クロスファイア - 第7話
――どうして、坂田はさっき、口を挟んだのかな。
「もう、涼ちゃんったら、完全に固まっちゃって。もっと気楽に生きましょ? Take it easy! ね?」
「……人間を喰ったって、いま坂田が言ったけど」
「その通り。とっても不思議な話なの」
アンは両手を前方に突き出して、じっと自らの指先を見つめた。如何にも、自身が奇異なものを目にしているかのように。
「きっと、単純な食人では『こう』はならないんだと思うの。推測だけど、ある程度の霊的資質がある人間を食べて――もしかすると、他にも幾つかの、何らかの条件を満たして――初めて『こう』なる。
そうそう、この国は好きよ、私。鬼、っていうピッタリな訳語があるから。私の故郷じゃ、demonなんていう美しくない言葉しかなくて。正しくは? この除霊師さんの言う通り、『ウェンディゴ』が種を表す言葉なんでしょうけど? 私は『鬼』の方が好き。妖しくて、怪しくて、魅入られる。そう思うでしょ?」
「だから、わたしもウェンディゴになれ。……そう言いたいわけ?」
「『鬼』よ。『食べるもの』もホラ、ここに」
だん、と、アンは思い切り右足で踏みしめた。ごきん、と、嫌な音が鳴って、踏みつけられた雨月の左手が、その指が、奇妙な形に折れ曲がる。
「私とは相性が悪かったけど、この人はとてもとても立派な除霊師だわ。涼ちゃんを鬼にするには、きっと十分なはず。ね?」
アンはにっこりと笑った。嗤いではない。裏表のない、子供のような笑みだ。
「お友達になりましょう?」
――死にたくなければ。
涼は胸中で、相手の言葉の続きを読んだ。読みながら、考えていた。雨月が口を挟んだ意味。ウェンディゴ。何かのヒントだったのかもしれない。だが生憎、そんな化け物の伝承など、涼は聞いたことも無い。晶穂であれば、アンの正体を知って、何らかの手を打ったかも知れない。たった一度、共に事件に臨んだだけだが、晶穂はそういうタイプだ。相手の手を読み、策を読み、罠を張って、勝利する。だが、自分はそうではない。もしかしたら、伝承的にウェンディゴとやらには何らかの弱点があるのかもしれないけれど、自分はそれを知らない。知らないのだ。だから――。
『全部燃やしちゃえばいいじゃん』
『力任せは通じない、っつっただろうがアホ』
――こういう場合は――。
『分析、推論、仮説検証だ』
「――分かった」
涼は呟くように言った。
「今日からわたしは、アンタの友達」
言って、アンへ向かって歩き始める。アンはぱちぱちと手を叩いている。実に嬉しそうに。
「決断が早くて素敵よ、涼ちゃん。前にも言ったけど、私、才能のある人が好きなの。知ってる? 決断の速さも、才能の片鱗なのよ」
「あっそ。知らなかった」
ぶっきらぼうに返して、涼はアンのすぐ目の前に立った。奇しくも、目線はほぼ同じ高さにある。涼はアンの、黄金色の瞳を見つめた。その中に映る自分の姿も。
「で、食べるって言うけど、もしかして、『なま』で?」
「私の時は、『なま』だったかなぁ。魔女で、私の村では罪人で、縛られてて。だから、私は子供だったけど、簡単に肉を削げた。そういう訳だから、焼いても大丈夫か、とか、そういうのまでは――」
「ねぇ。当ててあげよっか」
「……なに?」
言葉を被せて言うと、アンは不思議そうに首を傾けた。
その真正面に立ったまま、涼は淡々と続ける。
「さっき、クイズに答えてあげられなかったから。だから、当ててあげようと思って。
『どうしてアンタが、人間なんて食べようと思ったか』」
相手の黄金色の瞳が、小さく揺れた。
返事を待たず、涼は告げた。
「『好奇心』――お腹が減ってて他に食べ物が無かったからでも、その人が憎かったからでもない。アンタはただ、単純に、『人間はどんな味なのか』『人間を食べたらどうなるのか』を知りたいと思った。だから、食べた。……ううん、もっと言えば」
倫理的に不愉快な言葉を連ねながら、一方で、涼は自分でも驚くほどに落ち着いていた。頭の中では晶穂の言葉が巡っている。いつか旧い小学校で出会った、メアリーと名乗る魔術装置防衛システムの姿が巡っている。この屋敷に来た自分とアンとで交わした言葉が、巡っている。
『友達が欲しいって、思うこともあると思う』
