タブー - 第9話
「てめえふざけてんのか!? ああ!?」
「ふざけてないよー素直な感想だもんさ」
茶髪の男性が、怒り心頭、といった様子で怒鳴ったのですが、本殿に胡坐をかいて座る講の男性は、一切調子を崩しません。
「だってさー、ここから出られないからどうにかしてほしい、って言われても、どうすればいいかなんて全然分かんないよぅ。そんなの、祟ってる奴に言うしかなくない? ねぇ? なくなくない?」
「祟りの原因がぶっこいてんじゃねえぞてめえ! てめえのせいで俺たちは――」
「えぇえ~、僕のせい? でも僕、ご神体には手ぇ触れてないし、入る前にちゃんと『お邪魔します』って言ったし、後は中で寝てただけだし、キレられるようなことなんてしてないよ? 他の人が何かしたんじゃないの? 知らないけど」
「じゃあ一体全体誰のせいでこんな目に合ってるんだよ! も、もう二人も死んでるんだぞ!?」
「そりゃ、人間、死ぬ時は死ぬよ」
講の男性はさらりと言ってのけました。すると、意を決したように、天然パーマの男性が口を挟みました。
「念のためハッキリ言っておきます。あなた、さっきから『自分には関係ない』って調子ですけど、このままじゃあなた自身も死ぬんですよ。お分かりですか?」
死ぬのはオレらだけじゃないんです――それは、天然パーマの男性の、必死の脅し文句でした。いえ、脅し文句とは言え、それは真実の筈でした。何せ、彼も僕たちと同じく、神社の内側に居るわけですからね。彼だって外には出られず、石畳からはみ出せば何かに圧し潰される――彼は静かに、訴えかけるように、丁寧にそれを講の男性に伝えたのです。が。
「僕は死なないよ。強いからね」
――その時の僕の感情を、どう伝えればいいでしょう。難しい……自分から話を始めておいてなんですけど、凄く、難しいんです。不快だったのか、ですか? いいえ、とんでもない。確かに、彼はどこまでも、僕らに降りかかった出来事なんて他人事扱いでした。でも……うん、そうですね。
僕は、本能的に感じたんです。『この人は嘘を吐いていない』――そんな風に。そして……いや、だから、かな。
和やかなその人を、僕は唐突に、猛烈に不気味に感じたのです。人の姿をしているけれど、けらけらとよく笑っているけれど――そこに居るのは人ではなく、そこに在るのは笑顔ではない。見知ったものにとてもよく似ていて、それでいて根本的に違う――そう。
本当に、この世の人物なのか? ――そんな風に感じました。
そして恐らく、異質なものを感じ取ったのは、僕だけでは無かった。天然パーマの男性も、茶髪の学生さんも、その笑顔に口をつぐんでしまったんです。だから、僕は心底驚いた。
隣から、梓馬さんが――ポツリと、けれどハッキリと、講の男性へ告げたから。
「今晩の宿を提供する……それで、如何でしょうか」
言われた当の本人は、不思議そうに首を傾げました。つまり、と梓馬さんが続けます。
「ここから我々を脱出させてくれたら、あなたが今晩眠る場所を提供します。私、とにかくよく眠れるという評判のホテルを、友人から教えてもらったことがあるんですよ。ホテル側も『快眠』を売りにしているくらいのところです。そこをあなた名義で予約します。勿論、代金は私持ちで。寝具の無い神社で眠るより、よっぽどよく眠れる筈です」
「さっきは一飯の恩で、今度は一宿の恩ってこと? そんなにいいところなの?」
「はい。私の知る限り、最高の環境です」
「そうなんだ! それは気になるなぁ。でも、うーん。皆を連れ出す方法……うーん……」
講の男性は腕組みをして、うんうんと唸り始めました。どうやら説得が通じたらしいことを皆が理解しました。茶髪の男性など、大股で歩いてきて梓馬さんの肩を叩いたくらいです。「オッサン、説得上手だなぁ」なんて言って。
「けど、オッサン、友達居たんだな。悪いけど、ちょっとびっくりした」
