タブー - 第5話
「……それは」
天然パーマの大学生が、躊躇いがちに言いました。そして、目を遣ります。境内の、参道から外れた砂利道へ。
冒頭に言ったかもしれませんが、改めて説明しますね。その小さな神社の裏側は山で、周囲はぐるりと藪が取り囲んでいました。つまり、石段を登った先の参道以外、入り口は無かったわけです。だから、帰るときは鳥居の連なる参道から出る――それが普通だった。だけど、決して入り口以外から出られないわけじゃあない。藪を突っ切ったら――恐らく下り坂になっていて、転がる羽目になるかもしれませんが――地理的に見ても、国道に出られることは明らかでした。
だけど、彼らにその考えは無かった。いえ、正確に言いましょう。選択肢にすらならなかったんです。
「それは、ダメだ。多分」
天然パーマの男性が、恐る恐る言いました。すると、大学生の男女が、彼の言葉の後に続いて、無言で首を縦に振ります。僕は意味が分からなくて「どうして?」と言いました。
「何と言うか……うまく説明できないんだけど。オレらは、参道か、この本殿に居るべきだ。この石畳の外側に出るべきじゃない」
「同感ですな」
「私も、そう思います……」
異口同音に言葉が放たれて、僕はいよいよ訳が分からず、立ち上がって皆の顔を見回しました。
「一回、試してみたら――」
「じゃあガキ、てめえが試してみろよ」
不意に、酷くイライラした口調で、茶髪の大学生さんが僕に近寄ってきました。彼は強い力で僕の腕を引き、有無を言わさず、ずんずんと本殿の石畳の際へと僕を連れて行こうとします。大学生の女性が、焦ったように、彼のその挙動を制止しようとしました。
「ねぇ、やめなよ。子供に当たったって何にもならないじゃない」
「うるせえ、じっとしてるから分からないんだよ! ホラ確かめてみろよ、境内突っ切って外に出れるかどうか!」
僕は男性の鬼気迫るような表情に、強い恐怖と焦燥を抱きました。理由は分からないけれど、この人は僕に物凄く怒っていて、何か危険なことをさせようとしている――そう感じたんです。だから、強く踏ん張って、嫌だ、と大声を上げました。天然パーマの男性も、神主さんも、茶髪の男性を止めようと動きましたが、それよりも、男性の近くに居た女性の動きが速かった。やめてあげて、と、男性の腕を強く掴んだんです。
うるせえ、と、乱暴に茶髪の男性は女性を振り解きました。その勢いで、女性は突き飛ばされるように転んだ。
ええ。あれは、不幸な事故だった。男性はそんなつもりは全く無かった筈です。だけど。
女性は、本殿の周囲を取り巻く石畳の外――境内の砂利の上へと転び出た。出てしまったんです。彼女は、境界を越えてしまった。
「あっ」
嫌な声でした。耳に残る――息を吸い込むのと同時に肺の底から響いたような声。彼女は自分の居場所を知覚した。その顔からは一瞬で血の気が引いて――彼女は不意に、空を仰ぎました。
直後、どん、という大きな音が境内に響きました。樹が倒れたような音です。そしてそれと同時に、女性の腰から上がぐにゃりと歪み、潰れました。
暫く、その場の誰も、何も言いませんでした。場が固まる、空気が凍り付く――表現は色々ありますけど、あの時はまさにそういう状況だった。僕も理解が追い付かなかったんです。あまりにも一瞬の出来事で――そして、生々しすぎた。砂利の上に血が広がり、臭いも――いえ、やめておきましょう。これ以上、あの時の遺体を詳らかにお伝えしても、何の意味も無い。
最初に動いたのは、誰だったかな。多分、僕の腕を掴んでいた、茶髪の大学生さんだったと思います。彼は悲鳴を上げて石畳の上に尻餅をついた。それから、神主さんが僕の身体を強く引っ張り、遺体が見えないように体で遮りました。僕は呆けた頭で茉莉の方を見て――梓馬さんが冷や汗を流しながら、茉莉の目を自身の両手で塞いでいたのを見て、何だかとても安心した覚えがあります。
「なん、な、なん、何だよこれ! おい!!」
再び、茶髪の男性が悲鳴を上げました。天然パーマの大学生さんは彼の腕を引き、無理やり立たせて、落ち着け、と、震える声で言いました。半分は自分に向けた言葉だったのかも知れません。
「あ、あいつ、あいつが、こけて! そんな、だって――」
そこまで言って、男性は口元に手を当て、本殿の後方へ行き、ゲーゲーとやり始めました。神主さんが何か言いたげでしたが、仕方無いと諦めたんでしょう。彼は青い顔で「誰か服を頂戴できませんか」と伝え、意を察したらしい天然パーマの学生さんが、自身が着ていた青いパーカーを脱ぎ、女性の遺体――と言っても下半身だけしかまともに残っていませんでしたが――に被せました。
「つまり」
彼は言葉を続けました
「石畳から出たら『こう』なる、と。……道理で、端に行くだけで冷や汗が止まらないわけだ。とにかく、尋常じゃあない」
例えば、交通量の多い道路。そこに飛び出したら、次に自分がどうなるか――誰でも簡単に想像がつきますよね。その時、彼らが砂利の上を突っ切って藪に入ろうとしないのは、そういう理由だった訳です。石畳の際に近寄るだけで、その境界を越えると、途轍もない危険が身に及ぶ――全員が全員、理由は分からずとも、本能的にそう理解していた。口を出さずとも、認識していたんです。
そして、女性が圧死したことで、その危険は現実であり、まやかしでないことを誰もが知った。
「助けを呼びましょう」
「どうやって?」
梓馬さんが震える声で言った直後、天然パーマの男性が鋭く尋ねました。彼は正しかった。携帯は圏外、石畳から出れば死、参道から出ようとしても『出られない』。お手上げです。完全にね。
え? これは本当の話か、ですか? ははは……最初に言ったじゃないですか。酔った若造のホラ話だと思って、聞き流してくれれば、ですよマスター。むしろ、ホラだと思ってもらわないと。というのも、これから先、もっと胡乱な話になってきますからね。





