。
それよりも、気がついたらここに着いたが一体どこだ? まるで電車にでも乗ってるかの様なスピードだったから、道なんて覚えてねぇ。
それよりもっと不気味なのは、月海が息切れ一つ起こしてねぇってとこだ。
冷静な表情で、何事もなかった様子でベンチに腰をかけてやがる。
流石に何の説明も無しはごめんだぞ。
「おい、月海」
「何?」
肺がキツいし、俺もベンチに座る。隣に座ったら警戒の眼差し向けて来やがって腹が立つ。
だがもっと腹立ってんだよ。お前にはな。
「お前さっきのどうなってんだよ。あの資材の雪崩、普通なら避けられやしない筈だ。むしろ、資材が避けてたよな」
「そうね……」
月海は黙り、バッグの中を漁る。今更だがコイツ何で制服のまま外歩いてやがんだ? 俺みたいに早退とかでもなくて、コイツは休んだ筈だろ。
「はい、点けて」
「あ? 急に何だ……ってこれライターじゃねぇか。何でんなもん持ってんだお前。しかもどういうことだよ」
「火をつけて、それで──私を燃やして」
「は……!?」
思わず素っ頓狂な声を出した。そのくらい衝撃的だった。
この女何言ってやがんだ? ライターで自分を燃やせだ? 俺に人殺ししろとでも言いてえのかよ。
つか、コイツゲーセンの時から誰かが死ぬ様なことしか言ってねぇ気がすんな。
ライターを手渡されたはいいが、勿論月海を燃やそうだなんて思わない。火がつかない様に用心し、そのまま月海に無理矢理返した。
溜め息を吐いた月海は立ち上がり、ライターの火を点けた。
「おい……何する気だお前。やめろよ、こんなとこで自分燃やすなんてこと──」
「見てなさい。これが理由よ」
「おいやめ……っ!?」
月海が自分の制服にライターを接近させ、あと少しで着火してしまうというところで、その火は消えた。正確に言うと、『消された』だ。
「何で急に雨が降んだよ! 今日は晴れの予報だったろ!」
つぅか、さっきまでは快晴だった筈だ。訳分かんねぇな。天気雨ってのとはちょっと違うか?
それより、流石にびしょ濡れでこんな見た事もねぇ場所にいる訳にはいかねぇな。
バッグを傘代わりに(しても意味はない)、俺は公園らしきこの場所から抜け出そうと出口に向かった。
「おい! お前も風邪ひくからさっさと帰れ! どうせサボんだろ!? つか教えろ! ここどこだ!」
道分からねぇから帰れねぇんだよ。たく面倒だな。
公園から少しだけ出ると、後に続いた月海は俺から見て右方面を指差した。
「あっちに真っ直ぐ進めばあんたの知る道に出る筈」
「ああ!? お前、真っ直ぐ走った記憶はねぇぞ!?」
「当然よ。私なんだから」
「意味分かんねぇな……! チッ、風邪はひきたくねぇからじゃあな! 明日は学校来んのか!?」
「……行くけど」
「そうかよ、じゃあまたな!」
怪我させそうになった上に助けられた様なもんで、その上色々とよく分からねぇままなのは気に食わねぇ。
一応詫びとして明日から何か手伝ったりするか。
今は帰らねぇと教科書とかも全部濡れちまう。とりあえず月海の指差した方に駆け出した。
「塔坂莉音……。これから、私に関わらない様にすることね。きっと、後悔するから」
……雨で何も聞こえなかったが、今何か喋ってたかアイツ。まぁ、別にいいか。
俺は罪滅ぼしと礼のつもりで明日から月海に話しかける。それで手伝えることは何だって手伝う。それだけだ。
別に、アイツには何の感情もねぇ。同情だって一ミリもねぇつもりだ。
ただ、少しだけ楽しくなって来た。普通じゃねぇことがことごとく起こる。
アイツといりゃあ、退屈しねぇで済みそうだぜ。
この町の隅辺り。何故か塀で隣町と完全に区切られてるんだが、俺の家はその直ぐ近くにある。
別に隣町に行っちゃいけねぇ訳ではねぇんだが、昔からあるらしくて未だ取り壊されたりはしていない。邪魔だぞこの塀。移動面倒くせぇわ。団地と塀との狭い隙間が不良共の溜まり場になるしよ。
「ただいま。あ、電気点けっぱなしで行ったのか最悪だな。誰もいねぇし」
帰って早々項垂れた。両親は働かないし、俺だって働いてねぇし、うちは貧乏だ。電気代無駄になるのはキツい。
一階は入って直ぐリビングで、右に曲がると廊下に繋がるドアがある。因みに、ドアより少しだけ左側に行くと両親の寝室だ。襖開けりゃな。
学校サボったから時間が時間で超暇だ。何もやることねぇ。
リビングで椅子に腰掛け、寄りかかる。本当にやることがねぇからそうしてると、足に何かが擦りつけられる感覚がした。
