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コードレス~対決除霊怪奇譚~  作者: DrawingWriting
ホロウ
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ホロウ - 第59話

   ●




 勉強机のライトが明滅していたことを思い出した。


 机本体は木製のどっしりとした頑丈(がんじょう)なものだ。しかしライトは安物で、アームで適当に固定しただけの代物だった。おまけに兄からのお下がりなのだから、利用年数的にもガタがくるのは致し方なしだ。


 取り替えないとな、とボンヤリ思っていた。


 もう取り替えることは出来ないんだろうな、と今は思う。


 ……卓明は右腕を動かそうとした。


 動かない。


 左腕。右足。……動かない。


 左足……辛うじて動く。だから歯を食い縛り、うつ伏せのまま、彼は左足だけで体を前に押し出そうとした。


 もう足音は聞こえない。多昭(たあき)はひとしきり卓明を殴りつけた後、(つば)を吐いて去っていった。何処へ行ったか、は見えなかった。もう視界は黒に支配されていたから。


 何処へ行ったか、は分かる。


 病院だ。真由や那奈達のところだ。


「う……」


 声が漏れた。喉は無事らしい。まだ中身までは染まっていないということだろうか。だが、いずれにせよ変わらない。


 自分の意識が間もなく消えること。


 多昭をカイ・ウカイへ変えることは出来なかったこと。


 自分と兄を救った、あの夏の宇苑(うえん)よりも図体は大きくなったというのに――あの夏の宇苑より、自分は(はる)かに非力だということ。


「……おれの……ばん……」




『何も出来ねえで死んでいく(みじ)めさってどんな感じだ!?』




「……おれ……が――」


「『俺が』。……何だい?」


 ……不意に。


 懐かしい声がした。


 ……気がした。


「やぁやぁたっくん……えらい真っ黒じゃあないか」


 再度。


 温かい声がした。


 ……気がした。


「いや、ホントすンげえ真っ黒だよ。凄いぜ? もう(すみ)だよ墨。墨明! って感じ?」


 ……足音は無かった。つまり、卓明に近づいて来た者は居ない。


 自分は独りだ。


 独りの筈だ。


「なぁ。そんなになってまで一体何処(どこ)に行こうっての?


 もういいんじゃないの? よく頑張ったと思うけどな」


「……おれ……が」


「うん」


「まもら……なきゃ……」


 腹の底からフツフツと湧き上がってくるものがあった。それに追い付かれたくなくて、彼は必死に足を動かそうとした。


 死神の足音が声として届いていること。その事実が、卓明の体躯(たいく)を突き動かそうとしている。


「……まだ……おれ……!」


「何を守らなきゃいけない? 幼馴染(おさななじみ)のあの子か?」


「……ちがう」


 そう。違う。


 違う。


 これはきっと――。


「へー。ま、誰かしら守りたい人がいるってワケだ。それもそんな体で! いやあ立派だ。立派だと思うよ。……でもなぁ、たっくん」




 ――ああ、やめてくれ――。




「お前が本当に守りたいのはさ。どこかの誰かさんじゃあなくて、お前自身なんじゃないの」




 ――ああ――。




 卓明は自らの体から力が抜けていくのを感じた。


 自分の中の何かが折れた。


 ……そんな気がした。


「今まで誰を思い浮かべてたのか、それは知らないけどさ。俺には分かるぜ。


 たっくんはその子を守りたいんじゃあない。その子を守って、自分が生き残った意味はあるんだって、俺はそれだけの価値がある人間なんだって、そう思いたいだけなのさ」


「……なんで……」


「『何で分かるか』って? それとも『何でそんなことを言うんだ』か? だってたっくん、お前はそんなやつじゃあなかったじゃんか。誰かの為に自分を犠牲(ぎせい)にしてなんて、そんなカッコいい人間だったかい?


