プリディクション - 第9話
前を行く涼が、足を止めた。集合住宅ではなく、こじんまりとした一軒家が立ち並ぶ閑静な住宅街、その十字路の直前で。相変わらず人通りは少なく、その上に道幅も狭くなっている。車が一台、ぎりぎり通れるくらい、といったところか。
「坂田おねーさん、あそこ!」
「静かにね」
道の角から首だけ出して、涼と共に『気配』の留まる先を見つめる。彼女らは見た。夕暮れに佇む、小綺麗な二階建ての洋館を。
「随分、良いところにお住まいみたい」
どうやら、庭も付いているらしい。ロートアイアン風の門扉の先に、タイル状の敷石が続いて、更に奥には、小綺麗な茶色の片扉が、落ち着いた顔で佇んでいる。洋館、と言っても、ホラー映画などで目にするような、ホール付きの大きな館では無い。シックな焦げ茶色の屋根が、正面玄関左方にのみ伸びている、アシンメトリーの――そして、二階には精々、二、三部屋が入るかどうかと言った、洋館『風』の一戸建てだ。とはいえ、賃貸マンション暮らしの雨月からすれば、十二分に気取って見える住宅である。
「メアリーは、あの家に入ってる」
「本人はエリザベスって名乗ってたけど」
「でも実質メアリーだし」
涼は繰り返した。どうやら、余程執着があるらしい。
「まぁ、私はどっちだって構わないけど……ちょっと待っててね、涼ちゃん」
ひとまず首を引っ込めて、雨月はトートバッグの中からスマートフォンを取り出し、上司である碓井磐鷲へコールした。ややあって、低く深い――悪く言えば抑揚が無く聞き取りづらい――ボスの応答があり、雨月はざっと状況を説明する。
「どうしますか? 一旦退散するか、突入するか」
判断を仰ぐと、暫しボスは無言になった。この状況を『追跡できた』とするか、それとも『おびき寄せられた』とするかで、判断は異なってくるだろう。そしてこういう場合、ボスならまず――。
「お前はどう思う、雨月」
「罠だと思いますよ」
予想通りの質問に、彼女はほぼ即答した。そうか、とボスは返してくる。
「ならば、まず現在地を送れ。近隣の除霊師に協力を仰ぐ。俺も向かおう。ただ、グダグダしてると相手に逃げられる可能性もある。ひとまずお前はそこで俺たちを待って、逐一状況を知らせろ」
「了解です。あと、電話の前に現在地は送りました。現着までどれくらいかかりそうですか?」
「待て、確認する。……道が空いてりゃ、四十分ってところだろう」
バタバタと、電話越しに準備をしている音が聞こえる。四十分――うまく行けば、晶穂とも同時に合流できるかも知れない。そんなことを考えた時だった。
「……ごめんなさい、ボス」
「何だ?」
「四十分は待てなかったみたい」
雨月はスマートフォンを耳に当てたまま、片方の手を額に当てた。それから呟く。
「最っ悪」
「何だ、どうした?」
「ごーめーんーくーだーさーい!!」
いつの間に移動したのか――視界の先、洋館風一戸建ての門扉の前で、涼はインターホンを連打していた。全力で駆け、涼の手を取って「なにやってるの!」と非難を露わにする雨月だが、涼本人は「中に入れてもらおうと思って」とケロリとしている。
「こけつにいらざんばこじをえず、って知らない?」
「正しくは『虎穴に入らずんば』あるいは『虎穴に入らざれば』です!」
下らないツッコミを入れた瞬間だった。
閑静な夕暮れに、ギィ、と、木の軋むような音が響いた。
思わず、音の方角を見る。
「……ボス」
スマートフォン越しに、雨月は率直に報告した。
「やっぱり、罠みたいです。あと誘われてます」
先ほどまで閉じられていた洋館の玄関扉が、軋む音を立てながら、ゆっくりと開いていく。扉の向こうは――暗黒だ。何も見えない。誰も居ないのに、独りでに扉が開いていく――。
「掛かってきなさい、ってわけね! じょーとうじゃない!」
「はい、そこまで。暴走もいい加減にして」
少女の肩を掴み、少し強めの口調で言い放った。一方、涼は。
「『用意周到で狡猾』なら、逃げ道だって幾らでも用意してると思わないの?」
振り返り、毅然とした態度で、逆に雨月を見据えた。
「わたしたちが罠に掛かった。そう思わせておかないと、きっと花子まじゅつしは逃げ出すわ。これまで全然捕まらなかったのだって、絶対、そうやって姿をくらまし続けてきたからだもん。
いい、坂田? わたしたちがここで中に入るのは、あいつを逃がさないために百パーかくじつ必要なことなの! ハゲが来るのを待ってる余裕なんて全ッ然無いの、わたしたちには!」
「……あなたの言う事も、分からなくはないわ」
小さく、風が吹いた。遠くから、樹々のさざめきが聞こえる。山が近いのかもしれない。或いは、近くに神社でもあるのか。駅からはそれなりに離れているから、地理的に有り得なくはない。
「だけど、それでも駄目。ここは我慢して待ちなさい」
「なに、もしかして怖いの? 『どんな吠え面が見れるか想像するだけで面白い』とか何とか言ってたくせに、実は怖気づいてるわけ?」
涼は小馬鹿にしたように笑った。雨月は不思議に思った。
――この子はどうして、こうも魔術師に固執するのだろう。
「そうね。私の能力はサポート向きじゃないし、あなたと仕事を共にするのは今日が初めてで、連携の段取りも整えてない。あなたに万が一のことがあっても、私じゃあなたを守れないかもしれない。それを怖くないと言えば、嘘になるわ」
「サポートなんていらない! わたしは、天才美少女霊能力者リョウ・アオキだもん! わたしに、燃やせないものは無し、なの!」
「困った子ねぇ」
雨月は溜め息混じりに言うと、観念してスマートフォンをバッグに突っ込んだ。通話は切っていない。ボスには、何やら言い争いをしている自分たちの声を届けられるだろう。
「なら、提案。涼ちゃんはここで私たちのボスを待ってて?」
「はぁ? だからそれじゃ――」
「代わりに、私が一人で中に入る。これなら涼ちゃんに万が一は無いし、『花子魔術師』を簡単に逃がすことも無い。ね?」





