ホロウ - 第80話
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遥か遠くの空にオーロラが輝いている。
「あれ何百km向こうだ? そもそもkmって単位が通じるのか?」
分かんねぇ~、と言って男は一人で笑った。
波の音だけが彼に返事をする。
「海岸線も続くよどこまでも~」
顔の前でビデオカメラのように構えたスマホの画面にはヒビが入っている。それでも録画は可能で、そして電池切れをすることもない。バッテリーは延々と同じ数値のままだ。
永遠に同じ時間の中を動いていくのかも知れない、と男は思った。もうどれだけ歩いてきたのかも分からない。
足元の砂浜にはさざ波が寄せては返している。海岸線は前方に――そして恐らく後方にも――無限に続いている。それ以外のものは何もない。だから男は、ひたすら波打ち際を進んでいた。
空は墨色だった。夜とは違う。暗いわけではなく、黒いのだ。絵心の無い者が適当にクレヨンを使って仕上げたような天。それは故郷で見た夜の海色によく似ていた。
だから、だろうか。胸中には恐怖も焦燥も疲労も無かった。ただ前に進みたかった。
背後は絶対に振り返らないと決めていた。
「そうだ。この映像、送信しよう」
素晴らしいアイデアだと男は思った。何としてでも目的地に辿り着いて、何とかして映像を送る。そうすれば故郷の家族も知るだろう。男は数千人を殺すことすら厭わない外道だが、殉じる信念を持った人間であったということを。
何より、独り占めは良くない。
「俺はお前たちのお兄ちゃんだからな」
男は呟く。血の繋がった弟と――血の繋がっていない、同い年の弟へ向けて。
墨色の天の下、さざ波を蹴りながら、男は独り歩き続ける。
【ホロウ 完】





