第5話
そういった事態が、シャルンホルスト号(神鷹丸)に起きていること等、当時のトップ船長は知る由もありませんでした。
いえ、トップ船長自身が、部下や乗客のドイツ人と共に、無事に祖国ドイツに帰国できるか、ということに懸命でしたし、そういった情報を手に入れる機会が無かった、というべきでしょう。
何しろ戦時中です。
いくら有名とはいえ、ドイツの貨客船のことが、日本の新聞記事等にそうなる訳がありませんし、トップ船長が幾らシャルンホルスト号(神鷹丸)の運命が気になっていても、そういった情報を知っている知り合いが、トップ船長には日本の中にはいませんでした。
そして、1940年5月にトップ船長らは帰国したのですが、心がえぐられる現実が待っていました。
帰国して、すぐにトップ船長は、北ドイツ・ロイド社の本社に、第二次世界大戦勃発に伴い、日本により、シャルンホルスト号(神鷹丸)が拿捕されたこと、自分達が交換船で帰国できたことを報告しに行きました。
そして、報告を行ったのですが、その時、既にシャルンホルスト号(神鷹丸)の妹2隻は、生きてはおらず、沈んでいたのです。
「それは本当なのですか」
「グナイゼナウ号は、レニングラード港からリューベック港へ向かう途中、ノルウェーに展開している日本海軍航空隊の航空攻撃の前に沈められた。ポツダム号は、ハンブルク港の沖合で、おそらく触雷によるものと思われる爆発を起こし、沈んでしまった」
トップ船長の問いかけに、北ドイツ・ロイド社の重役の一人は憔悴の余り、却って淡々と話す有様でした。
トップ船長は、その答えに衝撃を受けて、言葉が出ませんでした。
北ドイツ・ロイド社の誇る3姉妹の貨客船の内2隻が、既に失われていたというのです。
ドイツへ帰国する途中に、ノルウェーへの侵攻作戦を、ドイツが行ったものの、結果的には大敗してしまい、ノルウェーが連合国側に参戦し、ノルウェーに連合国軍が積極的に展開するという事態が生じていることは、トップ船長の耳にも届く有様でした。
ですが、そこまでの事態が引き起こされていた、というのは、トップ船長にとって、本当に衝撃以外の何物でもありませんでした。
更に、元ドイツ海軍士官でもあるトップ船長にしてみれば、追い打ちを駆けることが起きていました。
「ノルウェーへの侵攻作戦で、ドイツ海軍の水上艦艇の多くが失われてしまった。当然、多くの海軍の軍人が失われている。それを穴埋めし、潜水艦による通商破壊作戦で活路を図るための人材もいるということで、多くの船員が海軍に徴兵されることになった」
「それは」
トップ船長も、その経歴から、そのような事態が起これば、船員が徴兵されるというのを察しました。
そして、その多くがどうなっていくのかも。
更に問題としては、ノルウェーが連合国側に立っている以上、ドイツ沿岸のバルト海でさえ、今やドイツの海軍艦艇のみならず、一般の船舶にしてみても、安住の地とは言えないことでした。
実際、グナイゼナウ号が、バルト海を航行中に沈められた有様なのです。
バルト海は、ソ連と友好関係にあるドイツにしてみれば、完全に安全が確保されている海の筈でした。
何しろ、バルト海の沿岸国の一つであるスウェーデンは中立国ですし、フィンランドやバルト三国は、有力な海軍をもっていません。
ポーランドに至っては、独ソによって分割占領されている状況に陥っています。
その筈が、ノルウェーが連合国側に立ち、そこに優勢な連合国軍の海空戦力が展開したことで、一転して、安全な海ではなくなったのです。
トップ船長は、第一次世界大戦の時と違い、ドイツの状況が昏いことに寒気を感じざるを得ませんでした。
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