第10話
前にも書きましたが、シャルンホルスト号は、攻撃を受けた場合の火災対策等のために、様々な内部の改造を受けていました。
そのために、例えば、シャルンホルスト号の船内を飾っていた絵画は、完全に無くなっていました。
(多くが油絵でしたので、それに火が付けば、あっという間に大火事になる等の理由からです)
また、浴槽等も防火水槽等に転用されている有様です。
そして、かつては豪華な船旅を愉しめた一等船室は、一応は士官向けの船室として、それなりの広さだけは残されてはいましたが、その内装はかつてを知るトップ船長らにしてみれば、とても他人には見せ難い醜悪な惨状を呈している有様でした。
(念のために書きますが、これは主に将兵を輸送するための貨客船として、シャルンホルスト号は、ずっと徴用されており、また、この時も使用されていたからです。
そうしたことから、実用本位の、よく言えば質実剛健の船室に内装がなっていました。
ですが、内心の理性ではその理由を納得できたとしても、かつての豪華な内装を知るトップ船長らにしてみれば、醜悪な惨状にしか見えなかったのです)
そして、内心で大粒の涙を零しつつ、トップ船長らはシャルンホルスト号を運航することになりました。
日本政府が、北ドイツ・ロイド社にシャルンホルスト号を返還する代償として求めたのは、引き続きシャルンホルスト号を第二次世界大戦が終結するまでの間、日本と欧州の間の人員、物資の輸送に引き続き使用することでした。
勿論、そのための費用は、日本政府から北ドイツ・ロイド社に支払われます。
そして、トップ船長ら、シャルンホルスト号の船員は、それによって家族を養うことも出来るのです。
だから、本来なら歓迎すべきだ、と言われるでしょうが。
トップ船長らにしてみれば、敗戦後間もないこの時期に、かつての敵国の人員、物資の輸送のために働かざるを得ないというのは、敗戦の悲哀を覚えてならない状況だったのです。
もっとも、未だ戦争の終わりが見えない現状において、シャルンホルスト号が豪華貨客船として運航できる状況にあるのか、といえば、とてもそうとは言えないというのも、また哀しい現実です。
トップ船長は、シャルンホルスト号を日本軍の人員、物資の輸送のために運航することになりました。
なお、このトップ船長の新たな仕事の最初の大きな出来事になったのは、ブレスト港から佐世保港へ、佐世保港からブレーメン港への輸送任務です。
ブレスト港から佐世保港までは、ほぼ空荷に近い輸送任務となりましたが、佐世保港からブレーメン港への輸送任務は、大規模なものとなりました。
極東戦線が一段落したことから、日本陸軍の一部も欧州へと赴くことになり、シャルンホルスト号もその輸送任務の一翼を担うことになったのです。
佐世保港に到着した後、トップ船長が船長を務めるシャルンホルスト号には、日本陸軍の軍服を着た将兵が続々と乗船してきて、荷物も積みこまれました。
トップ船長は、その光景を見て思いました。
かつて艶やかな服を着こんで紳士淑女が乗り込んできたこの船に、軍服を着た将兵が乗ってきている。
これが戦争の一面というものか、と。
トップ船長が少しでも気分を変えようと周囲にいる船を見ると、一際、大きな船が目に入りました。
「あれは」
トップ船長が周囲に問いかけたら、事情通の二等航海士がいいました。
「出雲丸です。後、春日丸も参加するとか。日本の豪華貨客船も、この輸送任務に携わるそうです」
トップ船長は哀しい気持ちになりました。
本来なら、シャルンホルスト号と春日丸、出雲丸は豪華な船旅を提供する船なのに。
こんな軍隊輸送任務に携わらないといけないとは。
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