プリディクション - 第12話
――もしさっきのシャープペンシルが、『誰か』に突き刺さっていたら?
人は簡単に死ぬ。数センチの水があれば溺死するし、数センチの刃に数センチ肌を斬り裂かれただけでも死に至る。ならば、あの異常なまでの速度で投擲されたペンが、例えば――誰かの喉に突き刺さっていたとしたら。
予言は的中だ。大井遥は人を殺したことになる。
投擲を防げなかった晶穂としては、あのシャープペンシルが誰にも突き刺さっていないことを祈るほかない。そして、同じ過ちを繰り返さぬようにするしか。だが、どうにも解せない。
――どうして匂いがしない?
仮に、遥が何らかの理由で呪いに掛かっていたとしたら、確実にその匂いがする筈だ。形を伴わない何らかの意志を嗅ぎ取る力――晶穂は除霊師としての才覚に長けているわけでは無いが、この能力についてだけは、絶対の自信がある。自身の所属する講の中でも、間違いなく一番と断じることが出来るだろう。その自分が嗅ぎ取れない呪い――そんなものが本当にあり得るのか?
有り得ない、とは言い切れない。世界は広く、そして晶穂は高々二十数年生きているだけの小娘に過ぎない。自身の想像を超える存在など、世の中には幾らでも居るだろう。だが、それにしても――。
「――せんせい。先生!」
ふと気づいた時、眼前でひらひらと栄絵が手を振っていた。どうも思索に没頭してしまったらしい。どうした、と尋ねると、「バスに乗りますか?」と栄絵。
「バス?」
「もー、もしかして立ったまま寝てました? 大井さんの高校、バスだと五分くらいで、歩くと十五分くらいだって、いま」
「あー……」
改めて見回してみると、確かに、改札を出たすぐ前方にはバスロータリーがある。ぐるりと上弦の月を模すように造られたロータリーは、五階建て程度の複数の小綺麗なビルに見下ろされていて、それらビルとビルの間には、二車線道路が敷設されていた。道路には乗用車や軽トラックが、ロータリーから先の横断歩道前には信号待ちの学生や主婦やサラリーマンが。実に平々凡々とした光景だ。
「遥はいつもどうやって登下校してるんだ? バスか?」
「わたしですか? わたしはいつも歩いてます。バスは混んでますし……」
考えるようにそう言って、遥は定期入れを茶色の肩掛け鞄へ突っ込んだ。そして――。
「栄絵!」
「あっ、は、はい!」
「えっ、どうしました!?」
突然自身の手を掴んだ栄絵に目を白黒させる遥だが、その手にはまた筆箱が握られている。やはり自覚は無いらしい。晶穂は遥の肩に手を置き、「いいか遥、右手をよく見てみろ」と言おうとした。
その時。
匂いがした。
それは、眼前の少女から。仄かに――いま燃え尽きたばかりの線香の残り香のような、淡く、どこか甘い匂い。それを嗅ぎ取りつつ、晶穂は直感的にこう思った。
――ああ、成る程。普段は隠れてやがるのか。人を操る時だけ――。
そこで、晶穂の思考は一瞬途切れた。直後。
「栄絵ッ!!」
「えっ、はい!?」
「目を閉じろ!! あたしが良いって言うまで絶対に開けるな!!!!」
怒鳴り、彼女は弾かれるように背後を振り向く。距離にして、約五十メートル。駅前の交差点の一つ、青信号に従って横断歩道を進む人々の中央――そこに。
『彼女』は立っていた。
長い、腰まである艶やかな黒髪。肌は黒、瞳も黒、履いているレースアップサンダルも黒。デニムのブルースキニーと、薄いミントブルーのロングコート、そして白のカットソーにチョーカーという出で立ちは、落ち着いた、清潔感のある身だしなみだ。一見すれば、国際社会ではもう珍しくもなんともない、至って普通の――どちらかと言えば美しい――黒人女性と表現すべきだろう。
だが、晶穂の嗅覚はそれを拒絶した。
右足を、前へ。靴の底に仕込んだ御守りを起爆剤代わりに、コンクリートが抉れる程の勢いで跳躍する。そのまま、晶穂の体躯は猛スピードで宙を進んだ。蹴りつけられた地面から、大木が倒れたような衝撃音が駅前のロータリーに広がっていく。にもかかわらず、『彼女』の周囲、横断歩道を行く人々は、一切の驚きを見せなかった。足を止めぬまま、それぞれの手に鉛筆や万年筆、傘や鋏などを手にした。異様な光景だった。学生も主婦も子供もサラリーマンも老人も、皆が何の迷いも無く。
一斉に。
投擲の構えを見せる。
『彼女』の強い芳香が――遥から仄かに匂った甘い匂いと、全く同質のその芳香が――立ち込める、横断歩道の上で。糸繰人形のように。
そして。
どこか遠くの空へ向け、めいめいが手にする凶器を、彼らは思い切り――。
「させるかよ!!」
晶穂は怒鳴り、幾つかの古い御守りを一度に右手で握り、弾け出た青紫色の輝きで中空を薙いだ。投擲された無数の凶器が輝きに触れて一瞬で蒸発していく最中、未だ宙を進む晶穂は、次に、剣のように鋭く鞭のようにしなる御守りの輝きを、全力で『彼女』へ振り下ろす。
ドン、と、一際強烈な衝撃が、夕暮れの駅前をつんざいた。青紫の輝きが夕陽を塗り潰し、バリバリと雷轟に似た音がこだまする。
「よぉ!! 初めましてネグロイド美人!!」
放った輝きが、黒人女性の頭の直上で『何か』に受け止められている。それを感じ取りながら、怒鳴りながら、衝撃の生み出す強風でバタバタとはためく白衣の音を聞きながら、尚も力を込めながら、何をするでもなく静かに立ったままの黒人女性を睨みつけながら――晶穂は胸中で呟いていた。
――おいおい、なに平然と受け止めてやがる。





