タブー - 第8話
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背の高い人でした。百八十センチはあったんじゃないかな。
土でドロドロに汚れたスニーカー、黒いジーンズ、白いTシャツ。その上から、柿色の半纏を羽織っていました。真っ黒な髪はボサボサで、けれど耳が見えるくらいには短かった。若いけれど、大学生さんたちよりは、もう少し年上に見えましたね。眠そうな、気怠そうな眼をしていたのを、よく覚えています。
彼は、ギイ、と音を立てて本殿の扉を開き、本殿の内側から僕らの前に姿を現しました。僕らはというと、突然、背後の扉が開いたものですから、弾かれたように立ち上がったものです。梓馬さんも同様でした。立ち上がって――やがて、僕と茉莉を両手に抱き寄せて、突然の闖入者に驚きを隠せぬまま、尋ねたのです。
「ど……どなたですか?」
「へ? あ、僕? えっと」
本殿の内側から現れた男性は、気の抜けた声でそう言って――それから、僕らの顔を順番に見回し、やがて梓馬さんに目を留めて、何か思いついたかのように「あ」と声を上げました。後で聞いたところによると、その声と丁度同時に、梓馬さんは男性の腰――ベルトの部分に、一振りの刀が括り付けられていることに気づいたそうです。
……ええ、刀です。いかにもホラ話、って感じでしょう? 帯刀してる若い男性――漫画じゃあるまいし、そんな人が街中を歩いていたら、銃刀法違反ですぐに現行犯逮捕されてしまう。だけど、その時の梓馬さんは、丁度直前に、そんな漫画じみた話を耳にしていたものですから。
「もしかして、この地域の境講のひと?」
「もしかして、境講とかいう組織の方ですか?」
「えっ」
「えっ」
男性と梓馬さんは、殆ど同時に声を発して、同時に首を傾げました。
「いえ、私は只のサラリーマンのオッサンですが」
「僕は確かに講員だけど、この地区の担当じゃないよ」
「えっ」
「えっ」
「さ、境講の人なんですか!?」
そこで、天然パーマの男性が、驚愕と安堵を混ぜこぜにしたような口調で割って入りました。彼はずんずんと本殿に近づき、お願いします、と男性に頭を下げたんです。
「お、オレたちじゃあ、もうどうにもならないんです! 神主さんまで死んでしまって――!」
「あ、ちょっと待ってちょっと待って。そのスーツ着たおじさんは、マジで講員じゃないの?」
「は、はい……只のオッサンです」
「あ、そうなんだ、良かったー本殿の中で寝てたの、怒られるかと思っちゃったよぅ。いやね、僕んとこの講元のオッサンがさぁ、どんな場所にもスーツで来るからさぁ、同じ類のオッサンかと思って。じゃ! ごめん、お騒がせ! 僕はもうひと眠りするから――」
そう言って再び本殿の中に入ろうと扉を閉めかけた男性に、天然パーマの男性は慌てて駆け寄りました。本殿の階段を一足飛びで駆け上がって、男性の手をこう……ガシっと掴んだんです。ええ。必死そのものでした。
「いやいやいやいや待って、待ってくださいよ! 境講の人なんでしょ? 霊能力者なんでしょ!?」
「うわっ、何ちょっと怖い怖い怖い! 勢い! 凄い勢い! 勢いが怖いよこのお兄さん!」
「助けてください、お願いします! このままじゃ全員殺されてしまうんです!!」
「そうなんだぁ、大変だね!」
まさしく『他人事』という調子でした。天然パーマの男性の必死さなど我関せず、と言った調子です。「変な人だなぁ」と、梓馬さんが思わず漏らしたのも、無理は無かったように思います。
「なぁ、もしかしてだけど」
その時、必死そのものの天然パーマさんの後方から、茶髪の大学生さんが、警戒心剥き出し、といった調子で言いました。
「そいつ、本殿で寝てたんだろ? 本殿って、確か普通入っちゃいけないんだよな? ってことは、この祟りの原因って、そいつなんじゃ?」
天然パーマさんが、驚いた様子で茶髪の男性を振り返りました。「確かにそうかも」といった感じです。が、その追及が始まろうとしたその直前、境内には盛大な腹の音が響きました。
ええ。その、刀を携えた男性の、空腹の訴えです。
「うわぁビックリした! 自分でビックリしたよもう、凄い音だったね! ね!」
けらけらと笑う男性を見て、「マイペースな人だなぁ」と梓馬さんが漏らしていました。これも無理は無かったと思います。
「そういえば昨日も樹の幹と雑草とキノコしか食べてなかったや。あのキノコほんともうクッソまずくてさぁ! 何回もリバースしちゃってさ!」
「おかしな人だ」
天然パーマの男性の肩をバシバシ叩きながら一人笑っている講の男性に、梓馬さんは疲れたように言いました。一方、茉莉は思い出したように、ランドセルに引っ掛けた給食袋に手を伸ばしました。そして、中から掌大のコッペパンを取り出して、講の男性に差し出したんです。きっと、給食の残りだったんだと思います。彼女は小食でしたから、給食のパンを残して持ち帰ることは日常茶飯事でした。
「食べていいの? ありがとー! うわーパンだ、やばいくらい久しぶり! 文明的な食事っていいよねぇ」
余程お腹が減っていたのでしょう。何の遠慮も躊躇もなく、あの人は破顔して、茉莉のパンを一息に食べました。僕もふっと思いついて、自分の給食袋を手に取って、中を探ってみたのですが、数日前の給食で出されたカチカチのパンの欠片が残っているだけでした。これはダメかな、と思ったのですが、そんな僕の傍らから、あの人はにゅっと手を伸ばしました。
「これもくれるの? ありがとー、嬉しいなぁ! あ、あと水筒にお茶とか残ってない?」
茉莉のお茶が残っていたので、これも渡しました。そうして、彼が嬉しそうに喉を潤している時、交渉は行われたんです。つまり――梓馬さんから、おずおずと、と言った調子で――一飯の恩が出来たのだから、せめて話だけでも聞いてくれないか、と。男性は打って変わって「いいよー」と軽く返しました。それから、天然パーマの男性が、僕たちの事情をざっと説明したのです。
茉莉の水筒を空にした男性は、話を聞き終わってから、一言、至極端的に告げました。
「そうなんだぁ、大変だね!」