「わ、私だって友人くらい居ますよ」
「いや、そうだろうけど。さっき、親も恋人も~って言ってたから、つい」
「……ああ。そう……ですね」
梓馬さんはそう言って、講の男性へと視線を戻して……それから、小声でもう一度「友人は居るんですよね」と、まるで自分に言い聞かせるように呟いていました。いま思えば、あれは梓馬さんにとっての、一種のターニングポイントだった――ああ、いえ、この話はまた最後に。とにかく――暫く唸っていた講の男性は、やがて思いついたように、半纏の内側から、ボロボロのPHSを一つ、取り出したのです。
ご存じですか? PHS――極々分かりやすく言うと、古い携帯電話です。いえ、僕も知識として知っているだけで、実際に使ったことなんて一度も無いんですけどね。キャリアのサービスなんてもう随分と昔に終了してますし。あの人が取り出したものだって、青い塗装は殆ど剥がれ落ちているわ、キーパッドのボタンも幾つも無くなっているわと、壊れていないのが不思議なくらいの年代物でした。
あの人はそれを使って、どこかしらに電話を掛けました。……数秒後です。
「あっ、しょーちゃん? げんきぃー? 久しぶりだねぇ~、調子どうなの? ってか声低いねー寝起き? まー僕もついさっき起きたばっかりなんだけどねあっはっはっは!!」
お酒が入ると、妙に陽気になる人、居ますよね。僕は黙りこむタイプなんですけど……えっ? 酔うと口数が多くなるタイプじゃないか、ですか? ああ、これだけ話してると、そうも思われるか。……ごめんなさい、話が逸れました。とにかく、あの人はそれくらい、陽気そのもの、といった様子で、電話先の相手に挨拶をして――それから。
「えっ、いま病院? なんだーまた怪我したの? もー、しょーちゃん弱いんだからあんまり無理しちゃダメだって言ってるじゃ……ん? 魔術師? と戦った? あー対人かー対人はなー相性もあるもんなー……あれ、何の話してたんだっけ。あっ、そうそう! あのさ、神社から出られないらしいんだ! ん? うん、僕の近くに居る人たち! どうやって出ればいいか、考えてあげてよ! しょーちゃん、こういうの得意でしょ? 寝たきり探偵だっけ? 安楽椅子? 何それ? 変なこと言うなぁしょーちゃんは、あっはっはっは!」
とにかく宜しく、とそう言って、講の男性は雑にPHSを梓馬さんに投げました。おまけに、本殿に涅槃仏のように寝っ転がって、手で「どうぞどうぞ」とでもいう風にジェスチャーをして……梓馬さんはまた疲れた顔になってましたね。だけど、結論から言えば、講の男性の判断は正しかった。ええ。電話の相手は――梓馬さんが気を利かしてハンズフリーの設定にしてくれたお陰で、僕らも会話に入ることが出来ました――待ち焦がれた『専門家』だったんです。
《あー、もしもし? 神社から出られないって?》
「あ、えっと、その、はい。私、梓馬汐と申します。初めまして」
《あー、これはどうもどうも御丁寧に、初めまして。すまねえが、どういう状況なのか、一から教えてくんねぇ? ウエンの兄貴の話は、日本語のクセして全ッ然意味が分からねーからな》
「ウエン?」
《そこらで寝っ転がってるだろ? 病み上がりのあたしに念話を掛けてきて、まともな説明もせずにバトンタッチしやがった、銃刀法違反な野郎の名前さ》
どんな漢字を書くのか、僕にはさっぱりでしたが、とにかく、講の男性の名前は『ウエン』というそうでした。そして。
《で、あたしはその銃刀法違反野郎の同僚の除霊師で――》
続けて、PHSの先の女性は、僕らにこう、名乗りました。
《――雷瑚晶穂だ。変な名前だろ? ま、宜しくな》
……ちなみに、この人の漢字は、後で梓馬さん経由で教えてもらいました。と言っても、未だに面と向かってお会いしたことは無いんですけどね。





