プリディクション - 第23話
「先生。つまり――」
「遥に物騒な予言をしたのが、こいつらだった、ってわけだ。プラシーボ効果、って聞いたことあるか? 自分が呪われてると思い込んじまうと、それがストレスになって、実際に体調に影響が出ちまう、って奴だ。
ありゃあながち馬鹿にしたもんでも無くてな、魔術や呪術には、対象者にそういったストレスを敢えて与えることで、より効果を高めるものがある。
で、こいつらはそれを遥に――いや、遥だけじゃねえか。大勢の人間に似たようなことをして――操って、時には、罪まで犯させてるんだろう。
……ああ、胸糞悪ぃな。罪の強制――」
先生が小さく息を吐いた、瞬間だった。
正面の瓦屋根が、一斉に砕けて割れた。夕陽の中、派手に音を立てながら。あたしはびくりと体を縮こませ、その一方で目撃する。
少女の、眼前に巡っていたプランシェット群。それらが。
消えた。
「あたしは邪悪なんかじゃない」
少女が呟くように言った。彼女は右手を真っ直ぐこちらへ向けていた。夕陽を背にする小柄なその体躯は、真っ黒に塗り潰されていて――あたしはそれを、まるで影法師のようだと思った。
風が、強く鳴く。
少女が、差し出した右手を、グッと握る。
次の、瞬間。
「だって、あたしたち、ただ遊んでるだけだもん」
先生は強く屋根を蹴り飛ばし、宙へ跳んだ。あたしを抱えたまま。直後、先生が蹴り飛ばした家屋の屋根が、破壊音と共に大きく抉れた。
空気が、大爆音を立てて爆ぜる。
「鞭、か」
宙で、先生は冷静に呟いた。その言葉の通り、先ほどまで魚群のように宙を泳いでいたプランシェット達が、今は縄状に連なり、一本の鞭と化して、抉った屋根の上に横たわっている。そして、あたしの驚愕など知ったことかという風で、それはビクンと屋根の上で、蛇のように跳ねた。
「あ、あれも魔法、ですか!?」
「魔法っつうとちょっと語弊があるが、まぁ似たようなもんだ」
互いに固定し合い、一本の縄と化したプランシェットの鞭が、宙に踊り出た。そして、荒れ狂う蛇のように、夕陽の大気を縦横無尽に跳ね回る。生み出された突風は周囲の家々の瓦を吹き飛ばし、鞭の衝撃は四方八方の屋根を打ち砕いた。周囲は破壊の音で満ち満ちて、あたしはそれを先生の腕の中で見つめていた。真っ黒な暴風を見つめるしかなかった。
「あたしたちを悪者扱いする大人はね」
プランシェットの鞭が、しなり、大気を斬り裂いてくる。先生を追って。あたしは叫んだ。屋根すらバターのように抉るそれが、先生の体躯を捉えたら――!
「みんな荒縄で絞首刑にしちゃうから!」
「なんだ、鞭打ちじゃねーのか」
「先生ッ!!」
あたしは見た。平然と言い放った先生の眼前に躍り出た鞭の先を。それはまさしく一瞬の出来事だった。鞭は容赦なく、その身に纏う暴力的な力で、先生の顔を抉り。
撃とうとした。
けれど。
「む――!」
先生は、踊る鞭の先端を、片手でガシリと掴んだ。
「鞭って掴めるものです!?」
「掴めるの、へえ凄い! だけど――!」
それがどうしたの、と、少女はけたたましく笑った。それは壊れた玩具を彷彿とさせる無邪気で不気味な笑い声で、最中、先生が掴んだ鞭は、宙空でばらりと瓦解した。それで、あたしも思い出す。そうだ、これは鞭じゃなくて、鞭の形を成したプランシェットの群れだったんだ。つまり先端を捉えても――。
「無意ミ――」
少女が、悪意を剥き出しにして嘲笑した瞬間だった。宙でばらけ、先生が掴んだものを起点に、ハングマンズノットの結び目を作ろうとするプランシェット群――それらを伝うようにして。
紫色の雷が、夕陽射す中空を劈いた。
「え」
呟いたのは、少女だったか、あたしだったか、両方だったか。どれにせよ、間違いのないことが一つ。
先生の掌から放たれた紫電が、プランシェット群を伝って、その大元に居た少女の体を貫いていた。
「え」
「悪いな。あたしは呪具使いだ。お前みたいな呪いの掛かったモノの扱いにゃあ慣れてる。呪具を伝って攻撃を伝導させるくらいなら、目を瞑ってても出来るぞ」
先生が崩れそうな屋根へと軽やかに降り立つのと、雷で焼け焦げた少女が膝をつくのは、ほぼ同時だった。先生はゆっくりと歩きだす。立てない少女へと向かって。
「まぁ、通じないだろうが。もう一回だけ言っておくぜ。
お前らは、邪悪だ。その中でも、お前が防衛システムとして配備されたウィジャ盤の術は、眩暈するくれえに殊更邪悪だ。
何も知らない人間を一方的に巻き込み、最終的には罪までなすり付ける。……なんだっけ、『遊んでるだけ』?」
「そう、よ。そう。あたしたち、遊んでる、だけ。悪くなんて、ない」
悪いのは――そう、少女は焼け焦げた体で呟いた。
悪いのは?――そう、先生は冷たい目で少女を見下ろし、尋ねた。
「遊ばれる方――!」
「寝惚けんなクソガキ」
渾身の力で起き上がり、襲い掛かろうとした少女へ、先生は左の掌から、容赦なく紫電を放った。……顔の崩れた少女が、仰向けに屋根の上に倒れこむ。そして。
少女の体は、灰と化した。
「……ふぅ」
最期を見届けて、幾許か気が緩んだのか、先生は大きく息を吐いた。その横顔には小さな生傷と、拭いきれない脂汗が張り付いている。
「先生……」
「ああ、怖い目に合わせて悪かったな、栄絵。だが、混乱で暴れたりしなくてくれて、助かったよ。よく落ち着いて居られたもんだ」
先生はそう言うが、意図せず守ってもらうことになっている時点で、あたしは先生にとって大きな重荷だ。今も普通に抱きかかえられているけれど、そんな中での立ち回りなど、怪我が悪化する一方に違いない。……だけど、そう言って「下ろしてくれ」と頼んでも、先生は首を縦に振らなかった。
「まだ何があるか分からねーからな。あいつのところに辿り着く直前までは、済まねえがこの体勢で進ませてくれ」
「でも――」
「なに、それなりに鍛えてるからな。大丈夫さ。……それより」
そう言うと、先生は少し押し黙った。怪訝に思って顔を覗き込むと、先生は真剣な眼差しで、何かを思い出そうとするかのように、一人ボツボツと呟いている。
「縄……遊び……強制……」
「ど……どうかしました?」
不安に思ったあたしが尋ねると、先生は「いや」と、わざわざ口に出して答えてくれた。そして、少し頭を振る。
「大昔にあった、胸糞悪い事件を思い出してただけさ。多分、関係無え」
「さて。それはどうでしょうか」
――不意に。あまりにも不意に、夕暮れの高い空に、高い声が響いた。
先生が弾けるように正面を向き、あたしの体を――目を覆うように抱きかかえこむ。その直前、あたしは見た。
正面前方――十数メートルほど先の家屋の上。そこに。
一人の女性が、静かに、石像のように佇んでいるのを。
「ロア――!」
「ご機嫌よう、除霊師の方」
――どこか不気味なほどに澄み切った、高い、美しい声だった。





