コーダー - 第10話
「ド畜生だな、ボス」
「でもぉ、涼ちゃんが式神扱いされちゃうよりはマシっぽくない? それにこの人、見た目と違って、割とまともっぽいし」
「何だよ式神、随分さっきと態度が違うじゃねえか」
「さっきまでのは術者の気持ち。今の言葉はあたしの気持ち。あたし的には、涼ちゃんにはフツーに幸せになってほしいもん」
磐鷲は先日から朝夕に見かけた、青樹涼の姿を思い浮かべた。身だしなみは整っていたし、特別飢えた様子もない。それどころか、小綺麗な服装からは、仄かな愛情も感じた。
「式神」
「シキちゃんって呼んでもいいよ?」
「それは遠慮しておく。……俺の用意した書面はこれだ。『青樹まどかと青樹涼、二名で一つの講を創る』。厄介な手続きはこちらで済ませておこう。涼には役所に来て貰わなければならんこともあるだろうが、お前から上手く言っておいてくれ」
奇しくも、青樹まどか本人が言っていた。『この業界は誰が何を出来るか分からない。故に、血判の無い書面を国が受理することは無い』。それは翻せば、血判さえあれば、大抵の申請は受理されるということでもある。
「仮に、お前ではどうにも出来んことがあったとしても、俺たちが何とかすると約束する。だからせめて、お前だけでも涼を――了さんの孫を想ってやってくれ」
「あっ、涼ちゃんから電話だ。もしもし~?」
そう言うと、ソファの上、広げていた雑誌の上に置かれていたスマートフォンを手に取って、式神は応対を始めた。……点けっ放しのTVの音が、孤独を際立たせる。
「恰好良い事言ったのに軽くいなされた気分はどうだ、ボス?」
「縊り殺すぞ糞餓鬼」
「おー怖。……それにしてもよ、ボス。あんた、もしあたしが地雷を仕掛けてなくて、『本体』を逃がしちまってたら、結構ヤバかったんじゃねえの?」
「ヤバかった、とは?」
晶穂の質問はこうだ。もし逃げた青樹まどかが、そのまま『涼は自分の式神だ』と申請してしまったら、どうするつもりだったのか?
「それは無いな」
磐鷲はバッサリと否定した。
「何でそう断言できる?」
「人間というのはな、晶穂。自分が思っている以上に、論理的には動けんもんだ。気に入らない人間に強制されることなんぞは特に嫌う。
今回の場合、俺がリビングに入った時点で、青樹まどかにとっての勝利は、『俺たちを退散させて時間を稼ぎ、通廊に涼を式神として扱うよう要請する』以外に無くなった。仮にお前の言う手段を取ったところで、それは彼女の中では『偉そうに口出ししてくる超能力持ちオトコの圧力に屈した』結果以外の何物でもない。会話の端々から、相手の自尊心の高さは窺えただろう? 彼女のプライドが、完全勝利以外を許す筈は無かっただろう」
とはいえ――口には出さず、磐鷲は胸中で呟く。さっさと片が付けられたこと自体は、決して悪いことではない。その点は褒めてやっても良いかも知れない。
「つまり、散々『下らん術』だの何だの煽ってたのも、それが狙いだったってわけだな? 腹の出っ張りと頭皮に加えて性格まで悪けりゃ、そりゃもてねーわな」
磐鷲は考えを改めた。褒めるのは無しだ。
「いいか晶穂、今回の最大の勝因は地雷ではない。心理戦で相手の選択肢を狭めたこと――つまり、これは俺の功績だ」
「へーへー、そりゃよござんした」
「ねえねえ、お二人さん」
式神を見ると、彼女はスマートフォンを片手に言った。
「涼ちゃんがね、林間学校で、例の『トイレの花子さん』を仕掛けたっぽい奴の手掛かりを掴んだんだって! 『林間学校で手掛かりが見つかる』っていう、まどかの占いが当たったみたい」
「……なに?」
驚く磐鷲に、式神はにこにこと人懐っこい笑みを返す。そして、告げた。
「まどかだって、涼ちゃんのやりたいことを全部無視するくらいまで腐ってるわけじゃないんだよ。……もうバンシュウちゃんは今後ガン無視される気がするけど」
「そりゃ、書類捏造しやがった相手と話すことなんざ無ぇわな。残念だなボス、あんたの『功績』のおかげで、優秀な陰陽師とのコネは絶望的だ。心理戦やるなら、今後はもうちっと、禍根を残さねーようなやり方の方がいいんじゃね?」
……返す言葉もなく、磐鷲はじっと晶穂を見つめた。相手は……豊かな髪を片手でボリボリと掻いて、実に鬱陶しそうに言う。
「あーへいへい、悪かったよボス、言い過ぎた言い過ぎたごめんなさい、っと」
――本当に、いつからこんなに口が悪くなったのだろう。
晶穂の態度に強い寂寥を覚えつつ、磐鷲は今日何度目になるか分からない嘆息をついてから、玄関へと足を向けた。
「おーいボス、拗ねるのはいいけどよ。手掛かり、聞かなくていいのか?」
――ああもう畜生。
心底イライラしながら、磐鷲は踵を返した。
【コーダー 完】





