ホロウ - 第78話
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「それで。これからどうするつもりだ、那奈?」
ベッドの上で横になったままで、渚那奈は「さぁ」と返した。どちらかというと不愉快な女――雷瑚は「ふぅん」などと返してくる。
どうでもいいなら聞くな、と言いたい。
現在地、綿舩神社――即ち、卓明ら織田家の実家。神社の奥の住居スペース――ここに雷瑚晶穂は妙に立ち入りたがっていた。
だから卓明との再会ついでに雷瑚と引き合わせて、ついでに彼女についてやってきた。特に深い意味があるわけではない。あの野戦病院と化した総合病院前の天幕が煩わしかっただけだ。何故なら五月蠅いから。子供たちがピーピー泣いているし、よく大声で大人たちが何か連絡を取り合っているしで、たまったものではない。
関係者として卓明と共に居なければならないのは……どうでもいい。
「親兄弟は? この地域じゃなくてもいい、連絡がつきそうな縁者だ」
「いません。親も死にました」
「そうか。身元引受人がいないなら、暫くは施設で生活になるかもな。でも十八歳だと……あんまり長くは居れねえか」
サラリと雷瑚は言った。もっと優しい言い方は無いのだろうか、と思う。……それとも、実は平気なことを見透かされているのか。
「何にせよ、出来るだけ色んな人間と話しておけよ。面倒事も増えるだろうけどな」
「何でそうなります? 一人で生きてくことになるんでしょう? それともパパでも探せって?」
「一人で暮らすのと、一人で生きていくってのは違うんだよ」
「説教くさいことだけ分かります」
「これでも表向きは教師でな。……あった、これだ」
ベッドの上から体を起こして――そう言えば誰のベッドだろう――那奈は雷瑚へ視線を向ける。
部屋の中はごちゃごちゃしていた。何度も地震があったため、リビングにも廊下にも生活雑貨やガラスの破片などが散乱していたし、そのために雷瑚も那奈も土足で上がり込んでいる。だがそれ以上に、その部屋は元々散らかっていた。
散らかっていた、というより、荒らされていた、と言ったほうが正しいかも知れない。本棚やクローゼットから中のものが床に乱暴に放り出されている。昔、この神社でお世話になった時に遊ばせてもらったゲーム機とカセットも目についた。誰か、雷瑚と似たように何かを探した人がいるのかも知れない。
それはともかく――雷瑚は手元に一冊の本を手にしているようだった。真っ白で、装丁などは全くない。
「なんです、それ?」
「お前を拉致して人質にした変態野郎が居ただろ。あいつの考えが纏められた本だ。事件の首謀者が織田国明と源涯なら、あいつは黒幕――ほぼ間違いなく、あいつが入れ知恵したことで今回の事件は起きた」
素人二人が引き起こせる事件じゃねえからな、と雷瑚は言った。その証拠を探していた……と、そういうことなのだろうか。
「通廊に回収される前にパクっちまおうと思ってな。勿論、織田家の人間に確認は取るけどよ」
「パク……え? 警察に渡すとかじゃなくて?」
「この本はアイツのシンパが主軸になって作った自主制作――同人誌みたいなもんでな。世界に五十部しかない。おまけに読む人間が読んだら今回みたいな事件が起こせるような理屈まで書かれてる……らしい。だからボケっとしてると政府に回収されて二度と手に入らん」
「はぁ……」
「他の誰かがあいつをぶっ殺してくれるならそれでもいいが……どうにもな。そうはならん気がする。だからまず、出来るところから、だ」
そう言って雷瑚は白衣の内側に本を仕舞った。何やら大変そうだが、那奈には関係ないことだ。
そもそもあの時、自分に何が起きたのかもよく分かっていない。宇苑に御守を渡して、ボロボロの林の中を、暴風と轟音の中を必死に逃げて……その途中、突然に視界が切り替わった。そして気付いたら洞窟にいて、雷瑚がいて、自分は捕まっていた。
そういう世界の人なのだろう、と思う。一般常識の通用しない世界で、雷瑚も『黒幕』とやらも生きている。それだけ分かれば十分だ。君子危うきに近寄らず――今日が終われば、もう会うこともあるまい。
「さて……それじゃ病院に戻るか。那奈、行くぞ。直に日も暮れる」
「一人でどうぞ。私、もう疲れ果ててるので、今日はもうこのベッドで寝ます」
「他人の家で何言ってんだテメーは。ホラ早く立て、あたしゃ腹が減ってんだ」
「期待してるみたいですけど、どうせ食べられたとしても病院食かレトルトですよ」
「じゃあ何なら食べたいんだ?」
部屋の戸口に立って雷瑚がこちらを見返してくる。もう一度、那奈はベッドに体を預けた。
「オムライス……とか」
何でそんなことを言ったんだろう、と思った。我ながらよく分からない。
よく分からないことは更に続いた。
「分かった分かった、じゃあアレだ、落ち着いたら洋食屋にでも連れてってやる」
雷瑚の声が近づいてきた。ベッドに横たわったまま顔を向けると、相手はこちらに手を差し出してくる。
「だから今日はレトルトで勘弁しろ。ほら」
「……連れてってくれるんですか? 落ち着いたら、っていつ?」
意外に食い意地張ってるな、と雷瑚が呆れたように言う。そんなはずはない、と那奈は考えた。満足にバクバク食べられるほど余裕のある暮らしでは無かったし、それに、父の料理は酷く下手だった。ここ数年は一日一食程度でも平気なくらいだ。
「誓約書を書いてください。住所と氏名、あと日付。いつどこの洋食屋に行くかも」
そうしたら、と言いながら那奈は雷瑚の手を掴んだ。
「そうしたら、ついでだしさっきの話も呑み込んであげます。色んな人と話せ、っていうやつ」
「へいへい。そんじゃあ……この家から紙とペンもパクるか」
「探してあげます」
立ち上がって、那奈は少しだけ笑った。





