ブラック - 第9話
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「――起きたか」
僕が眼を開くと、ボスは低い声でそう言った。僕は周囲を見回した。
低いエンジン音。
柔い振動。
体を固定するシートベルト。
窓の外は高速道路。朝陽の中、隣を走る大型トラック。僕の座席の前には雷瑚さんが居て、どうやらバックミラー越しに見る限り、耳栓とアイマスクをしてイビキをかいて眠っているようだ。そして、ボスはハンドルを握り、アビエイタータイプのサングラス越しに前方を見つめている。
「ここは」
「帰還中だ。あと三十分もすれば家に着く」
んがっ、と、色気もクソも無い寝息を雷瑚さんが響かせて、ちらりとボスが彼女を見る。僕もぼんやりと彼女を眼で追って、それから、ふと、自身に目を向ける。
『壁』は。
消えていた。
「解呪は成功だ。無事に成人出来るだろう。目立った外傷は無かった筈だが、念のため足がポッキリいってないか確認しておけ」
言われた通り、僕はペタペタと自身の体を触ってみる。足元。腹。頭。痛みが皆無というワケではないけれど、泣きたくなるようなものではない。あれだけの高さから落ちた――いや、落とされたのに。
「言っておくが、解呪したのは雷瑚だが、怪我が無いのは俺の能力によるものだ。そこは間違うな」
「能力?」
「詳しくは言えん」
ぶっきらぼうにボスは言った。恩着せがましいのか、それとも冗談のつもりなのか、それは分からない。だけど、それはともかく、彼の言葉は真実なのだろうと思う。彼ら二人の力によって、僕は助かった。助けられた。それは、間違いない。
「……僕は、生きていていいんでしょうか」
僕は次に、ふと、そんな言葉を漏らした。頭の中では、先ほど見た夢――いや、きっと夢ではない『何か』の記憶が、ぐるぐると巡っている。
「お二人は、どうして僕を助けてくれたんですか?」
「仕事だからな」
「仕事?」
「端的に言えば国家公務員だ」
公務員、と僕は呟く。霊だの呪いだの、そんなものに関わる公務員が居るだなんて話は聞いたことが無い。そんな僕の考えを見抜いたのだろう。ボスは「警察官や消防士みたいなものだ」と続けた。
「但し、存在は秘匿されている。お前の元に来たことについても、何が切っ掛けだったか伝えることは出来ん。運が良かった、とでも考えておけ。
それと、この件は秘密にしておいた方がいい。バラしたからといって何があるわけでも無いが、お前がオカルティスト扱いされるだけで終わるのが関の山だ」
並走している大型トラックが、朝陽の中で大きく揺れる。ガタン、と派手な音が鳴っても、どこかぼんやりとそれを聞いている自分が居た。
「不服か」
次にボスは、僕にそう尋ねた。不服――そうなのだろうか。分からない。だけど、確かにそうなのかもしれない。何か大きな使命があった。古い因縁があった。僕の呪いを解かねばならない理由があった――そうであれば、僕は素直に告げられたのかもしれない。「助けてくれてありがとう」と。
だけど。
「僕は、助けてもらうべきじゃなかったのかも知れません」
「……何を見たのか知らんが」
一拍を置いてから、ボスは低い声で告げた。
「お前は生きるために、俺たちのような除霊師を探し回った筈だ。だからお前の『壁』は消えた」
「だけど」
「それでも自分は死ぬべきだと思うなら、好きにしろ。お前ももう餓鬼じゃねえ。どう死ぬかは自由だ。だが、これだけは忘れるな」
んがっ、と、また雷瑚さんが声を出した。
眉をひそめながら、ボスは言った。
「俺もこいつも徹夜してる」
ボスはそれきり、何も言わなかった。