ホロウ - 第51話
●
「――目覚めたようだな。では現在の話をしよう。
俺たちは今、飾荷ヶ浜小学校の真下にあった地下洞に居る。天然のものなのか、それとも太平洋戦争時に造られたものなのかは定かではないそうだが、この街の地下にはこういった空間がそこかしこに存在しているらしい。ここにいるのは三名。俺とお前、そして飾荷ヶ浜区域担当の境講・講元の織田栄二さんだ。他は……残念だがどうなったか全く分からん。
あの時――小学校の外からお前の『逃げろ』という声が響いた時、俺は隣に居た織田さんを引きこみ『奥の手』を発動した。同時に、巨大な何かに大地へ叩きつけられる直前のお前が視界の端に映った。故に俺はお前も引き込む形で奥の手を実現させることが出来たわけだ。その後は破壊。周辺一帯を圧し潰すような衝撃だ。俺の奥の手はギリギリそれに耐えることが出来たが、大地に埋め込まれるような形になり、結果、各々の意識も一瞬飛んだ。そして現在に至る。
それぞれの事情も簡単に纏めておく。俺は宇苑を追ってここへ来た。この飾荷ヶ浜は幼い頃に宇苑が世話になった土地で、ヤツにとっては第二の故郷だ。そこで何か異常が起きているらしいという話を聞いてヤツをここへ派遣したが、虫の知らせというべきか、何か起こる予感がしていたのさ。結果、このザマだ。奥の手を使った反動で暫くは手も動かん。話すうちに回復することを祈るしかあるまい。
織田さんは五年ほど前から飾荷ヶ浜に移り住んでいるそうだ。この事態に巻き込まれる中で、彼は怪我をした宇苑と出会い、紆余曲折の果てに宇苑を連れて小学校にやってきていた。が、彼が来た時、小学校は混乱の最中にあったらしい。得体の知れない数種類の化け物、頻繁に発生する天変地異、周囲に蔓延る暗闇……正常で居られる方が稀だろう。見かねた彼が陣頭指揮を執った結果、小学校は簡易避難所として機能し始めていたそうだ。そこに」
「ダメ押しが来た、ってワケな」
晶穂はそこでようやく口を挟むことが出来た。彼女も斜め向かいの磐鷲も、地下洞の壁にもたれかかる形で座っていて、お互いの両手も地面にだらりと投げ出されていた。地面に置いたスマホのライトで自分たちの姿は視認できるものの、座っているだけで精一杯――これが師弟の現状だ。
目立った怪我こそ無い。が、体力が尽きても人間は死ぬ。更に言うと、晶穂たちのいるこの地下洞もいつまで保つか分かったものでは無い。晶穂のすぐ左手には巨大な岩の塊、右手には遥か遠くまで円形の空洞が続いているが、強めの地震が来れば生き埋めは免れまい。
「……ま、生きてるだけでも大したもんだっつうことで良しとしようぜ。ひとまずよろしくな、織田のおっちゃん。自己紹介しておくと、あたしはこのハゲの境講で働いてる除霊師・雷瑚晶穂だ」
「こちらこそ。織田栄二です、宜しくお願いします。と言っても、私はお二人のような除霊師としての力は一切無く、何も役に立てそうに無いのが心苦しい限りで」
「役に立たないという話であれば、わざわざ外の結界を破ってやってきたにもかかわらず、圧し潰されそうになっていた晶穂の方がよっぽど役立たずです。お気になさらず」
「中で数時間過ごしてるのに未だに事態を解決できてないこのハゲも相当の役立たずだぜ、織田のおっちゃん」
「ハッキリ言っておくぞ晶穂、お前がそうやって減らず口を叩けているのは、すんでのところでお前を引き込んだ俺のお陰だ。命の恩人への感謝を噛み締めろ」
「ならこっちもハッキリ言わせてもらうぞハゲ。あたしゃあんたが持ってきた『杖』の件で只でさえボロボロなんだ。偉そうな口を叩くのは勝手だが、外に出たらまず間違いなく嵩姉の平手打ちであんたの両頬は紅葉色だ、楽しみにしてろ」