 よぉく思い出してみなさいよ。誰かを守る。誰かを助ける。そんなこと、これまでの人生で一度でも考えたことがあった?」


 なんだよそれは、と思ったことを、卓明は思い出した。今朝のホーム・ルームの時間でのことだ。渚那奈の高校生活が今日で終わりだと担任から聞いた時のことだ。事前に何の連絡もなく、教室から出ていく時も一瞥(いちべつ)も無く去っていった那奈を見た時のことだ。


 気になっていた筈だった。中学校に上がって(しばら)く経った頃から、彼女の肌が白くなり、目に見えて華奢(きゃしゃ)になっていったこと。笑顔が減っていったこと。


 気になっていた。


 だが、それ以上のことはしなかった。


「昨日まで呑気(のんき)に飯食って友達と遊んで、平々凡々と暮らしてたお子ちゃまがだぜ? 真っ暗な街に放り出されて色々あったとはいえさ、そんな数時間で変われるもんかい?


 無理だろ。無理さ。お前はガキんちょだよ。色々失くして、自分が生き残ったことに引け目を感じて、せめて自分を善人だと思い込もうとしてる『ただの切羽(せっぱ)詰まった高校生』――それがお前の正体さ」


 ……言い返す気力も、その必要も無かった。言葉は(まぎ)れもなく真実で、ひたすらに全身が痛む。




『無くしたんだよ。家族も家も、俺は全部無くした』




「……だけど」




『けど』




「……だからって」




『だからこそ』




 卓明は思い出していた。あの夏の日。破魔の太刀を握る宇苑の、刃のように鋭い眼。




『止まらない。死ぬまで絶対に止まらない――』




「――俺が止まる理由にはならない……!」


 再び。……再び。


 卓明は声を発し、(かす)かに感覚を宿す左足へ万力を込めた。


 折れた『何か』を継ぎ合わせようとした。




『宇苑ちゃんはずっとずっと遠くに行こうとする。だけど卓ちゃんはそうなっちゃダメ』




「婆ちゃん……!」


 祖母の言葉を思い出す。あの夏の日に聞いた言葉は、孫の身を案じる祖母の、極めて俗物的で保守的な願望だった。


 だが。


 それは決して『生を諦めろ』という意味では無かった筈だ。


 絶対に、その筈だ。


「……観念したら楽になれると思うぜ?」


「嫌だ……!」


「……無理したって結局死ぬのに?」


「まだ動ける……!」


「……死ぬまで止まらないのか」


「そうだ!」


 笑い声が聞こえた。そこには一切の嫌味も、皮肉も、侮蔑(ぶべつ)嘲笑(ちょうしょう)も無かった。


「なら。これからは(かざ)るなよ、卓明」


 ずり、と体が前に進んだ。(あご)で地面を()きつつ、見えない前へと目を()らす。


「飾るな、卓明。誰かの役に立つから許してとか、誰かを守るから許してとか、そんな言い訳がましく生きるのはナシだ。お前は、お前の為に生きていけばいいんだ」


 奥歯が欠けそうになるほど歯を食い縛る。力を足へ送り込む。


「だって、お前は俺の自慢の弟なんだぜ? これ以上にどんな価値が必要だっちゅう話だよ」


 誰かに肩を叩かれた気がした。その温もりが、その言葉が、卓明の背中を強く押した。


「成し遂げてみせろ。生き抜いてみせろ。辛かろうと怖かろうと失うものがあろうと。いいか卓明、約束だぞ――」







 ――気づいた時。


 凸凹の激しい、アルファルト道路の上に彼は居た。


「……俺」


 呟く。


 何度も目を開閉する。


 両手は前方に投げ出されていて、その指先に破魔の(さや)が置かれている。触れても痛みはない。


「なんで」


 疑問を漏らしても、返ってくる言葉はない。だから両手を地面につき、上体を持ち上げ、彼は何度も自らの体躯を見返した。


 (てのひら)も、破れた上衣の穴から覗く腕も、肌色だ。血と泥に汚れてはいる。だがそれだけだ。


 視界もクリアだった。左眼だけ開けてみても、右眼だけ開けてみても、前が見える。アルファルトの上にぽつんと置かれた鞘が見える。


「……兄貴?」


 問いかけても、やはり返ってくる言葉は無かった。







 破魔の鞘を強く掴んだ。

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