コーダー - 第6話
「……挑発のつもりか?」
「ああ、そうだとも」
「ど~でもいいけどぉ」
喧嘩なら外でやってくんない、と、リビングから迷惑そうな声が飛んでくる。晶穂は軽く舌打ちして、再度、暖簾に向き直った。
「それに、あんたの『講』に入れって? ジョーシキで考えたら? そう言われて『わ~いじゃあ入る~』って奴なんて、居るわけないじゃん」
至極真っ当な反応だ。『境講』――それは、複数名の除霊師によって組織される団体の総称である。喩えるなら、国と繋がりを持つ小規模な企業のようなものだ。つまり、磐鷲の提案は、仔細な条件提示無しに「うちの会社で働かないか」と誘っているのと同義である。彼女の言う通り、常識的に考えれば、そんなものに二つ返事で頷く者は居ない。
だが。
「悪い話では無い筈だ。考えてみて欲しい。本来、この手の勧告は『通廊』――国と我々『境講』の仲介を担当する公務員により行われるのが通例だろう。にも拘わらず、あんたへの勧告を行っているのは俺たちだ」
言葉を紡ぐ隣で、晶穂は次に、摺り足でのリビングルームへの侵入を試みている。悠長だな、と、磐鷲は胸中で呟いた。彼女が先ほどから試みているのは、施されている陰陽術が、どの時点で対象者を『部屋に入った』と見做すか、の確認だろう。分析・推論・仮説検証――成る程、実直に磐鷲の教えを遂行しているようだが、もしこれが幾度の試行も許されないような術だった場合、一体どうするつもりなのか。
「これはつまり、俺たちは国から、代行者としての権限を委譲されるだけの信用を得ているという証左に他ならない。そこに属するとなれば、あんたからすれば面倒な手続きは殆ど不要で、勧告対象から外れることが出来る。無論、俺が手配するから、だが」
「あ、カウント忘れてた。じゃ、あと一分~」
「不服か?」
「不服って言うかぁ」
間の抜けたような――しかし、どこか作られたような声色で、彼女はバッサリと告げた。
「あたし、オトコって大ッ嫌いなんだよね~。特にぃ」
摺り足で進む晶穂の爪先が、暖簾の下を潜った。途端。
「あんたみたいな偉そうなタイプ、もー生理的に無理だから」
晶穂の体は、くるりと反転した。
操り人形のように、晶穂はまた、トコトコと廊下を歩く。
「そうか。生理的嫌悪ならば、諦める他ないな」
「どの口で言うかね」
また暖簾に向き合った部下が、ボソリと隣で呟く。彼女は次に、左手を前に突き出した。
「では、次の提案だ。『あんた達で堺講を作る』というのはどうだ? 勧告――つまり、今回の問題の本質は、あんた個人の名義で請け負った仕事を、第三者に処理させた点だ。故に、個人としてではなく、『講』として受託する。
この提案の最大の利点は、あんたの活動方針自体は一切変更しなくていいという点だ。書類の上での手続きを経るだけで、あんたはこれまでと同様、受けた仕事を娘に向かわせることが出来る。嫌な男の下に就く必要も無ければ、仕事のために外に出る必要もない。こうして昼間からゴロゴロ寝転んでいられるわけだ。先ほどの提案よりも、よっぽど現実的な落としどころだと思わないか?」
つらつらと連ねる言葉の隣で、晶穂は小さく息を吐いた。そして、ギブスを嵌めて吊り下げられた右腕を庇うようにして、前に――リビングルームへと倒れていく。
その体が、突き出した左手が、リビングの床に到達しかけた時。
「却下」
拒絶の言葉が聞こえた。直後。
「分かったら出て行って」
リビングに倒れ込もうとした晶穂の首根っこが、ガシリと掴まれた。『それ』は晶穂を無理矢理廊下に立たせ、それから、構える。
「ケーサツ呼ぶのは止めたわ。よくよく考えれば、色々五月蝿くなりそうだし。だから」
「『これ以上構ってくるなら実力行使』ってか?」
晶穂が軽く笑った。眼前、自身を掴む為に突然現れた『それ』――ガチャガチャと金属音を鳴らしながら、鈍く輝く日本刀を構える鎧武者を見つめて。
「露骨だな」
磐鷲は笑った。平凡な家族向けマンションの一室に、紅と黒で彩られた甲冑と、金色に輝く三日月の装丁を拵えた見事な兜の鎧武者。ミスマッチにも程がある。
「そんなに不愉快だったか? 俺の提案が。
俺としては、大恩ある師の家族に、不自由な生活なんぞを送ってもらってほしくないという一心なん――」
――言葉の途中で、風を斬る音が響いた。磐鷲は軽く首を横に倒す。
右頬を、鎧武者の放った一突きが掠めた。
「白々しい」
声が響いてくる。
鋭く、敵意を剥き出しにした、刺々しい声だった。
「正直に言ったら? あんたが狙ってるのは、パイロキネシストであるあたしの娘だ、って」
「おうコラ、うちのボスはハゲでデブでたまに加齢臭すっけど、ロリコンじゃあねーぞ」
「茶化すな糞餓鬼」
白衣のポケットに手を突っ込み、臨戦態勢をとる晶穂へ、磐鷲は牽制の一言を放つ。狭い廊下だ、先ほどの一突きは彼女への攻撃も兼ねていた。晶穂も上手く避けたようだが、いずれにせよ、これは宣戦布告と捉えていい。
「なぜ、俺の狙いがあんたの娘だ、と?」
「この国では定義上、一人では『境講』を作れない。二名以上の除霊師が存在して初めて、国はそれを組織として認める」
全くもって露骨だ、と、磐鷲は小さく笑った。先程までの適当で気の抜けた声はどこへやら、リビングからの声は理性的で攻撃的だ。恐らく、これが相手の本性だろう。
「境講を作るとなれば、自然、涼は講員として登録するために、まず除霊師としての手続きを経ることになる。手続きはスムーズに進むでしょうね。何せ、パイロキネシストだもの。世界を巡ったって、涼と同じ特殊能力を持つ人間は、片手で数えられる程しか居ない。だから、必ず」
「必ず?」
「涼は『コーダー』として登録される」





