プリディクション - 第18話
「えいっ!」
ぱちんと、大井さんが決死の声を上げ、あたしの眼前で両手を叩き合わせる。結果、宙を駆けていたプランシェットは、彼女の両手にがっしと掴まれた。きっと、勢いを殺されていたことが功を奏したのだろう。直前に……先生の体を貫いたから。
「――先生!!」
全てが終わってから――どうして一欠片も動けなかったのか、自分で自分を絞め殺してやりたい!――あたしはすぐさま先生に駆け寄った。先生が、どう、と俯せに倒れこむ。あたしはその体を抱き上げ、仰向けにしてから、何度も何度も同じ言葉を告げた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!
「あたしのせいで!」
「栄絵、遥!! 怪我は!?」
「ごめんなえええ!?」
目を見開き、口の端から血を流しながら、先生はあたしの腕の中からガバリと起き上がった。あまりの勢いにあたしは口をパクパクさせつつ、ひとまず首を振る。大井さんも。
「怪我は無いんだな!? そうか……ふぅ、ちょっと焦っちゃったぜ」
「お陰様で……ってそうじゃなくて! 先生、動いちゃダメです! 血、血!!」
先生の着る白衣の下、紫色のノースリーブシャツの、丁度脇腹のあたりから、赤黒いシミが広がっていく。あたしは慌ててハンカチを取り出し、先生を再度寝かせて、強く傷のところへ押し当てた。
淡いピンクのハンカチが、一瞬で血の色に染まる。
「遥、さっき言ってた女の子ってのはまだ窓際に居るか? それと、さっきのプランシェットの欠片はどこに行った?」
「わ、わたしの手の中にあります! もぞもぞ動いてます、気持ち悪いです! あ、あと女の子は……まだ居ます! すっごく怖い顔で雷瑚先生を睨んでます!!」
「オーケー、ナイスキャッチだ遥。しかしなんだ、近くに居るのに睨んでるだけか? いや待て、もしかするとプランシェットが唯一の攻撃手段だったか? ならどうして遥の手を吹っ飛ばさない? それくらいの出力はある筈……」
「ふ、吹っ飛ばされるんですかわたしの手!」
「いいから先生、まず自分の怪我の心配して!!」
「あたしと栄絵だけ狙った……遥には傷をつける気が無い……? だとしたら違いは……」
「せ、ん、せ、い!!」
「うるせえぞ栄絵! 痛えんだからちょっと静かにしてくれ!」
「先生こそ静かにしてください!! 血が止まらないんですよ!?」
「ふ、二人ともケンカはダメだよ……」
オロオロした声が後方の大井さんから放たれる。あたしはイライラしながら叫んだ。
「ケンカの仲裁より先に救急車!! 大井さん、早く携帯で電話して!!」
「で、でもプランシェットが――」
「そうだ遥、そのままでいい! 栄絵も! 少し、もう少しだけ静かにしてくれ」
「でも!」
「もう少しなんだ、もう少しで思い出せる。……何だったっけ……昔、どこかでみた話……アレだ……アレは確か……」
少し息苦しそうに言って、先生はブツブツと呟きつつ、目をそっと閉じた。考えに集中しようとしているのだろう。額から脂汗を流し、口の端から血を流して、全身にひどい傷を負って、それでもまだ、先生は闘おうとしている。それを眺めながら――赤黒く染まったハンカチの、その増した重量を感じながら――あたしは胸中でポツリと呟いた。
――先生はどうして、こんなになっても、止まろうとしないんだろう。
思えば、あたしは何も知らない。先生がどういう人生を送って、今の保険医兼除霊師となったのか。家族の話とか、これまでの経歴のこととか。先生があたしに話してくれる情報はいつも最近の出来事ばかりで、過去の話には一切触れられなかったように思う。
何か、あるんだろうか。ボロボロになってまで、除霊を続けようとする理由――。
「――そうだ」
先生が、再びガバリと体を起こした。酷い痛みなのだろう、一瞬だけ顔を歪めた先生は、しかし次に、白衣の袖で脂汗を拭いながら、確信に満ちた表情で呟いた。
