九話 『二人で遊ばない?』
「遅いわ、毎度毎度。こっちはあんたがここに居ろっ言うからわざわざ待っていてやってるのに、何様なの?」
体育館倉庫で跳び箱に座る月海は腕を組んで見下ろして来る。睨みつける様な態度で。そこ気に入ったのか?
実際許可無く降ろしたらダメだろうが、床に座るのは何か嫌だからマットを引き摺り出す。マットって棚の上に置いておくべきか? 降ろすの失敗したら大怪我すんじゃねぇか?
「今回は言い訳も無しなの?」
「いちいち面倒だなテメェは。前回と同じだよ、邪魔者がいただけだ。……弁当は貰ったが」
「男の子? それとも女の子?」
「女だがそれがどうしたんだよ意味分かんねぇな」
「……別に」
月海はじっくり見なきゃ気づかない程度に頬を膨らませて跳び箱から下りた。手でスカートを払って、俺の横に腰掛ける。移動の意味が知りてぇ。
「今日は何して遊ぶの?」
「おーい、お前は遊ぶために呼ばれてるとでも勘違いしてたのか?」
思わずマットから滑り落ちたじゃねぇか。完全には降ろせねぇから斜めってんのによ。危ねぇな。
つっても普段は大した用もねぇから、授業まで遊んでやっても良かったんだが。
「今日は遊ぶ暇なんてねぇ。訊きたいことがある、答えろ」
月海は明らさまに嫌そうな顔をしてから小さく頷いた。露骨に表情に出すのはやめておけ。嬉しい時は出せねぇ癖に。
俺は忘れない様にメモするため、ノートを一ページ分破いてペンを準備した。キョトンとしている月海に視線を向ける。
「ゼウスの連中を覚えてるか? なるべく、最も新しい記憶からで頼む」
「……覚えているけれど」
ゼウスの名前を出すだけでテンションだだ下がりとか面倒臭ぇ奴だな。確かに怖いのは分かるけどよ。
「そいつらの、全体的な特徴が有れば知っておきてぇ。例えば服装が統一されていたり、変なアクセサリーを身につけていたり……どうだ?」
「あんた、アニメの見過ぎじゃない?」
「確かにバカ親達に一日何本も見せられたが」
「ゼウスの連中の特徴ね……」
月海は考える様に眼を閉じると、特に表情を変化させずに五秒程度で開いた。そんなに早く思い浮かぶ程特徴的だったか?
俺の予想は大きく外れていたが、月海は立ち上がりながら答えた。
「出逢えば分かるわ」
「いや分かるか」
「特徴的過ぎて、一般人に一切融け込めていないし」
「マジかよ。それなら変な奴見つけりゃそうかも知れねぇな」
「えぇ、変よ」
「見つけりゃ絶対に分かんのか?」
「うん」
月海は無邪気に頷く。まさか連中がそれ程目立つ容姿をしているとはな。もしかして警察すら避けられるから余裕なのか?
目立つコートやひょっとこみたいなお面などを思い浮かべていたら、隣で月海が咳払いをした。豪快ではなく、慎ましく。何だどうした。
「あんた、この後暇?」
「いや授業あんだからお前も暇じゃねぇからな」
「そう、残念ね。なら早く授業に行きなさい、私はここで睡眠を取るから」
「行くぞ」
「きゃっ⁉︎ お、お、降ろして降ろして!」
「背中殴んな痛ぇな!」
授業をバックれようとする月海を肩に担いで体育倉庫を出た。
今日の一時間目は同じクラスだからな。逃げられねぇぞコラ。偶には真面目に授業受けやがれ。
──月海は授業中熟睡して目を覚まさなかった。
「月海起きろ、もう午後だぞ。昼飯食べなくていいのか?」
「ん……食べる。ホットドッグお願い」
「買って来いってか? たく、ここで待ってろよな」
「うん、ありがと」
月海と会話を交わすことで周囲が騒つくのは腹が立つが、気にすることじゃねぇだろ。俺みたいな不良擬きと月海みたいな孤高の天才が話してりゃ誰でも不思議に思うだろうしな。自分で言うのも何だが。
──うちの高校は一階に行くと様々な自販機がある。その中に、ホットドッグだって売られている。売れ残ったらどうすんだろうなこれ。
「流石にホットドッグだけじゃ足りねぇよな……だとしてあいつが何食うか知らねぇ。そもそも俺には金がねぇ。ホットドッグだけで我慢してもらうか」
自分で買わねぇのが悪りぃ。
ホットドッグを持って教室に戻ったら、月海は消えていた。あいつ、しばいてやろうか。やったら恐らく俺がダメージを受けるが。