「……よぉ、ムッチ。腹減ったのか? だとしたら食い意地張り過ぎだ。朝飯やって一時間しか経ってねぇぞ」
テーブルの下で訴えかけて来るそいつを抱き上げた。
ムッチって名前の、うちの黒猫だ。
家から少し離れたとこにある駐車場(ここら辺に住む人間はそこを利用する)に、ボロボロで倒れてたらしい。可哀想だから連れて来たんだとよ、うちの親共。
ムッチが来てからもう四年は経つんじゃないか? 傷なんて見る影もねぇよ。
因みに『ムッチ』ってのは、両親が大好きなアニメの、主人公が飼ってる猫の名前だ。まぁ、原作の漫画読ませられた感じ、その猫魔法で変身してた人間か何かだった筈だがよ。
「なぁムッチ? お前が漫画みてぇに人間になるんなら、少しは退屈も減るんだけどよ」
ムッチはトボけた様にじっとこっちを見つめる。猫って何考えてるか分かんねぇよな。何訴えてんだろうな。
「腹減ってんだっけな。ちょっと待ってろ、今飯持って来る。ただし、太らねぇ様に少量な」
「にゃ」
まるで了解を伝える様にタイミングよく返事したムッチは、廊下に出る俺にちょこちょことついて来る。どんだけ腹減ってんだよ。食ったばっかだろが。
廊下でムッチに餌やりを終え、二階隅の自室に入る。他の部屋より狭ぇんだよな。
入ったはいいがすることが無い。課題は出されたもんその日に終わらせてるから残ってねぇし、電気代もったいねぇからテレビゲームとかもやらない。
これなら授業受けてた方がよっぽどいいじゃねぇか。失敗したな。
「ちっ、まぁいいや。かなり早えけど明日の予定でも立てておくか」
──何事もなくあの後を過ごした俺は、一日経った今日の学校に向かう。
その時の俺は、普段と打って変わり、好奇心というか何というか、かなり上機嫌だった。
が、登校直後にそれも消え去る。
「陽野風……テメェ何の様だよ」
「クッキー焼いてきたから、莉音君にもあげよっかなぁって」
「んなもんで口封じ出来ると思うな。別に言わねぇけどよ」
「あはは! 莉音君やっさしぃ! でもひとまずこれあげるね。私一年なのに調理部副部長になれたんだし、かなり上手なんだよ!?」
知ってる。どうだっていいがよ、コイツ中学の時だったか、教師に泣いて褒められてたしな。プロ並みだとか言ってよ。
まぁそこについては俺も否定はしねぇ。誰かの才能を否定したら最低だろ。
「……陽野風、お前よくあの母親に部活入るの許されたな」
「へ……?」
惚けた様な反応を見せた陽野風だが、一瞬でメッキが剥がれた様に不穏なオーラを放つ。コイツ確か母親と喧嘩して一人暮らし始めたんだっけな。そりゃ機嫌悪くもなるか。
けっ。面倒くせぇ奴の機嫌悪くしちまったな。
「まぁ別にそんくらい構わないって、あの人には言われたけど。そもそも、一人暮らししてるし自分でお金も稼いでるし、あの女関係無くない?」
猫被ったぶりっ子キャラではなく、明らかに不機嫌な悪魔の目つき。恐らく陽野風の本性だ。
幸い、ここは普段誰も来ない裏庭だ。コイツは俺以外に本性を見せることがない。だからこそ絡んで来るんだろうな。
猫被りはストレス溜まるだろうからよ。自業自得だが。
「そうだな、関係ねぇ。俺にはお前との会話は、必要ねぇ。じゃーな」
「あっ、ちょっと待ってよ莉音君!」
そろそろ授業が始まるってのもあるが、何より月海を捜してぇ。アイツとなら退屈しないこと間違い無しだろうからな。
まだ納得してねぇこともあるしよ。
……まぁ陽野風と居ても退屈はしねぇが、一言で済ますと『面倒』だ。
陽野風が腕を掴むのを離し、雑草を踏み躙って校舎内に入る。一応、マットで靴を拭いてからな。
振り向かない様にして、何処かの教室の窓に映る陽野風を確認してみると、何か不安気な表情をしていた。いつもみたいに睨んだりでもしてろよ。似合わねぇぞ。
「とっ、今のはもしかすっと……」
廊下を歩いて、昇降口が見えてくる時、捜し人を見かけた。月海が登校して来た。
なるべく生徒には当たらない様スピードは最低限にし、早足で階段を上って行く月海を追いかける。
「おい! 待て月海!」
一つ目の階段を登り終えた月海を下から見上げ、名前を呼ぶと立ち止まった。月海はまるで何とも思っていない様な、不気味な視線を下ろして来る。
……何だっていいが、この位置スカートの中丸見えだな。別にどうだっていいんだがよ、周りの奴ら見てるし教えた方がいいか?
