プリディクション - 第24話
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エリザベス、と名付けられた防衛システムは、暫し呆然と眼前の光景を見つめていた。
崩壊した陸橋。
燃え上がる幾つもの乗用車と、積み上げられた瓦礫の山々。
何処に居たのか、片田舎には珍しいほどの人間が道路に出て、やれ救急車を呼べだの、何がどうなってるだのと叫んでいる。
その、中央に。
彼女は立っていた。
片手には、一人の男子学生。呻いているところを見ると、生きてはいるらしい。その背中にはカッターナイフや木の枝、鉛筆、包丁など、先ほどエリザベスが放った矢の数々が突き刺さっている。
――あいつ、他人を壁にしたんだ。
宙に放り出された人間たちの位置関係を思い起こせば、確かに出来ないことでは無かった――エリザベスが答えに辿り着くと同時に、道路の中央で唯一人立っている除霊師は、片手で首根っこを掴んでいた男子学生から手を離した。可哀そうに、学生は呻きながらアスファルトに突っ伏し――除霊師はヒラヒラと片手を振っている。「あー重かった」とでも言うように。
それから、除霊師はスタスタと後方へと向かった。何を目的としているのかは分からない。けれど、何故か、その背に向けて矢を放つことを、エリザベスは躊躇っていた。予感のようなものがあった。恐らく。
いま撃っても、すべて迎撃される。何らかの力で。
「あーあ……」
何かを拾い上げながら、除霊師が呟いている。その背に、どうやら近隣の住民らしい男性が近づいていく。大丈夫ですか、と声を掛けながら。が。
男性の手が、除霊師の肩に置かれた瞬間。その男性は突然、つんのめったように体勢を崩し、地に倒れた。
「眼鏡、壊れちゃった」
倒れた男性など、意にも介していない。ただ、拾い上げた、フレームのひん曲がった、自身が直前まで身に着けていたその眼鏡を、愛おしそうに撫でている。除霊師のその様は、どこか狂気を孕んでいて――エリザベスはようやく、自身の使命を思い出し、両腕を除霊師へと向けた。
刹那。
除霊師が、ぐるんと首をこちらに向けた。
「見つけた」
彼女は笑っていた。額から一筋の血を流し、スカートと白いシャツは泥と煤で黒く汚れ、肩や脇腹には複数の切創が痛々しくこびりついている。その中で、彼女は笑ったのだ。その瞳はグラグラと揺れている。やはり、どこかおかしい――そう考えると同時に、エリザベスは『矢』を撃ちだしていた。
それは、本能と言えた。防衛システムたる自分に、果たしてそんなものが本当に存在するのか、それは分からない。分からないけれど、彼女は予感したのだ。迎撃されるかもしれない。だが、やるしかない。
一刻も早く殺さなければ――。
「鬱陶しい」
除霊師が呟いた。次の瞬間、その姿は、燃え上がる乗用車の傍へと移動していた。何をするつもり――そう考える暇も無かった。除霊師は乗用車のボンネットを一瞬にして引きはがし、自身へ迫りくるエリザベスの矢の、その悉くを受け止めた。
炎の猛る夕暮れに、雹が降り注ぐような、けたたましい音が連続して響く。
その最中。
除霊師は、呟いた。
「早く殺さなきゃ」
「死ぬのはあんたよ!」
エリザベスは叫んだ。姿を消すために使用していた力も含めて、すべての力を『矢』を引き寄せるために用いた。途端、遠く空に蓄積していた残弾の全てが、彼女の周囲に展開される。そして、それらをすべて撃ち出し――。
「遅い」
不意に、視界がブラックアウトした。いや、違う。いつの間にか、凶悪なまでの力で、顔面を掴まれていたのだ。視界は完全に覆い隠され、そしてそれからの暫くの時間――地獄が始まった。
彼女に、矢を放つ時間、余裕、余力――そんなものは一切無かった。除霊師は彼女の頭を掴んだまま縦横無尽に、猛然と、疾風のように駆け、道路へ、燃え上がる乗用車へ、崩れた陸橋の瓦礫へ、エリザベスの全身を厭というほど叩きつけた。その様は獣のようで、嬲られる自身は暴風に絡めとられた一本の小枝でしかないことを、エリザベスは悶えるような激痛の中で思い知った。
「あの眼鏡はね」
ひとしきりの暴力を終えて、道路を陥没させる程の力を以てエリザベスを叩きつけた除霊師は、息一つ乱れていなかった。彼女はエリザベスを見下ろしながら、ゆっくり、宥めるように告げる。
「親友からの大事な、大事な贈り物だったの。それを、こんなにボロボロにして。悪い子だわ」
「よく……言うわね。他人を盾にした、ゲスの、くせに……除霊師の、くせに……!」
「あなたが他人を巻き込ませたのが悪いの。私だって『極力』、こんなこと、したくなかった。
でも、仕方ないじゃない。あなたの『呪い』、放っておいたら、いつかしょーちゃんを傷つけるかも知れないもの」
「しょーちゃん……?」
「私の親友の名前。しょーちゃんは私より弱いから、こんな呪いを受けたら、きっと死んじゃう。だから私は、早くあなたを殺さなきゃ。ここで逃せば、いつかあなたは、しょーちゃんに呪いを向けるかも知れないから。ね、そうでしょ?」
「わたしを殺したって――」
「解呪したことにならない? 嘘ね。あなたは小学校に仕掛けられていた魔術装置の『防衛システム』とは、若干性質が違う。話に聞いた魔術装置は、それ単独で作動するマシンで、『防衛システム』はあくまで邪魔者を排除するための存在だった。だけど、この呪いは違う。涼ちゃんが呪いの発動元である白符を燃やしても、こうして私が狙われ続けたのが、何よりの証拠」
こいつ――エリザベスは胸中で吐き捨てていた。白いシャツは血と煤と泥に塗れ、その体躯は既にボロボロだ。自分と変わらぬ程にボロボロだ。その筈なのに。
目の輝きが、異様だ。