「アンタ、寂しかったんでしょ」
ガタガタと、一つだけある窓が風を受けたのか、強い音を立てた。
書斎に闇が満ちていく。雨月から流れる血の匂いが、本棚の間に充満していく。
「寂しかったから、それを誤魔化そうとして、自分にブレーキを掛けなかった。何かを追っていれば、寂しさを忘れられるから。
わたしを鬼にしたがるのもそう。戦う時に鬼ごっこだなんだ言って茶化すのもそう。子供が好きな怪談を使った魔術装置を作ったのもそう。その防衛システムが子供の姿だったのもそう。全部全部、寂しいから」
アンは、小さく、わらった。
涼は、構わず、続けた。
「アンタの頭の中にあるのは、寂しさだけ。だけど、アンタの気持ち、ちょっとだけ分かるの。アンタ、ちょっとだけわたしに似てるから。わたしが除霊のおしごとを始めたのも……多分、寂しかったからだから。多分、だけど」
「そうなの。そうなのね。そう」
アンは深く溜息をついて、それから、ゆっくりと涼の手を取った。
雨月の血がべったりとついていて、その手はぬるりとしていた。
「私たち、きっと親友になれるわ。気持ちの通じ合った、真の親友に」
「……そう思う?」
「ええ。間違いなく……!」
「あっそ。けど、わたしはそうは思わない」
告げた直後。
涼は全力で、アンに掴まれた右手から、炎を生んだ。満ちてきた闇は一瞬で斬り裂かれ、書斎は煌々とした炎の輝きに照らされる。
「涼ちゃん?」
アンの手は、体は、服は、燃えない。涼はそれを見て。
笑った。
「どう見ても耐火服じゃないのに、燃えないのね。ってことは、『ウェンディゴは炎に強い』んじゃなくて、『ブードゥーの術で炎を防いでる』って、天才霊能力者であるわたしは分析する!」
右手から生み出した炎が、書斎の天井まで伸びていく。焦げた匂いが充満し始め、かびた空気が炎に渦巻いていく。
「分析その二! 周りが焦げてるってことは、ブードゥーの防火術は、アンタが意識を向けている場所か、アンタの体の極々近辺だけしか護ってくれない!」
「涼ちゃん」
「分析その三!」
「涼ちゃん!」
「この程度でキョドるメンタルであたしに勝とうなんて、百年か二百年くらい、はやい!!!」
アンの右手を掴み返しながら、彼女は強く言い放った。言い放ちながら、瞬時に炎を足元へと走らせた。一斉に噴煙が巻き起こり、目前にあった黄金色の瞳が、薄汚れた灰の空気に掻き消される。
そこからの攻防は、一瞬。一瞬と言って、何ら差し支え無かった。
アンが、右手に暴力的な力を籠める。涼は代わりに、脳裏に克明にイメージした。足元、木製の床、その下に、ミリにも満たない規模の極小の炎を。結果、瞬間的な熱量で床板下の微かな空気が圧力を増し、直後に発生した爆発で弾けた床板が、猛スピードでアンの右腕に食い込む。
「分析その四! 炎は効かなくても!!」
無数の火花が書斎中に散りばめられる中、涼は間髪入れず、右腕に食い込んだ床板で血を流すアンの、その胴体を蹴り飛ばした。それから、足元に倒れていた雨月の腕を引っ張りつつ、威嚇代わりに床と天井を繋ぐ炎の柱を一つ生み出し、その陰になるようにして、アンから距離を取る。
「アンタは、物理的な、衝撃までは、抑え込めない! でも、痛みを、我慢、出来るのは、凄いと思う! 普通に! あと、坂田重い、もう!」
「涼ちゃんの、嘘つき」
アンが、腕から強引に床板を引き剥がした。右腕に滴っていく血を、舐るように啜る彼女を視界に入れつつ、涼は雨月を引き摺りながら、部屋の隅へ向かう。その最中でも、炎柱の向こう、相手の一挙手一投足から、視線を外さない。
考えねば。
炎が効かなかろうが何だろうが。
彼女に。
勝つ術を!
「友達になるって、言ったくせに。嘘つき……」
「嘘? アンタ、何十年生きてるか知らないけど、何にも知らないんだ! 友達ならケンカ位するもの! って、ウチの式神が言ってた!
あと、こーえいに思いなさい!! この天才霊能力者リョウ・アオキが、ついでに、サービスで、もう一回!! アンタに教えてあげるから!!」
傷だらけ、血塗れの雨月を、涼は壁際に乱暴に置いた。そして、未だ蜷局を巻く炎の渦で出来た柱、その向こうにいる、小柄な人影へ。
「鬼だろうと何だろうと!」
涼は、言い放った。
「わたしに、燃やせないものは無し!! なの!!」





