プリディクション - 第7話
この原稿をそろそろ書き終われるかなーと思っていた2019/3/19に、人間には『磁覚』という六番目の感覚が存在するらしい、というニュースを聞きました。
正直、超焦りました。
……そのうち、この回の一部記述が、こっそり修正されているかもしれません。その時は推し量ってください。
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共感覚、という言葉がある。視覚や嗅覚で得られる刺激に、別の感覚による刺激をも伴う、特殊な知覚を指す言葉だ。音に色がついて視えるという『色聴』などが有名だろう。雨月は第三者に自身の能力――いわゆる霊的な存在を検知する感覚を説明する際、この言葉を用いて説明することが多い。
例えば、幼馴染である雷瑚晶穂は、悪霊や邪念の類を『匂い』という感覚で知覚する。本人はそれを『鼻が利く』と表現し、実際、驚くほど正確に――それこそイヌやオオカミのように――霊的な情報の痕跡を辿る。それは除霊師として優れた能力と言えるし、雨月とて、この点を否定するつもりはない。
だが、その感覚が、『コーダー』と称される特異能力者や、数多の修行を経て霊験を得た除霊師たちと全く同等のものかと問われれば、雨月はそれに「ノー」と応える。
雨月からすれば――そして知り合いのコーダーや除霊師たちからしても――形の無いものを『感じる』という感覚は、一般に五感と呼ばれる感覚と何ら変わりはない。つまり、視覚、嗅覚、味覚、触覚、聴覚――そして、それらの言葉では言い表せない感覚――霊感、或いは第六感と称すべき感覚が別個に存在する、と表現するのが、もっともしっくりくるように思われた。つまり、晶穂の嗅覚は霊を匂いとして感じているのではなく、本来除霊師として必要十分な霊感が不足していて、なおかつ共感覚を備えているが故の、偶然としか表現しようのない仕組みに基づくものなのだ。少なくとも雨月はそう捉えているし、他の霊媒師に聞いても、大体がそんな回答を返すだろう。だが、他者が持ち得ていない自身の感覚を説明するという行為は、酷く難解だ。それは丁度、右と左の概念が分からぬ者に、何を右と定義し、何を左と定義するのかを、逐一説明するのに似ている。故に、彼女は必要なタイミングでは、ほぼ必ず、共感覚を引き合いに出している。
簡単で単純な事実程、論理的な説明は難しい。中途半端に学んだ高等数学で、雨月が得たものはその程度だったが、それは確かな真理の一つであると、彼女は確信していた。
では、青樹涼の感覚は、どうだろうか。晶穂に近いものなのか、雨月に近いものなのか。どちらだろう。走る小柄な少女の背を追いつつ、掛けている伊達眼鏡の位置を直しながら、雨月はそんなことを考えていた。
「えっと、どっちかな。えっと……多分こっち!」
駅前から走り出した涼は、時折そんなことを呟きながら、バタバタとビルの合間を縫って縫って縫って、やがて住宅街へと辿り着いていた。二台分の車が十分にすれ違える幅広の道路に、小綺麗なマンションが面して建ち並ぶ、繁華街から一歩退いた街でよく見られる平凡な光景。雨月は涼の足を止めさせることなく、稀に迷いながらも、それでも確実に『何か』の後を追う彼女について進んでいた。
「中々追いつけないわね」
「でも絶対居たもん!」
こちらを振り返って告げる涼の言葉を、雨月は疑っていない。彼女が焼き潰したという魔術装置――その防衛システムによく似た『もの』の痕跡。一度目にしたからこそ、その手で葬ったからこそ、それを追うことが出来る――その感覚は、雨月にも理解できたからだ。
「少し、駅から離れちゃったわね」
スマホを取り出し、現在地を地図アプリで確認する。見失ったら見失ったで構わない。手がかりは見つからないだろう――元々彼女は、そんな悲観的な思惑で赴いていたのだ。手がかり『らしきもの』を知覚したというだけでも、十分な報告に成り得る。IoTだのAIだの、世間はより論理的な構成へと変革を遂げようとしているが、実体の無いものを相手にする雨月からすれば、自分と同類のこの小学生の発言の方が、よほど信ぴょう性が在った。そして、そういった主張がまかり通るのがこの業界でもある。……だからこそ、『嘘つき』も多くなるわけだが。
「あの」
――ふと、背後から声がした。キーは高く、どこか幼い。特に警戒もせず、雨月は振り向く。
「どうして、わたしについてくるんですか?」
そう尋ねてきた声の主は、丁度、涼と同じくらいの歳に思えた。肌は白く、二つ結びにした髪は黒い。白いブラウスと黒いスカートを身に着け、ブラウンの手提げ鞄を手にする姿は、どこにでもいる平凡な少女のそれだ。但し、多少のっぺりとしてはいるものの、その顔つきは日本人のそれではない。少なくとも、白人の血は混じっているだろう。
雨月はひとまず、にこりと笑った。
「こんにちは」
「あ……はい、こんにちは」
少女は戸惑いながらも、律義に頭を下げる。その、直後だった。
「あっ! 居たっ!」
後方から、けたたましい足音がやってくる。そして、彼女――涼は、雨月と少女の間に割り込み、大声で叫んだ。
「やっと見つけたわ、メアリー! 自分から出てくるなんて良い度胸してるわ! 感心した! わたし、久々に感心したもん!」
「えっ、ええ……? メアリー?」
「とぼけないで! その雰囲気、その感じ、この天才霊能力者リョウ・アオキが見間違えるワケないんだから! ここで会ったが年貢の収めど――!」
「はーい涼ちゃん、ちょーっと落ち着いてねー」
雨月は笑顔のまま、涼の口を背後から塞いだ。もごもごと涼は抵抗するが、流石に少女に負けるような、やわな鍛え方はしていない。完全に涼を抑え込んだ上で、雨月は戸惑いを隠せない様子の少女に、もう一度笑顔を見せた。
「ごめんなさいね、突然。びっくりしたわよね」
「えっ、いえ、その……大丈夫です」
少しゆっくりと雨月が言うと、少女は首を横に振った。対話の出来る相手として、こちらを認識してくれた――いかにも、そんな調子で。それを見て、雨月は流れるように自己紹介をした。自分の名前。職業。そして、涼の名前。更に最後に一つ、情報を付け加える。
「私達、いま人探しをしてるの」
「人探し……ですか?」
「ええ。この子にちょっと縁のある女の子で……あなたに似てるみたい。そうよね?」
そう告げて、涼の口から手を退けると、涼は勢い込んで「似てるとかそーいう次元じゃないの! 本人なの!」と喚き散らす。
「なに、ここまで来たのに結局わたしを信じないワケ!? おとなはいっつもそう! 都合良い時だけ味方のフリして、結局わたしを馬鹿にしてる!」
「……とまぁ、こんな調子でね。とっても不躾で申し訳無いんだけど、良かったらあなたのお名前、聞かせてもらえないかしら? あなたの名前は『メアリー』だったりしない?」
「はぁ……いえ、わたしの名前、エリザベスです。エリザベス・ハバード」





