ブラック - 第6話
●
「清水剛、大学生、歳は十九。おっ、明後日で成人じゃねーか。めでてーな」
助手席に座る、雷瑚、と名乗ったその女性は、実に軽い口調で言った。はぁどうも、と僕は頭を下げつつ、突然押し込められた真っ赤なスポーツカーの運転席に座る一人の男性を、バックミラーを介して窺う。
……年齢は、四十歳くらいだろうか。深夜二時にもかかわらず、彼は真っ黒なサングラスをつけていた。アビエイタータイプ――マッカーサーが身に着けていたアレだ――のレンズの奥の瞳は全く見えない。しかし、恰幅の良い体格にハリのある黒いスーツ、真っ白なシャツに赤いネクタイ、そして美しいほどに見事なスキンヘッドは、一言も発しない彼の静かな迫力とも相まって、僕にとある疑念を想起させた。
――もしかして、危険な団体の方々なのではないだろうか。
「両親はお前が二歳の頃に他界。それからは親戚に引き取られて育てられる。現在は奨学金&アルバイトでの苦学生生活。成績もそこそこ優良。記録上、前科も無けりゃ、目立った喧嘩をしたような話も無い」
「あの」
「何だ?」
「その……僕の個人情報は、どこで?」
「こんなもん、調べようと思えば幾らでもやり方はある。続けていいか?」
そう言うと、雷瑚さんは一つ、大きな欠伸をした。サングラスの男性は何も言わずハンドルをきり、夜道を進んでいく。僕を何処へ連れて行くつもりなのか――そう尋ねるよりも先に、雷瑚さんは言葉で僕の行動を制した。
「何処に行くのかは追々説明する。ただ、お前も考えてる通り、状況は結構ひっ迫してる。だからよく思い出して答えろ。念の為の確認だ。最近、変なモン買ったり拾ったり、変な場所に行ったり、ってなことは無いよな?」
「……ありません」
「『壁』が見え始める前後で、何か記憶に残ってる出来事は無いか?」
「……無いと思います」
「だとよ、ボス。やっぱ、あんたの見立てでほぼ間違いなさそうだ」
ボス、と呼ばれた男性は、何も言わず、静かに片手で胸ポケットをまさぐった。やがて器用に煙草を一本取り出し、くわえ、ジッポライターで火をつける。
「吸うんなら吸うって言えよな。臭いがこもるだろ」
「俺の車だ」
男性が低い声で言うのと、雷瑚さんが走行中の車の窓を開けるのは、ほぼ同時だった。赤いスポーツカーは狭苦しい住宅街から国道に出たようで、真っ暗な夜道をひた走っているようだ。ちなみに、『ようだ』というのは、後部座席に座る僕から見て、雷瑚さんの丁度前辺りに真っ黒な『壁』が浮かび上がっているため、満足に前方が見えないことに起因している。
「えーっと、で、どこまで話したっけ? あ、そうだ。結論から言うとな、剛。お前多分、一族全体で呪われてる」
「……はい?」
「戸籍を辿っていくとな。お前の父方の親戚――正確に言えばお前と『血の繋がり』がある人物の悉くが、事故や不審死で亡くなってる。享年はまちまちだが、全員二十代だな」
煙草の臭いが漂う中、僕は雷瑚さんの言葉を、口をぽかんと開けて聞いていた。呪われてる? 一族が?
「具体的に何を切っ掛けとした呪いなのかは分からん。だが、今から百二十年程前、お前のご先祖様が働いていた炭鉱で、デカい事故が在ったらしいことは分かった。生存者はお前のご先祖様一人だけ。だが、生き残ったそのご先祖様も、翌年、『落石による』事故で亡くなってるそうだ。信憑性は薄いが――」
「俺の調査結果だぞ」
「あーはいはい、老成持重なボスの調査だ、そりゃ手抜かりや下らね―ミスはございませんでしょうよ。じゃ、調査結果通り伝えるぜ? 『元炭鉱労働者・清水宗右衛門の亡骸は四肢の千切れたる無残な有様たり。されど奇なることに、彼の者を圧し潰したる巨石、終ぞ見つけること能わず』――何処にこんな記述残ってたんだ?」
「葬儀を執り行った人間の手記だ」
「つまり坊さんの日記を盗み見たわけか」
「真っ当な手続きの上での閲覧だ」
運転席と助手席に座る二人の遣り取りを耳にしながら、僕は正面の真っ黒な『壁』を見つめ、考えていた。例外なく死んでいる僕の血縁者。炭鉱事故。一人だけ生き残った先祖。そして――『壁』。
「呪い……」
「信じられねーか?」
まさか、と僕は応えた。実際にその『呪い』は、僕の目の前を憑いて回っているのだ。それに抗い、否定出来るほど、僕は現実逃避の上手い人間では無い。
「その。こういうのもおかしな話なんですが」
「何だ?」
車は高速道路に入ったらしい。ETCゲートを通って、僕らを乗せたスポーツカーは、交通量の少ない大幅な道路へと踏み込んでいく。どうやら、かなり遠出になりそうだ。
「助かる方法は、あるんでしょうか」
「まともなやり方じゃあ無理だな。お前の呪いは、道具や儀式による一般的なそれとはまるで事情が違う。言っちまえば、お前の体自身に刻み込まれてる時限爆弾みたいなもんだ。引き剥がすのも破壊するのも現実的じゃあない」
「なら」
「落ち着け落ち着け。あたしらだって、無策で深夜二時に突撃する程、考えなしじゃあない。ま、詳しくは現地で話すから、暫く大人しくしてな。……ボス、到着はいつ頃だ?」
「このまま混雑しないなら、日の出前には着く」
「げっ、じゃああと二、三時間掛かるのかよ。くっそ、やっぱド田舎はあたしにゃ向いてねえな。どうせ電波も通ってねえだろうし」
「ド田舎?」
「ああ。……あっ、そうだった、そういやぁ何処に行くのかも言ってなかったな。悪い悪い」
そう言うと、雷瑚さんは助手席からこちらを振り返り、ニッと笑って言った。
「目的地は炭鉱跡――お前のご先祖様が『呪い』を受ける元になった場所だ」