月海の席の前で立ち尽くしていたら戸田のバカが駆け寄って来て、月海がさっき屋上に出て行ったということを教えてくれた。あの女、ほんの数分でどんな移動だ。
「おいテメェ、待ってろって言ったら『うん』って答えたよな⁉︎ 何で堂々と裏切ってんだコラ」
「周りがコソコソ喋ってるから落ち着かなかったのよ。それより、ホットドッグありがとう。はいお金」
「……貰っとく。無駄に歩いた分も含めてな」
「あんた金欠だもんね」
「バイトとか見つからねぇんだよ──何で知ってんだお前」
月海は真顔で誤魔化した。『笑って誤魔化す』ならよく聞くんだけどな。何だ真顔って。ただの無視じゃねぇか。
屋上で柵に寄りかかる月海の隣に座ったら、何故かビクッと跳ねられた。そういうビビってる様な反応は結構傷つくんだよやめろ。
「……それが彼女に貰った弁当?」
「誰だ彼女って。お前も知ってるだろ? 一応同じクラスなんだからよ。陽野風ってクソ女がわざわざ作ったらしい」
「ああ、あのやけにぶりっ子してるのが目立つ人ね」
「出来ればあいつとは関わらねぇでくれ」
「……何でよ」
俺は真顔でスルーした。月海が猫みたいにぱっちりと開けた眼で凝視してくる。気にしたら負けだ。
あいつもこいつも面倒臭ぇ性格してるからなるべく出会わねぇでほしいもんだな。同じクラスだから無駄だがよ。
──あ、陽野風って本当に料理上手いんだな。
「塔坂」
ふと名前を呼ばれて、反射的に月海に眼を向けた。何故かこっちじゃなくて下を向いてやがる。用があるんならせめてこっち見ろ。
月海は食べ終えたホットドッグのゴミを小さなビニール袋に入れて、眼だけを俺に向けた。目つきが睨んでるみたいだからやめとけ。
「今日帰り、二人で遊ばない? 私、暇なの。今日は弓道部は休部で……」
何だ、そんなことか。ただ部活無きゃお前は暇なのかよってツッコミ入れてぇけどな。
常に暇な俺よりは幾らかマシだが。
「構わねぇけど、俺金無いぞ。何処で何すんだよ」
「ゲームセンターで、対戦がしたいんだけど」
「金思い切り必要じゃねぇか」
「私が出すから。一応これでもお金は持ってるんだから」
「へぇ、お前の親が金持ちとかか?」
「ううん。私内職して貯めてるの」
「なるほどな、人とあまり関わらないもんを選ぶのはお前らしいな。俺もそれやるか……」
「だったら、後でオススメの教えるわ」
「サンキュー」
バイトの話になってんじゃねぇか、と溜め息が出そうになったが寸前で抑え込んだ。仏頂面は変わらねぇけど、月海が楽しそうに話してるからな。
今日は後二時間ちょっとで終わりか……。さてと、何の対戦するんだか知らねぇけど、それまで授業でも頑張るか。
──逃げ出そうとした月海をまた肩に担いで教室に向かった。戸田が『パンツ見えた』とか言って感謝して来んのがクソうぜぇ。
放課後になって昇降口で待ち合わせていた月海と会ったが、相当機嫌が悪そうだ。眉に皺が寄ってやがる。
「あれか、色んな奴がパンツ見たのが嫌なんだな。悪ぃ、今度からはスカート押さえながら連れて行く」
「それじゃお尻触るじゃない! ……もう二度と担がないで」
「分かった。じゃあおんぶしてやるよ。それなら別にパンツ見えないだろ」
「見える、と、思う。見れば分かると思うけれど、この学校の制服、ミニスカなのよ。風が吹いたら見えちゃう……」
「中にタイツでも何でもいいから穿いて来たらいいだろ」
月海の手を引いて校舎から出たら直ぐに立ち止まった。選りに選って、何でこんなとこで遭遇すんだ。
「あっ……」
部活にも行っていないそいつを目撃した俺は、無意識に月海の手を放した。それから庇う様にして少しだけ前に出る。
昇降口の前で出会ったのは、陽野風だった。
「あれ? 莉音君と月海……さん。何で一緒に? 一緒に帰るの?」
笑ってもいない笑顔に気づいたのか、月海も警戒心を剥き出しに睨みつけている。やめろっつの、どっちも。
「悪いかよ。俺は今日コイツとゲーセンで遊ぶって約束しただけだ。いいからどけ」
「酷いなぁ。でもゲーセンに二人切り……デートのつもり?」
「……そんなんじゃないわ」
陽野風は今、明らかに月海に訊いた。俺が反応してやったのに、わざわざ月海を睨みつけた。
