上幕
嘉永4年(西暦1851年)、4月。
この年代と言えば、モリソン号砲撃事件以来外国からの無断入国が絶えなかった時期でペリー来航を発端に、
尊皇攘夷、鎖国崩壊、天誅、維新と立て続けに日本を一新させる歴史的事象が起った日本史の変わり目でもあった。
聖徳太子の憲法制定や仏教本格導入、持統天皇の大宝律令、藤原道長の摂関政治、源頼朝の武家政権成立、
南北動乱、武家政権の再到来、戦国の世、三大天下人の出現、徳川による250年の統治と、この国には激動の歴史がありながらも連続性がある。
その中で、人知れず展開した、疑心暗鬼が広がった幕末に、友情が交錯した悲話が存在した。
友情のみならず、愛、憎悪、哀・・・。
様々な”おもい”が行き交っていた・・・。
西南戦争まで後二十六年・・・。
男は、夜の岸辺にくっついている小舟の中にいた。
寝ているのか気を失っているのか・・・。
このご時世に人は、彼を”命知らず”というかも知れない。
だが、彼は後者の方だった。
そして気がついたのか、うっすらと恐る恐るまぶたを開ける男。
見たところまだ二十の年を数えたところだろうか。
や ま と び と
近代前期の大和人の特徴であるまげに、質素な灰色をした袴装束、腰に刀が二本、無様でかたくなに男と共に平行に並んでいた。
しかもこの夜な夜な、何をしていたのか・・・?
「・・・・・・・・!」
侍は気配に気づき、また寝た振りをした。
気付いた通り、人が近づいてきた。
姿からすると、どうやら町人のようだ。
しかし目を瞑って振りをしている侍からは全く確認出来ない。
すると、いきなり撲殺音が侍の近くで鳴り響いた。
そしてすばやく動く音。地面の砂を擦る草履の裏。
そしてシュッシュッと何度も速やかな音が。
どうやら複数人が刀を抜いたようだ。
しかし、斬られる音はなく、ひたすら殴られる音のみ。
侍はたまらず飛び起き、すぐさま舟から岸に立ち上がった。
「い・・・、いたぞ!!」
すぐに何者かに指差される侍。
どうやらこの侍は狙われていたようだ。
狙っているのは、黒装束を纏っていて小ぶりの刀をそれぞれ持っている。
口元を黒い布で隠しているので、どうやらどこかの藩の隠密とも見て取れる。
だがここはそれを気にしている場合ではない。
この状況をどう打破するかだ。
いくら怪我をしているとはいえ、熟練とも言える隠密が見る限り四、五人はいる。
その熟練程度を証明していたのは、周囲に手裏剣があちこちに散乱している。
ところが、どうしても気になるのは、この隠密の軍団に見事一人で応戦していたと思われる、町人。
見たところ武具は使用しておらず、血に染まった拳を見たところ、素手のみで応戦していたことになる。
だが、
「拙者が抜かぬ内に、退け」
侍は、短い方の刀の鞘に軽く手を沿え、構えを取った。
空気を察知したのか、黒装束らはノロノロと起き上がり、足を引きずりながらも闇の中へと疾走した。
「・・・・・・」
黒装束らが立ち去ったのを目視、鞘から手を離した。
しかし、侍の目の前には既にその”町人”いなかった。
この町人は後の”中村半次郎”である。
翌日
「よしじゃねだか?」
侍は言われる。
「町人に救われたてのは恥だがな」
連れた友ですらこういうことを言う。
いくら幕末と言えど所詮幕藩時代。
士農工商と階級制度が色濃く漂った時代である。
しかし、彼はこの士農工商に、尚且つ幕府に嫌疑を持つようになった。
激動の海外情勢が日本を緊迫させている。
まだ鳥居の”蛮社の獄”も、井伊の”安政の大獄”も記憶に新しい世。
どこかがおかしくなっていた。
江戸 薩摩藩邸近辺 西郷の宿舎
「西郷どん、」
息せき切って現れた侍、中村。
手を洗ったばかりか、雫が垂れていた。
「継道さんが襲われた」
しかしこう返答が来た。
「また殺してねえか?」
返答したのは、維新の三傑”西郷隆盛”。
「いや、やってない」
半次郎の返答。
ところが、
「ちゃう。おまいさんや」
隆盛は半次郎に聞いていたのだ。
「・・・やってねえど!」
必死に葛する半次郎。しかしかなりあわてている。
「んじゃその手は何や?」
西郷は半次郎の塗れた手を指摘した。
半次郎は隆盛に指摘された自分の両手を見た。
確かにこれだとつっこまれる。
手首より上から不自然に手がびしょ濡れである。
更に血の跡。




