クロスファイア - 第10話
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「それで」
布団から上体を起こし、縁側から差し込む陽光に目を細めながら、坂田雨月は言葉の先を促した。
「花子魔術師――じゃなくて、自称ウェンディゴ・アンからは、何か聞けたんですか?」
「いいや、まだ目を覚ましていないからな。余罪もあるだろう。お上からすりゃ色々と聞き出したいのはヤマヤマだろうが、昏睡状態のままでは手の打ちようがない」
「なら、さっさと治療の得意な祈祷師を派遣すればいいのに。涼ちゃんや雨月ちゃんを治療したあのおねーさんとか、結構な凄腕でしょ?」
隣の布団の傍にペタンと座る、黒い長髪にアンダーリムの眼鏡をかけた女性――青樹涼の世話係である式神が、呑気そうに口を挟んだ。彼女は、自身の眼前の布団で眠っている、涼の頬をつんつんと突いている。その涼からは、安らかな寝息が微かに聞こえていた。
「生憎だが、嵩は多忙でな。今も奥の拝殿で、依頼された治病祈祷の真っ最中だ」
「それと、嵩さんは出不精だから」
「引きこもりってこと? ヒッキーさん?」
「ざっくり言うと、そうだ。とはいえ、式神、お前の意見も尤もだ。ブードゥー呪術を用いるウェンディゴなんていう稀有な存在だ、お上は何とかして首輪をつけて利用したがるだろう。その為に嵩が必要なら、いずれ声が掛かるかも知れん」
二十分ほど前に訪れた上司・碓井磐鷲は、そう言って胸ポケットに手を伸ばしかけ、しかし現在地が神社の境内――自身が舵を取る境講のメンバー・卜部嵩の社務所兼住居であることに気を遣ったのか、溜息とともに、胡坐をかいている足へと両手を戻した。いや、涼の――子供の前だから、か。
「一連の事件の報告書については、昨日、この俺が忙しい時間の合間に作ってやった。既に政府には提出済みだ。写しを置いておくから、後で読んでおけ」
ありがとうございます、と雨月は言って、それから、「相変わらず恩着せがましいですね」という言葉を言いかけ、飲み込む。磐鷲は口にしなかったが、政府からはかなりの頻度で催促が来ていただろう。何せ、自分たちがあの屋敷で戦って、救助されて、既に二週間が経過しているのだから。
二週間。
「しょーちゃ……晶穂さんは、もう退院したんですか?」
ここに居ない晶穂の名を出すと、磐鷲は胸ポケットに手を伸ばし、また足に戻して、首を横に振った。
「まだだ。と言っても、お前たち同様、もう意識はハッキリとしてる。リハビリもあるし、退院まではまだ少し掛かるだろう。まず間違いなく、お前たちの方が早く復帰出来るだろうな」
雨月が意識を取り戻したのは、丁度今から一週間前だ。場所はここ、先輩である卜部嵩の住居の一角。八畳ほどの、襖で区切られた和室には、自分と涼だけが布団に寝かされていて、晶穂の姿は無かった。事情を聞くと、特に重傷で、かつ霊的損傷を受けている自分たちは嵩の治病祈祷の対象に、重症だが霊的なダメージまでは受けていない晶穂は民間の医療施設で治療を受けている、とのことだった。
事件の後、晶穂とはまだ、一度も会話出来ていない。何とか時間を見つけて電話をかけてみたりもしたが、生憎、こちらが掛けた時は晶穂が、逆に晶穂が掛けてきた時は雨月が、それぞれ眠りについてしまっていて、タイミングが全くと言っていいほど合わない。メッセージアプリで多少の遣り取りはしたものの、雨月にとって幼馴染と会話出来ないのは、絶食に相当する苦痛だ。眼前のハゲが帰ったら、またすぐに連絡してみよう、と胸中で決意した。
「早く元気になって、お見舞いに行かないと」
「それもいいが、早く職務復帰してくれ。講員五人の内、二人が動けないとなると、まともに講の運営も出来ん」
「それさー、この前も言ったけど、ハッキリ言ってバンシュウちゃんの自業自得じゃん? だって、バンシュウちゃんが雨月ちゃんたちと一緒に現場に行ってれば、皆、こんな大怪我しなくて済んだでしょ?」
「この前も言い返したが、俺には俺の仕事があった」
「女子高生を病院に送って事情を説明して~、って奴でしょ? 良いご身分だよね、その間に皆、こんなにボロボロになってたっていうのに」
「俺はそろそろ行くぞ」
パン、と、パツパツのスラックスの上から膝を叩き、磐鷲は立ち上がった。どうも、あまり突かれたくないところだったらしい。式神は磐鷲に「逃げる気だ、卑怯者だー」などと口を尖らせて言うが、上司は一切気にする素振りも無く、「また来るぞ」と言い残し、縁側へ出てのそのそと玄関へと歩いて行った。
「あたし、バンシュウちゃんの見送りしてくるね」
磐鷲の後を、式神がパタパタと追いかけていく。その姿を見送って、雨月は小さく息を吐き出した。あの快活な式神は、雨月が目を覚ました時には既に涼の傍に居て、甲斐甲斐しく世話をしている。涼の母親を模しているらしいが、当の母親本人は一度も娘の見舞いに来ていないようだ。家族にあまり良い思い出が無い身として、涼や式神にそのあたりを質問してもいいのか、雨月は測り兼ねていた。自分が涼の立場なら、あまり他人に突っ込まれたくないと思うだろうが――。
「聞いてもいい?」
――不意に隣から声がして、雨月は声を出しそうになった。縁側と逆、和室中央に目を向けると、布団を肩まで被ったまま、涼が天井を見上げている。
「起きたのね。お腹減ってない?」
「あの暴力女――雷瑚って、魔術師なの?」





