ホロウ - 第79話
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手を繋いでいた。病院の入り口で、忙しなく行き来する人々を見ながら。
「真由ちゃん、どう? 友達とか先生とか……近所の人とか。誰か知ってる人は見かけた?」
次から次へと担架に乗った人々が院内に運ばれていく。この病院に避難していた人達ではない。
飾荷ヶ浜を覆っていた真っ黒なものが消えて、大勢の救助隊がやってきた。彼らは街に残っている人々がいないかも調べに行って、そして今、続々と怪我人が運び込まれている。
家の中に閉じこもったり、逃げまどっていたり――真由らが思う以上に生存者は多かったらしい。
《今のところは見てない。卓明さんは?》
「うーん……実はちょっと眠くなってきてさ。さっきから目ェ瞑っちゃってたんだよね」
卓明が笑った。どこかわざとらしく、どこか馬鹿っぽい笑い方だった。
「もうちょっとしたら、宇苑兄ィや婆ちゃんたちのところに戻ろうか。大丈夫、明日も明後日もある」
――じゃあ、その先は?
思っても、真由は伝えなかった。既に自身の力については概ね把握できている。どうすれば相手に言葉を伝えられるのか。どうすればモノを揺らせるのか。体を動かすのと同じ感覚で、『伝える』力を行使できる――その確信がある。
確信は、もう一つ。きっと声は戻らない。
「そういえばごめん、言うのを忘れてたんだけど」
《なに?》
「助けてくれてありがとう。俺と宇苑兄ィが洞窟に落ちた時、洞窟の底を振動で砕いて砂にしてくれたよね」
逆に言えば、それくらいしか出来ることは無かったのだ。無脚の巨人を壊した宇苑が背から真由を降ろし、凄まじい力であの場所に跳躍していった後、真由も彼を追いかけた。追いかけて追いかけて……ようやく辿り着いたタイミングで、彼らは洞窟の底へ落ちて行った。
あの時に見たものも、卓明には伝えていない。彼の兄・国明が……口角をあげてこちらに視線を向けたこと。
卓明に似た、優しい目だった。
「お陰で、俺も宇苑兄ィもピンピンしてる」
命の恩人だ、と卓明は再度笑ったが、その顔面はおろか全身のありとあらゆる場所にガーゼが貼られている。ピンピンしてる、という表現は何となく合わない気がする。
「帰る途中に宇苑兄ィも言ってたけど、本当に凄い力だ。真由ちゃんみたいな特異能力を持ってる人は、除霊師になったらコードネームを貰えるんだよ。さっき会ったウチの婆ちゃんがそうなんだ。少なくとも一生くいっぱくぐれしないって」
諜報員みたいでカッコいいよね、と卓明。真由はどう返していいものか迷った。
――そんなものいらない。
率直に言うと、その一言に尽きる。
お金を稼ぐことが大変なのは知っている。母はそのために売りたくもない媚を売り、着たくもない派手な服を着続けた。そのお陰で自分が今ここにいることも知っている。
それでも思ってしまう。自分が欲しいのは、そんなものではなく――。
「でも正直言うと俺、真由ちゃんには除霊師になって欲しくないなぁ」
喧騒は嫌でも耳に入ってくる。時折、怒号のようなものも聞こえる。
だが、卓明の言葉は何よりもクリアに聞こえた。
《どうして? カッコいいって言ったのに》
「そうなんだけどね。やっぱり危ない仕事だし……婆ちゃんや宇苑兄ィみたいな凄い人達だって、どこかに行ったっきり帰ってこなくなるかもしれない。それは嫌だなって」
《那奈さんは?》
「那奈? 那奈は……うーん、難しいな。『二度と会いたくない』って言われちゃったし。それになんていうか、あいつは飾荷ヶ浜から出た方が良いような気もする」
何となくだけど、と卓明は言った。
何となくなんだ、と真由は伝えた。
《じゃあ》
声は出ない。それは間違いない。
なのに、何故か喉がカラカラだった。舌が口の底に張り付くようだ。
《もし私がどこかに行かなきゃいけないときは、一緒についてきて欲しいです》
「オッケー」
お気楽にも程がある返答だった。およそ重みというものが感じられない。
《来週も来月も一緒に友達とか探してくれる?》
「もちろん。一緒に探そう」
からりとしている。だから真由も、出来るだけ何でもないことのように伝えた。
《じゃあ、除霊師なんてならない》
「……そろそろ帰ろうか」
《うん。すぐそこだけど》
「うん。すぐそこだ」
病院の入り口から、卓明の祖母と兄がいる天幕へ――距離にして、およそ百メートル。その短い帰り道を、夕暮れに照らされながら、二人で帰っていく。
手を繋いでいた。明日もきっと繋いでいるだろう、と真由は思った。





