プリディクション - 第11話
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電車が止まり、ドアが排気音と共に開いた。大きく欠伸をしながら立ち上がると、せっつくように、東栄絵が白衣の袖を引っ張ってくる。
「先生、早くしないとドア閉まっちゃいますよ」
「あ~、焦るな焦るな。電車ってのはな、大体一駅に二十秒くらいは停車するように決まってる」
伸びをしながら、晶穂はのんびりと電車から出た。途端、すぐ背後でドアが閉まり、栄絵は「ギリギリだったじゃないですか」と文句を言う。
「っていうか、先生よくそんなに眠れますね。あたしたちが来るまでも寝てたのに、電車の中でも寝ちゃって」
「『どこでもすぐに眠れる』はオトナにとっての強力な武器だぞ。……うーん」
どうしたんですか、と、スマートフォンのロック画面を見るこちらを、栄絵が覗き込んでくる。晶穂は一つ、また欠伸をした。
「いやぁ、うーちゃんから連絡無ぇな、って思ってな。あたしの勘違いじゃなきゃ、うーちゃんも今日、この駅に来てる筈なんだが」
「うーちゃん?」
「あ、大井さんは知らないよね。坂田雨月、っていう美人教師がうちの学校に居るんだけど、その人のことだよ。先生の幼馴染でね……」
首を傾げる遥に、栄絵がペラペラと事情を説明してくれる。実に楽だ。出逢った頃の栄絵は、かなり胡散臭そうにこちらを眺めていたものだが、あの頃の不信感は完全に払拭されたらしい。それはそれで有り難いことだが、反面、悩ましくもある。晶穂の居る世界は、健全なティーンエイジャーが気楽に覗き込むには、あまりにおぞましいところなのだから。
「でも、どうして坂田先生がここに? 何か用事でも?」
「ちょっとした仕事さ。あたしとは別件でな」
「それじゃ、別々の仕事で、たまたま同じ駅に? ちょっとした偶然ですね」
鞄の中から筆箱を取り出しながら、感心したように遥が言う。「まーそうだな」などと言いながら、晶穂はスマートフォンを白衣のポケットに突っ込み……そこでふと、気づいた。
「遥」
はい、と、素直に返事をする大井遥は、次に筆箱からシャープペンシルを取り出し、握った。それから――まるで槍投げの国体選手のような美しいフォームで――手にしたシャープペンシルを、思い切り。
空へ、放り投げる。
異常なまでの風切り音がした。シャープペンシルは空を滑る鷹が如く猛スピードで夕暮れの空に吸い込まれ――そして、消える。
「遥」
「お、大井さん?」
「はい? ……ど、どうしたんですか、二人とも。何だか、顔が怖い――」
「何で今、シャーペンを空にブン投げた?」
どうして筆箱を取り出してるんだ?――尋ねようとした質問は、遥の奇行――これを奇行と呼ばず何を奇行と呼ぼう――によって、一層奇妙なものに塗り替えられた。見間違えでないことは、栄絵の様子からも明らかだ。だが、当の本人は、何のことだか分からないらしい。
「何で? 何で、って……?」
「ひ、人に当たったら危ないじゃん! 突然どうしちゃったの?」
「人に当たったら?」
「あ、もしかしてアレか? この町にゃ、最寄り駅に帰ってくる度、空に持ち物をブン投げる風習でもあるのか?」
「いやいや先生、ナニコレ珍百景じゃないんですから」
苦笑いで否定する栄絵だが、彼女は分かっていない。ナニコレ珍百景では、そんな危険な振る舞いは放送されまい。
晶穂はホームを見回した。
昭和を思わせる古びた屋根付きホームを挟むように、二線分の線路が次の駅へと続いている。二階建ての駅のホームからは、自然、よく風が吹き抜け――少し離れた場に居る男子高校生二人組の、何やら動揺した声も届いてきた。
「――お前、何で今、傘投げたんだ?」
「傘? 投げた? なに言ってんだ?」
「つか肩の強さパネェ――」
晶穂は少し考えてから、思い立って、傍らの少女の肩を抱き寄せた。「な、なんですか!?」と、異様に高い声で反応する栄絵に疑問を抱きながら、小声で彼女に告げる。
「頼みがある。悪いが、遥の様子に注意しててくれ。で、もし次、今みたいに変な動きを見せたら、全力で遥を止めろ。但し、自分が怪我するかもしれないと思った時は別だ。さっさと逃げていい。いいな?」
「は、はいっ? い、いいですけど……」
栄絵の頬は少し赤かった。どうしたんだろう、と内心思っていると、次は栄絵から控えめな声で疑問を受ける。
「あの、もしかして……大井さん、何か変なものに憑かれてたりします?」
「分からん」
「ええ~……? 先生、あたしの事件の時は、あたしから霊の匂いを嗅ぎ取ったりしてたじゃないですか。あれは出来ないんですか?」
「いやぁ、それが妙なところでな……」
「あの~……二人でひそひそ話して、どうされたんですか?」
寂しげな声に二人で振り返ると、果たして、母親を見失った子牛のような瞳で、大井遥が晶穂と栄絵を見つめている。晶穂はぱっと栄絵の肩を放した。
「それに、さっきのシャーペンがどうとかって話――」
「あー何々、気にすんな。ちょっとした打ち合わせだ。さ、行こうぜ遥。ウィジャ盤と少女漫画満載の部室に案内してくれ」
「少女漫画はあんまりありません……」
「あるにはあるのか」
『ウィジャ盤を使った占い、です。その占いで、出たんです。わたしが人を殺す、って』
エスカレーターで駅の一階へ降りつつ、晶穂は遥の言葉を思い出していた。予言された殺人――実のところ、晶穂は然程、この相談に危機感を抱いていたわけでは無かった。古今東西、ウィジャ盤やこっくりさんなどを行った挙句、物騒な言葉を霊やら狐やらに叩きつけられた、という話は、枚挙にいとまがない。それが虚構であれ事実であれ、事例としては存在しているわけだから、現地に行って異様なモノを感じなければ、この純朴な少女にその旨を伝えてやるだけでいい。おまけに――先ほど東栄絵に告げた通り――大井遥からは、霊的な存在の匂いを一切感じなかったのだ。この状況で何かしらの危険を感じ取るのは、上司・碓井磐鷲でも困難に違いない。
にもかかわらず。
大井遥は――恐らくは無意識に――シャープペンシルを投げた。それも、尋常でない力で。





