プリディクション - 第15話
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「出てきなさい、花子まじゅちゅし……まじゅつし! メアリー! エリザベ……あーもー、名前多いっ!!」
バタバタと廊下を駆ける。洋館、というとカビ臭く古臭く、歩けば木板がギシギシと軋んで……という勝手なイメージがあったが、涼の走るこの場所は違った。
大きな家ではない。廊下は人が一人通れる程度の平凡な幅。玄関の先には二階への階段と一階奥へ続く通廊。そのまま一階部分にある部屋を片っ端から確認したが、四人掛けのテーブルと食器棚、冷蔵庫の添えられたダイニングキッチン、掃除器具や買い置きのトイレットペーパーなどの生活用品が置かれた物置、洋式トイレ、洗面台にバスルーム、古く小難しそうなハードカバーの陳列された書斎には、一切の人影が無かった。故に、涼は玄関傍の階段へと踵を返していた。返しながら、つくづく、彼女は思っていた。
――ここには、『人』が住んでるんだ。
丁寧に掃除された廊下。綺麗に片づけられた食器類。コンビニで手軽に買える安価なお菓子の買い置き。洗面台の傍に掛けられたタオルケット。あまりにも平凡で、普通で、どこにでもある『家』の光景。それを認識すればするほど、涼は以前に古い学校で遭遇した魔術装置のことを――そして、それを守っていた防衛システム・メアリーのことを思い出す。
メアリーは語っていた。自分が、行方不明となった少女の友人である、と。彼女は騙っていた。自分は、その少女とは学習塾の友人で、仲が良かったのだと。そう、あれは全て嘘だった。魔術装置の周囲に存在するだけの防衛システムに、少女の友達として学習塾に通うことなど出来る筈も無い。
だが、と涼は思う。嘘にしては、妙に。
温かい。
「メアリー!!」
『それとも、もしかして、自分で装置を動かすつもりだった? 色んな子を取り込んで、殺して――それが嫌になった、ってことは無いのかな?』
「メアリーならもう死んだわ」
二階・最奥の部屋の扉を開けた涼を、儚げな声が出迎えた。
「あなたが殺したのよ、涼ちゃん」
その女は、真っ黒なワンピースを着ていた。
瞳は金色で、肌は白、髪は赤。赤と言っても、鮮やかな色ではない。乾いた血のような、暗い赤色をしている。
小柄だった。背丈は涼と同じ程度だろう。被っている真っ白で大きな三角帽が、背丈と比較して酷くアンバランスだ。
「ここに住んでるわけね」
扉を開け放したまま、涼は真っすぐ、その女を見据えた。赤いカーペットの敷かれた円形の大きな部屋、その中央に置かれたグランドピアノの椅子に座る、赤髪の魔術師を。
「坂田にかけた呪いを解いて」
端的に告げると、女は小さく笑った。おかしそうに。
「あなた、メアリーの時もそうだったけど、あまりお行儀よく無いのね。初対面の人と会った時は、まず自己紹介をするのが礼儀でしょう?」
「まず呪いを解いて。それから、何個か聞きたいことがあるの。そうしたら、燃やさないであげる」
「オテンバ姫ね。だけど、あなたにはそれを許されるだけの才がある。私、才能のある人は好き。だから、あなたは殺さない」
「それ、ほんと?」
「本当よ? 私は――」
「『才能のある人が好き』じゃなくて、『友達が欲しい』から、『殺したくない』んじゃないの?」
そう言うと、小柄な魔術師は、大きく目を見開いた。驚愕――十中八九、彼女の身を貫いたものは、それだっただろう。
涼は続けた。
「この家は、普通だわ。寝て起きてご飯を食べてお風呂に入って、って生活をしてる、そういう感じがすっごくする。人を触ったら温かい――そういう普通がある。
メアリーもそうだった。あの子の言った事情は嘘だったけど、でも、何ていうか、人肌の温もりがあった。温かさを感じるような普通さがあったの。機械的な只の嘘っぱちなんかじゃなくて、何ていうのかな……願いっていうか、気持ちっていうか、そういうのが、こもってた」
「……個性的な表現をするのね」
「別にさ、不思議なわけじゃないんだけどさ。まじゅつし、って言っても、結局は人間なわけだし? ご飯も食べればお風呂も入るだろうし……友達が欲しいって、思うこともあると思う」
「……なにが言いたいのかしら」
「それだけ普通なのに、何であんな装置を作るの?」
『標的になるのは、まだまだ世間も知らねーガキだ。見上げたゲスさに笑っちまうぜ』
「人を殺さなきゃいけない理由でもあるわけ?」
「……実はね」
「無いでしょ」
俯いて言葉を紡ごうとする女に、断言する。
下らない嘘八百は、うんざりだった。
「装置の中に入ったから、分かってる。アレ、外面は綺麗だけど、中はかなり雑でしょ? クラスメイトが夏休み明けに変な工作を教室の後ろに展示してるけど、あんな感じ。『適当に動けばいい』『いつ壊れてもいい』、そんな感じ? 本当に必要なものなら、もっと細かく頑丈に作るはずだもん。
だから、分かんないの。知りたい。何であんなものを作って、人を殺すのか。家があって、友達が欲しくて……そんな普通の生活があるのに、どうして、他の普通の人の生活を壊すの?」
「『人はパンのみにて生くるにあらず』」
俯いたまま――視線を見せぬまま、女は言った。
遠くで、鳥の鳴き声がした。
涼は少し考え……やがて、尋ねる。
「どういう意味?」
「お菓子だって食べたいでしょう?」
傾いた陽の光が、グランドピアノの向こうに見える窓から、射し込んでいた。真っ赤な夕陽。血のように赤い光。
女が、傍のグランドピアノの鍵盤を、人差し指で押した。
高く、嫌みなほどに澄んだ音が、続く。只管に。
「……自己紹介、まだだったっけ」
音の中、涼は右の掌を天へ向けた。それから、炎を起こす。
「わたしは、天才霊能力者リョウ・アオキ」
「初めまして、青樹涼ちゃん。私の名前は、アン。ファミリーネームは無いの。もう捨てちゃった」
「あっそ。じゃ、わたしも一つ教えてあげる。わたしに、燃やせないものは無し、なの。だから」
「だから?」
「――だからわたしは、アンタを燃やしに来たのよ、アン!!」
グランドピアノの音が止まった。同時に、涼は全力で炎を投げつけた。アンと名乗った、三角帽の魔術師へ。炎球はグランドピアノを掠め、魔術師の体躯を掴み、そして。
燃え上がる。
「まぁ、怖い」
筈だった。
「途轍もない火力だわ。ピアノなんて、跡形もなく灰になりそう」
でも、と、女の声は続いた。あっという間にピアノをも包み込んだ炎の中で。
涼は驚愕に目を見開いた。
「でも、二つ、あなたは間違ってる。一つ、あなたに私は燃やせない。二つ、あなたは私を『人間』と言ったけれど」
フフフ、と、口の端を歪めて、アンは笑った。
「私は人間じゃない」
――鉄さえ溶けるような、劫火の中で。