いや、今はそんなこと優先しねぇ。勝手に見られてろ。
「……何? 昨日、忠告した筈なんだけど。私に関わるなって」
淡白な口調で見下した様な態度を取る月海に、俺も負けじと偉そうな態度で指をさす。
普通、人を指差しちゃならねぇんだが、アイツと対等に会話するにはこうするのが早えと踏んだ。
「知らねぇな。アレか? 俺の帰り際に何か言ってたよな。残念ながら雨で聞こえてねぇんだよ」
「あっそ……」
溜め息を零す月海は、凄く面倒そうだ。周囲の生徒共はこそこそ「月海と塔坂が面識ある?」だの「あいつらどんな関係?」だのくだらねぇことを話してやがる。
何で同級生とすら面識がねぇんだよ。
「それに俺はまだ納得してねぇことがある。きっちり説明してもらうからな」
「勝手にして」
「おう、逃げんなよ。教室来いよな」
「説明は、別の場所でいいかしら」
「それは何処だって構わねぇ」
何か周りにゃ言えねぇことでもあんのか? 逆に俺は何で大丈夫なんだ? よく分かんねぇ奴だな。
にしてもよ、あんな冷たい態度で誰か寄って来ると思ってんなよな。笑顔の練習する程友達が欲しいんなら、まず態度改めろって。
腰に手を当てて溜め息を下に吐き、もう一度見上げると──月海は居なかった。直ぐに階段を駆け上がってみたが、見当たらない。
まさか走って行った訳じゃねぇよな? あいつの速度昨日体感したが尋常じゃねぇからよ。もしかしたら階段ひとっ飛びかも知れねぇな。
よく考えたら、何で運動部の連中はあいつを誘わねぇんだ? 弓道部員だからか?
まぁ、どうだっていいか。もう授業始まるし教室にでも行こう。
「えーっと、女の身体ってのはな? まず男と違ってタマがねぇだろ? で逆に割れ目があって──いてててててやめろよ何すんだ莉音」
「どうだっていいんだよ。写すんならさっさと写せ!」
「へーへー」
保健の授業を受けてから、戸田が更にうぜぇ。いちいち何で人間の身体になんて興味が湧くんだか。どうだっていいだろうがよ。
それにこいつノートとってなかったらしくて、写させてくれとかぬかしやがって。見てみろ、月海いねぇわもう。
折角学校で授業受けたのによ。これじゃあ損しただけだ。今日やった部分はとっくに記憶してんだよ。
「おい、終わったら机の中にでも突っ込んどけノート。俺は用事があるから出てく」
「ほいよっ!」
俺が廊下から出ると直ぐ、右側に重心が崩れた。腕を何かに引かれ、ただただ強い風を受け、停止した頃にはプール横に来ていた。
間違いねぇ、こんなこと出来るのは多分あいつだけだ。ゆっくり立ち上がり、全身の痛みが軽いことを察した俺は、正面に腕組む月海を睨みつけた。
「急に引きずんな一人でも歩けるかんな?」
「知ってるわ。でも、遅いと目立つし。階段上がらなかった分いいと思いなさいよ」
……ほんっと可愛くねぇ奴だなおい。