マリオネット - 第1話
その人形を見つけてしまった時、私は心から神を呪ってやりたくなった。
同意と同情を得るためにも、その日の経緯を話そう。あれは以前の事件で負った怪我がようやく回復し、私・坂田雨月が仮の職場である公立高校に復帰した、その一日目のことだった。
神を呪うべく感じた最大・最悪のポイントは、同じく怪我を負っていて――しかし先日無事に退院し、私と同日に復帰する予定だった筈の幼馴染・雷瑚晶穂が、朝どころか昼、いや夕方になっても職場に現れなかったことだ。お陰で彼女が行うはずだった仕事はすべて私が引き受けることとなり――いや、それはいつものことだからいいとして――所属する堺講のボス・碓井磐鷲にクレームを入れると、「晶穂は修行の都合で一週間は職場復帰できない」という訳の分からない回答が返ってきた。修行? 少年漫画の主人公じゃあるまいし。何より、どうして当の本人が連絡を入れてこないのか? 仮にも幼馴染として、かつ大概の仕事では相棒として仕事をこなしてきた家族以上恋人未満の存在である自分に対して! 「急な都合でな」と言われても納得など出来ようもない。ダラダラ眠る彼女の隣で静かに仕事をする――そんな何気ない日常を心待ちにしていた私に、この仕打ちはあんまりだ。
おまけに、イライラしながら仕事を片付けていると、かつての依頼人である生徒・東栄絵すらやってきた。確かに彼女は勤務している高校の生徒だから、私と晶穂の業務本拠地である保健室を訪れることに理由などいらないのだが、気に入らないのは彼女の晶穂に対する接し方である。あの盛りのついた雌猫のような甘え方! 私には分かる。東の目的は他でもない晶穂なのだ。事実、まだしばらく晶穂は休みだと東に伝えると、実に面白く無さそうに「そうですか」と言って、彼女はそそくさと立ち去って行った。私の苛立ちゲージはそこで頂点に達し、更に帰ろうと外を見た時には土砂降りの雨が降っていたため、苛立ちゲージはまさしく限界突破の様相を呈した。適当に職場の置き傘を拝借したが、その真っ黒なこうもり傘は骨組みの一か所がぽきりと折れており、露先の一部がだらんと伸びた犬の舌のようになっていて、実に格好がつかない。そんな状態だから雨の侵入を完全に阻止できる筈もなく、帰路の途中には洋服のあちこちがじめじめしていて、首にピタリと張り付く自分の髪の毛すら引きちぎってやりたい程だった。
とどめに――そう、そこで私は、あの人形を見つけたのだ。
人形は、有名メーカーの女児向け着せ替え人形だった。それが電柱の下、緑色のネットで覆われたゴミ置き場にちょこんと置かれていたのだ。
一目見ただけで、それが『そこに在るべきではないもの』であることは分かった。
デパートのおもちゃ売り場で陳列されている真ピンクの箱に入った、薄汚れた着せ替え人形。顔面の半分は崩れており、金色の髪には、箱の前面に張られたビニール越しでも、黒いシミのようなものが混ざっているのが見える。誰かが捨てたのか――いや、違う。この人形は、拾われるためにここにいるのだ。誰かに持ち帰ってもらうために。
こんな薄汚れた人形を誰が、と思う人もいるかもしれないが、人間というのは思っている以上に『人の形をしているもの』に同情するものだ。それは一種の習性・本能に近いと言ってもいい。こんな雨の中、孤独にぽつんと置かれている古びた人形――せめて少しばかり手入れをしてやって、人形寺へでも持って行ってやりたい――そんなちょっとした親切心からトラブルに巻き込まれる人々は、この業界に居るとげんなりするほどに遭遇する。
神を呪いたくなったのは、そういうことだ。
私はその日、ただでさえイライラしていた。サッサと家に帰って温かいシャワーでも浴びてホットカフェオレでも飲みながら軽く読書をして、気を落ち着かせてから眠りたかった。だが、『これ』を見つけてしまった以上、放っておくことも出来ない。見て見ぬふりをすると、どこぞの心優しい御仁が持ち帰り、何がしかの災難に見舞われることになる。と言っても、晶穂と違って、私は別に、どこぞの御仁がどうなろうと知ったことではないのだが――まぁ何というか、想定される事態を前に見て見ぬふりをするのは、流石に夢見が悪い。
――ああもう。
私は独り言ちて、濡れたゴミ置き場のネットをつかみ上げ、その人形――白か黒かで言うと間違いなく黒、種類で言うと悪霊と呼ばれるものを身に宿しているであろうそれを拾い上げた。明日にでも講の先輩の家に持っていき、お祓いなりなんなりしてもらおう。今日は夜も遅いし、何より自宅まであと数十メートルというところから身を翻すのはあまりに気怠い。何だかんだで真面目な自分の性根を呪いながら、そして――執拗に繰り返すが――わざわざ今日という日にこんな呪われた人形を持ってきた神をそれこそ呪ってやりたくなりながら、私は自宅に戻り、玄関の扉を閉めた。
迂闊だった、と思う。
就寝前、せめてあの人形の周りに魔除けを置いておくなり、封印術の一つや二つ施しておくべきだったのだ。そこを面倒くさがったから――。
《やぁ、こんばんは、坂田雨月》
――調子に乗った面倒が、超面倒となってやってきたのだ。
《申し訳ないけど、キミの体は私が貰うよ》
眠りについた筈の私は、真っ暗な――夜の海よりもどす黒い闇の中に居て、正面には、顔面の半分が崩れた『人形』が、口元を歪めて笑っていた。





