フラワー - 第10話
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夕陽に陰りが混ざり始めた。近くの地面に寝かせた女子生徒から、安らかな寝息が放たれているのを横目で見てから、雷瑚晶穂はゆっくりと正面の少女へ歩く。
少女は灰となって崩れ落ち、風によって攫われていく悪意の名残を、ふくれっ面で眺めていた。それから、思い出したように、スカートのポケットから手鏡を取り出し、入念に自身の姿をチェックし始める。
「なにしてんだ?」
「焦げ目が無いか見てるの! ママに買ってもらった大切なお洋服だもん」
「焦げ跡は無えが、すっげー焦げ臭えな」
「悪かったわね! ふん、何よ、殆ど何もしなかったくせに!」
不満げに言って、涼は次に、もう片方のポケットから小瓶を取り出した。彼女は手袋を外し、両手首と頭上へと軽く、小瓶の中身――香水らしい――を吹き付ける。用意の良いこって、と、晶穂は溜息混じりに言った。
「青樹涼」
「何!」
「悪かった」
「……なにが」
晶穂はじっと少女を見つめた。ふくれっ面だった涼は、視線を受けて……暫くして、目線を逸らす。
賢い奴だ、と、晶穂は胸中で思った。粗雑で大雑把で堪え性の無い言動が目立つが、その実、他者の想いを汲み取ることを忘れない。
「……別に。悪い奴だったんだし。燃やせるあたしが燃やした、でいいじゃない」
「それでも、本当はあたしら大人が何とかすべきだった。勿論、お前が魔術装置までぶっ壊してくれたお陰で、これ以上の犠牲が出ることは無くなった。そこはお前自身が誇っていい。だが」
「だから、わたしは別に――!」
「友達を倒すのは、辛かったよな。すまねえ」
晶穂がポンポンと頭へ手を置いてやると、涼は言葉を切った。ぎゅっと手を握り締めて、視線を伏せている。
「だが、もう一度言うぞ。絶対にもう、自分から罠に跳び込むような真似はするな。あんなんじゃあ、命が幾つあっても足りねえ」
「……結局は全部燃やせたんだから、別にいいじゃない」
「良くねえ。ああいうのは、覚悟を決めた大人だけの特権だ」
「だけど!」
「分かったな!」
強く言うと、涼はもごもごと口を動かし、やがて諦めたように「分かったわよ」と言った。……抵抗が少ないのは、『メアリー』を倒して、気が落ちている証拠だろう。
「ま……ひとまず、仕事自体は無事完了だ。行方不明の子を取り返し、おまけに悪意の塊みてーな罠まで破壊できた。お前がこういう現場に出張ってるって件は、また別の日に母親交えて話すとして――」
「終わってないわ」
「あ?」
「終わってない。……あの装置を創った奴は、まだ何処かに居るんでしょ?」
涼はそういうと、晶穂を強い眼差しで見上げた。その真っ黒な瞳には。
渦巻く炎のような、力強く――どこか破滅的なまでの輝きが漲っている。
「多分そいつ、まだ似たようなものをばら撒いてるわ。そんな気がする。だから」
「分かった分かった」
晶穂は溜息をつき、もう一度、涼の頭をポンポンと叩いた。それから、空を見上げる。夕暮れから夜に転じようとしている、赤と黒の入り混じった空を。
「但し、やる時は、必ずあたしも一緒だ。これだけは譲れん。いいな?」
「え」
「何だ『え』って」
「だって」
涼は実に不思議そうに言った。
「あんた、わたしより弱いじゃない。ついてくる意味ある?」
「お前、そのあたしより頭悪めじゃねーか。アホはすぐ死ぬぞ、この業界」
「何よそれ!!」
「事実だ。受け止めようぜ」
「違うもん! 絶対、わたしの方が強いもん!」
強いもん、と再度叫ぶ涼を放って、晶穂は寝かせたままの女子生徒の元へと踵を返した。
【フラワー 完】