「『らせん』だ」
「らせん?」
「そうだ、駅前の一件も今のも、これで辻褄が合う。だが、遥から匂いがしなかったのは? ……いや、そうか、分割式なのか! だとすると――」
独り言の後、先生はきょろきょろと周囲を見回した。やがて、足を天井に向けたり横倒しになったりしている幾つかの教室机の傍に目を向け、手を伸ばそうとする。
「先生、何を――」
「栄絵、悪い、アレ取ってくれ」
「アレ?」
「ウィジャ盤だ。頼む」
体を起こしていた先生は、やがてぐにゃりとうつ伏せになった。どうやら、いい加減痛みで動けないらしい。あたしは暫し逡巡してから――そんなことよりまずは救急車が先じゃないの?――やがて膝を立てて、部室の床に転がる例の木盤・ウィジャ盤を手に取る。そして、それを先生の前にスライドさせて、改めて嘆願した。
「先生、やっぱりまず病院に行きましょ。一緒に来てください。お願いだから」
「悪いな、栄絵。そうしたいのはヤマヤマなんだが、実はお前に黙ってたことがある」
「黙ってたこと?」
「ああ。さっき、上司から聞いたんだが、どうもこの近くに来てるうーちゃんが宜しくないみたいでな。ヤバめの攻撃を受けてるらしい。多分、このウィジャ盤を作ったのと同じ奴から」
ふう、と一つ大きな息を吐き出して、先生は改めてむくりと上体を起こした。出血する脇腹に左手を当てて、脂汗を滲ませながら、握り締めた右手をゆっくりと開いていく。
先生の掌には、ぐりぐりと独りでに動こうとする、プランシェットの片割れが入っていた。先生はそれを、親指と人差し指で強く摘まんでいる。自分の手から逃さないように。
「さっさとこのクソみたいなウィジャ盤を作った奴のところに行って、そいつを止めねえと、うーちゃんの命がヤバい。遥が言われた予言が、現実になっちまうかも知れねえ」
「それって、つまり」
「わ、わたしがその、雷瑚先生の幼馴染の人を死なせちゃうかも、ってことですか?」
大井さんが不安そうに尋ねる。あたしは駅のホームで見た、大井さんの突然のペンの投擲を思い浮かべた。ヤバい? 坂田先生の命が? それってつまり、あのペンは坂田先生に向かって飛んで行ってた、ってこと?
「た……確かに、たかがシャープペンでも、心臓とかに突き刺さったら、人は死ぬかもしれませんけど……でも」
「『あんなところからブン投げて、誰か決まった人間に命中なんざするわけねえ』ってか? 栄絵、心からそう思うか?」
先生にそう尋ねられて、あたしは首を縦に触れなかった。世の中には、自分の理解が及ばないものもある――それは他ならぬあたし自身が、先生と出逢って知った事実なのだから。
「まぁ……正直言うと、うーちゃんがそう易々やられるなんざ思ってねえんだけどな。むしろ、だからこそさっさと何とかしないとヤバい、つうか……」
「? どういうことです?」
「あーいや、今のは忘れてくれ。とにかく、あたしは一刻も早く、この件の元凶のところに向かわなきゃなんねー。なに、これくらいの怪我、ちょいと無理すりゃいい――」
そう言った瞬間、先生は思い切り咳きこんだ。あたしは思わず近寄ろうと――したけれど、先生はそれを手で制する。大丈夫だ、と、小さく笑って。
だけど。……だけど。
――血を吐きながらのその言葉は、到底信じられないんです。幾ら相手が先生でも。
「ふぅ。……よっし、それじゃ改めて」
大きく息を吐いてから、先生は覚悟を決めたかのようにそう言った。それから、自身が手にしたプランシェットの片割れを、思いっきりウィジャ盤に叩きつける。
そして。
「よう、待たせたなクソ魔術装置。機嫌はどうだ?」
先生はウィジャ盤に向かって、実に喧嘩腰に言い放った。
「早速だが質問に応えろ。それがお前の役目なんだ、無視は許さねえ。いいか? 『お前を創ったクソ魔術師は、今、どこに居る?』」





