コーダー - 第8話
「何だったっけ?」
鎧武者は再度腕を引き、刺突の構えを取っている。その体にも、眉間にも――穴は開いていない。
「あたしの式神。脆かった?」
リビングから、けたたましい嘲笑が響く。キーの高いその笑い声は、磐鷲の耳朶を嫌という程叩いた。
「分かったでしょ? じゅ~ぶんに身に染みたっしょ? 分かったらサッサと帰んなさいな~。あたしはあんたの感傷なんて知ったこっちゃないし、涼についてとやかく言われるような義理もない。あ、逆にあたしから提案してあげよっか? そんなにあたしのやろうとしてることが気に食わないなら、『青樹まどかは娘共々あんたの講に入ります』っていう書類の偽造でもしちゃえば? ま、この業界、誰がナニ出来るか分かんないから、血判の無い書面なんて、国が受け取ってくれるわけないんだけど~?」
何度目になるだろうか。そんなことを考えながら、磐鷲はため息をついた。隣で晶穂が「石川五右衛門みてえ」などという下らないコメントを述べ、青樹まどかは気が狂ったように勝利の嘲笑を続けている。それはまさしく、彼女の言葉に偽りがないことに起因していると言えるだろう。
つまり、こうだ。
彼女の凶行を止めるには、リビングルームに入り、無理やりにでも、彼女の血判を磐鷲の用意した書面に付ける必要がある。
しかし、施された術のせいで、入ることは叶わない。おまけに、銃弾すら斬り裂く門番代わりの式神すら居る。
一旦退き、後日訪ねなおすか? いや、先延ばしにしようと、この状況は変わるまい。むしろ事態を早く解決しようとする国が、磐鷲らへの依頼を取り下げ、通廊へ任務を移管する可能性が高くなる。ではせめて明日、涼の居る時間にでも赴くか? これもダメだ。母の思惑を娘が耳にしてしまう可能性が高い。幼い少女に母の悪意を見せつけるなど、残酷以外の何物でも無い。それが故に、こちらはいつも、わざわざ日中に訪ねていたのだ。そして恐らく、青樹まどかもそれに気付いている。気付いた上で挑発しているのだ。『やれるものならやってみろ』と。実質、娘を人質に利用している、と言ってもいい。
「女狐め」
反吐が出る、と、彼女は述べた。全く同感だ。反吐が出る。恩人の娘に。
対して。
「『誰が何を出来るか分からない』なら」
こんな強引な手段しか取れない、自分自身に。
「もっと真剣に術を組んでおけ」
告げた、刹那。
臨戦態勢を維持する鎧武者の首に、手足に、真っ黒な縄が巻き付いた。――否、それは縄などではない。
「最終通告は済んでいる。力業で押し通らせてもらうぞ」
磐鷲はそう言って、リビングへと歩を進めた。その体は晶穂のようにくるりと反転する――こともなく、何事も無く、彼はすんなりと、部屋の中へ足を踏み入れる。そして、動こうとしてガタガタと音を立て――しかし、全身に絡みつく縄状の『髪』に束縛され、動けない鎧武者の肩をポンと叩きながら、ズンズンとソファへと近づいた。
「初めまして、だな。青樹まどか」
真っ白なスリップだけという刺激的な出で立ちでソファに寝そべる女性にそう告げても、相手は暫く、ぽかんとこちらを見上げていた。真っ黒で長い髪。アンダーリムの眼鏡のフレームも黒。細身で、丸顔で、目鼻立ちは整っており、格別に着飾らなくとも十二分に美しい。磐鷲があと二十年若ければ、口説きに掛かっていたところだ。……性格は丸っきり好みではないが。
「……は?」
「晶穂。ご覧の通り、『俺は』入ったぞ」
「五月蠅えよチートデブ」
「あんた……は? 何……何で?」
「あれを見て分からんか、青樹まどか」
彼は後方の鎧武者を縛る『髪』――その源を指さした。リビングに転がっているのは、先ほど神業のような斬撃によって裂かれた、M&Pの銃弾の欠片。今そこからは、うぞうぞと脈打つ真っ黒な髪の毛が伸びている。それが束となり、縄状に絡み合って、鎧武者を縛っているのだ。
「俺もコーダーだ」
は、と、驚愕のような呆れのような声が、青樹まどかの喉から漏れた。気にせず、続ける。
「国から与えられたコードネームは『ハリ』。由来は日本の古い妖怪である針女から来ている。能力の仔細をあんたに教えるつもりはないが、今は手製の銃弾から、俺の意志で増殖して蠢く毛髪を生み出した。云うなれば、あれは俺の分身と言っていい」
「……キッモ」
「良く言われる。だが、あんたの下らん術には効果覿面だっただろう?」
「どうでもいいがボス、女の下着姿をジロジロ見るのはどうかと思うぜ」
「喧しいぞ糞餓鬼。下らんジェントルマン精神なんぞ、この業界では命取り以外の何物でも……晶穂」
「何だよ」
「お前、いつの間にリビングに入った」