威圧感が尋常じゃない陽野風のことを押し退けると同時に弁当箱を押し付ける。教室に居なかったから今渡すことにした。
「要らねぇ勘繰りはすんじゃねぇ。弁当ありがとよ」
「あ……」
俺は月海の腕を掴んで強引にそこを抜けた。陽野風が小さく声を零していたが完全に無視して校外に出る。
月海は普段の偉そうな態度の割りに、萎縮してしまっている。やっぱ陽野風と会わせるべきじゃねぇな。
俺はゲーセンに着いてから月海に相談した。
「こうやって放課後会うだろ? その場合あれだ、ここを待ち合わせ場所にすんぞ。高校の敷地内だといつ陽野風が来るか分かったもんじゃねぇ」
「彼女は何故ああも威圧的な態度を取るのかしら……」
「俺からは何も言えねぇ。とにかく、あいつは面倒だから高校では朝と、昼くらいしか会わねぇ様にしよう」
「そうね、ちょっと寂しいけど」
俺は別に寂しくねぇけどな。少し離れると月海が心配なだけだ。
陽野風を後々どうにかしなくちゃ、高校では自由が利かなくなるな。高校にゼウスの連中が現れないとも言い切れないのによ。迷惑な奴だな。
「で、どれで対戦すんだ? 言っておくが俺はゲーム強くねぇからな? 互角な勝負とか期待すんなよ」
「分かったわ。……そうね、まずはアレをやりたいわ」
「ま、ゲーセンの対戦って言ったらそれかもな」
カーレースって言うのか? 中学の頃やたら同級生の連中が屯していたから覚えてる。何がそんなに楽しかったのかは知らねぇけど。
月海が二人分の金を投入して、勝負が始まる。ルールすら記憶出来なかった俺の惨敗だった。早ぇよ。
「あんた本当に弱いのね」
「お前地味に上手いんだな。よくやるのか? これ」
「ううん。この車のはずっとやりたかったけど何か気まずくて……。ゲームセンター自体なら何回も来たことあるけれど」
「ゲーマーなのか? 意外と」
「違う。暇潰しに来てるだけよ。次はあっちで、音ゲーを……」
「はいはい、今日は付き合ってやるよ何時まででも」
……ダメだ、ムッチに餌やらねぇといけねぇから夜遅くまでは遊べねぇ。しかもそんな金はないだろうしな。内職で貯まるか。
三時間くらいゲーセンで遊び通して、月海はベンチでぐったりしていた。ダンスゲームっつーのか? それで疲れたらしい。
スカートくらい捲れてんの直せよ。パンツ見えんぞ。
「月海、今日はもう帰るか? 流石に疲れたろ。もう既に七時で暗いし」
俺が話しかけると、月海は吐息が荒いまま上体を起こした。何か倒れそうだから背中を支えといてやる。
「ちょっと休憩したいけど、帰るわ。今日はもう遅いし、ハカセの家にでも泊まって行ったら?」
「生憎自宅の方が近いんでな、普通に帰る。猫に餌やりしねぇといけねぇし」
「猫ちゃん飼ってるんだ?」
「ああ、謎が多い猫だけどな。後で家来いよ、見せてやる」
「うん、そうする。……送って行ってくれないの?」
「……暗いから送る。行くぞ」
「ん……」
月海の手を掴んで、手を繋ぎながらゲーセンを出た。出てから考えたが、女と手を繋ぐってあまりねぇな。少しだけ気恥ずかしさがある。
大通りの交差点で信号待ちをする俺達の近くで、誰かが悲鳴を上げた。かなり短かい、直ぐに口を塞いだみてぇな……。
「おい、月海。あのよ、横断歩道の向こうに見える、ありゃ何だ」
「え……? 何処?」
「横断歩道の先。信号待ちしてる奴らの隙間から覗け。──女が一人、連れて行かれた」
俺が目撃したのは誘拐現場かも知れない。黒いマントみてぇなのを来た、六人程の髑髏マスク集団が若い女を路地裏に引き摺り込んで行った。
周囲の人間は見て見ぬ振りをする奴と、不安気にその光景を見つめる奴に分かれる。その内一人が辺りを見回して──こっちに眼を向けた。
「あ……え……」
月海が一歩退がる。髑髏マスクは他のマスクをジェスチャーで集める。目線の先には、月海が居る。
また一歩退がった月海にキツく手を握られ、ようやく危険信号が働いた。
「ゼウス……」
ボソッと呟いた直後信号は青に変わり、他の人間を容赦なく突き飛ばして髑髏マスク集団が駆けて来る。俺は月海の手を引いて反対側へ全速力でダッシュした。
──数秒後には引かれる形になる。