クロスファイア - 第3話
晶穂の言葉を受け取り、共に声を上げて、雨月は全力で足場を蹴った。一瞬で彼女らの体躯は『アン』と名乗る魔術師の直前にまで届き、晶穂は握り締めた両腕を、雨月は強く体を捻じって足を、それぞれ振り下ろし、振り上げる。手応えがあった。アンの体は亜空間を真っ直ぐ吹き飛び、雨月は瞬時にそれへ追撃する。
宙を往くアンへ、晶穂が再び両腕を掲げた。
「いっせーのー!」
「で!」
再度、体を捻じる。思い切り。他者を『食った』ばかりの雨月の体躯から陣風と共に吐き出された蹴撃と、魔に塗れた晶穂の渾身の一撃がアンの頭部に直撃したのは、その直後だった。
再度、確かな手ごたえがあった。骨を砕く、こちらの骨身にまで染みる強い衝撃。
にもかかわらず。
「いいの?」
アンは――口元しか見えなかったが、間違いなくその口元で――笑っていた。
「私にばかり構って」
――足首に、何かがまとわりついた。振り払う前に、雨月は後方からやってくる轟音の正体に気付いた。そして、宙でそれを避けることは、自分には困難であることも。
雨月は晶穂の名を叫んだ。晶穂はぐるりと雨月の腰回りに足を絡め、強く息を吐き出して、両の掌を大きく広げる。放たれた魔の力を推力に、彼女らの体躯は、雨月の足に絡みついた真っ白な手を強引に振りほどき、かつ後方から雪崩れ込むように襲ってきた炎の渦から間一髪で逃れる。そのまま亜空間を上昇した雨月は、やがて晶穂の力がエネルギー切れを起こす前に、手近な本を見つけ、新たな足場とする。
「素敵な連携ね」
亜空間を漂いながら、アンが嗤った。雨月は改めて周囲に目を走らせる。数メートル下には魔術師・アン。数メートル上には亜空間の入り口と蛇のように伸びた真っ白な手、そしてそれとほぼ水平方向の位置に、本に乗った涼。
二対三、だ。それだけならまだいい。最も宜しく無いのは。
「涼は火炎放射器代わりか。舐めた真似しやがって」
「全力で攻撃したのに、殆ど効いてないみたい」
放った言葉は、晶穂とは違った。アンが宙を魚のように漂いながら笑う。息が合ってるのか合ってないのか、と。
そして。
「ま、どちらにしても」
そう、嗤いながら言って。
「タッチされたし、今度はこっちの番ね。さぁ」
アンはぐるりと首をこちらに向けた。
「遊びましょ。タグ――こっちでいうところの『鬼ごっこ』。次は」
瞬きの間に。
「私が鬼」
間合いを詰めたアンが、両腕を雨月の首へ伸ばしていた。後方からは再びの轟音。猛る炎の音。
挟撃。
今度は躊躇なく、雨月は跳んだ。宙に散らばるハードカバーの本を瞬時に見回し、その位置関係を頭に叩き込みながら、後方から際限なく放たれる炎と伸びてくる白い腕、そして緩急をつけて迫りくるアンから逃れるべく、跳ぶ、跳ぶ、跳ぶ。亜空間を、宙を、弾丸のような速度で跳ねまわる。
「あら凄い。人間業とは思えないくらい」
ぐんと、また、息がかかる程の距離をアンが詰めてくる。雨月は体を仰け反り、彼女が伸ばす腕を回避した。その最中で。
「随分と単調だなオイ」
晶穂は左手で右腕を固定し、青紫色に輝く眩い魔の光を放った。レーザーのように真っすぐ進むその光は、直撃したアンの右顔面を吹き飛ば――。
「あなたの方は無力ね。とっても」
「――しょーちゃん、ごめん!」
右顔面にはかすり傷しかついておらず、狙いを晶穂に切り替えたアンの姿を見て、雨月は晶穂を全力で上方へ投げ飛ばした。うえええ、と、驚愕の悲鳴を上げながら、晶穂は亜空間の入り口よりも更に高く高く飛んでいく。残念ながらアンの言葉は事実だ。余程の力を込めない限り、晶穂の攻撃力では敵への有効打を期待できない。だが、彼女は彼女の役目を十分に果たした。ここからは。
「ターゲット変更」
呟き、全力でアンから離れる。更に追随しようとするアンと、再び始まった後方からの炎をギリギリで躱しながら、雨月は本の飛び石を力任せに跳び回った。矢のように雨のように降り注ぐ炎と、迫りくるアンの体躯の隙間を跳び回り、跳び回り、跳び回りながら――。
「――涼ちゃん。『ゾンビ』って知ってる?」
涼へと跳んだ。
「知ってるわよね。動く死体。あれ、具体的には、ブードゥーの呪術師が、他人の魂を奪って操る、っていう術を使った先で生まれるもので――」
「――お喋りなんて、随分と余裕ね?」
眼前に、アンが躍り出た。雨月は内心笑い出しそうになりながら、跳ぶ勢いのまま、アンの顔面へ握った右拳を突き出す。
アンはそれを、容易に掴んだ。
「捕まえた」
激痛が右拳から全身を走る。掴まれた右手は紙くずのように握り潰され、亜空間を血飛沫が舞う。
その最中で。
「人形遊びは卒業済みでも――」
雨月は潰された右手を支点に、全力で下半身を持ち上げた。そして、そのままアンの頭上一メートル程に浮遊していたハードカバーの本を――。
「知能がガキ程度じゃたかが知れてるわ、はなこ魔術師さん」
――思い切り、蹴り飛ばした。
「何を――!」
叫ぶ途中で、アンはこちらの思惑に気付いたようだった。彼女は雨月の手を放し、焦ったように自身の体を翻し、後方へ――つまり、涼の元へと飛ぶ。
「残念、手遅れ」
雨月が呟くのと、蹴り飛ばした本が、涼の足元の本へと激突するのは、ほぼ同時だった。ビリヤードの玉突きのように、涼の足元の本は吹き飛び、涼は亜空間に投げ出される。そんな涼の体躯をアンは飛んで拾おうとし、その背は無防備のまま雨月に向けられる。
――アンはここを『遊び場』と呼んだ。
雨月は体を捻じり、魔術師の無防備な背中へ、長い足を振り下ろす。
――晶穂が戦った魔術師は、ブードゥーの呪術師だった。
アンを背中から蹴り飛ばす。涼の右手からこちらへ向けて炎が放たれた。蹴りの衝撃を使って更に上方へ跳び上がり、また一冊、足場として撒かれている本の底を蹴る。
――あの五月蠅い涼が一言も発さない。それどころか、こちらに炎を放ってくる。
「つまり、アン。あなたは私たちを嬲る遊び相手に涼ちゃんを選んだ――この子が抗えないように、魂の幾許かを奪い、半ゾンビ状態にして」
右手は、潰れた。だが、まだ手はもう一つ残っている――雨月は痛みを噛み殺しながら一息に涼へと近づき、その頭を左手で掴む。
「そこまでして手に入れたかった遊び相手を殺されたら、逃げる気なんて無くしちゃうわよね?」
宙を飛びながら辛うじてこちらを振り返ったアンの目には、驚愕の二文字が浮き出ていた。雨月は。
「そういう訳だから。ごめんね、涼ちゃん。私たち、ゾンビになった人間を元に戻す方法なんて知らないから――」
嗤った。
「――あなたを殺すわ」