「あの」
晶穂と磐鷲、両者の間に織田栄二がおずおずと割って入る。言葉に出されずとも、晶穂には容易に彼の思惑が掴み取れた。「喧嘩してる場合じゃないのでは」と言ったところだろう。
「……んじゃあ今度はあたしから。想像は出来てると思うが、外じゃ政府も通廊も大騒ぎだぜ。何せ街一つがドーム状の真っ黒な殻に覆われて、中と一切の連絡が取れなくなったと来たもんだ」
通廊、というのは政府と境講の間を取り持つ伝達機関である。心霊現象に対応する組織として各地に点在する境講は、その歴史の長さ故、一種の事務所のように組織的な活動を行うものもあれば、近隣住民の寄り合いのような緩い繋がりのものもある。そういった様々な形を採る境講の数々に対し、政府の意向や依頼を適切に届けるのが通廊の役目だ。地方自治体における心霊専門の事務職、と言ってよい。
「あたしの役目は斥候だ。つっても『中の様子を伝えてくれたらいいな』程度の期待値だけどな。あたしが戻ろうが戻るまいが、近い内に結界崩しの専門家が派遣されて、この街の異常も元通りだろうよ」
「お前はどうやって結界を抜けた?」
「『杖』を呑み込んだからな。境界の調整が出来るようになっちまった」
「……お前が結界を抜けたのはいつ頃だ?」
「さぁね。一時間も経ってねえと思うけど」
それがどうかしたかよハゲ、と口汚く言ってみたが、予想に反して磐鷲は考え込むように黙っていた。反応が妙だ――そんなことを考えながら、晶穂は引き続き伝える。北方の病院にそれなりの数の避難民が居ること。今のところは大丈夫そうだが、入り口付近にゾンビモドキと化した住民が固まっていること。自分はゾンビモドキたちのいない裏門から出たところで小学校方面の異常に気付き、文字通り『飛んできた』ということ。
「だけど結局、何がどうなってんのかは分かってねえな。鍵穴みてーな形の真っ黒な化け物、人型の影みたいな化け物、ゾンビモドキ……バリエーション豊かな怪異が住民を襲ってることと、時々デカい地震があるってことは病院で聞いたが、学校を叩き壊せるレベルの巨大怪獣まで居るなんてな。ジュラシックワールドも真っ青だぜ」
「……雷瑚さんは、これから我々がどうするべきだとお思いですか? 助けが来るまでここでじっとしている?」
「それは無ぇな」
「晶穂に関しては斥候という立場上、情報を外に持ち帰るべきですし、何より我々はこういったまともではない事態に対処するための人員です」
「では」
「外に出ますよ。少々回復に時間を要しますが、この点はご了承いただきたい」
「そうですか。……良かったです」
織田栄二はそう言うと、小さく息を吐いた。サングラスの奥の目を細めて、磐鷲が怪訝そうに口を開く。
「良かった、とは?」
「妻が地上に居ます。雷瑚さんの仰るところの『ゾンビモドキ』として」
マジかよ、と晶穂は心中で呟いた。何せ自分は渚那奈と出会った時、その場に居た数名のゾンビモドキの手足を砕いているのだ。もしあの場に栄二の妻が居たとしたら――。
「この街で私は、母と妻、そして二人の甥と共に暮らしていました。薄情なようですが、何としても妻だけは救いたいのです。だからどうにかしてここを出るつもりでした。そして……母を止める」
「母?」
「織田さんのお母様であるナヲ子さんは前代の講元で、特異能力者だ。そして、あのゾンビモドキたちはナヲ子さんの特異能力によって生み出されている」
磐鷲はさらりと述べた。どうやらここで晶穂が意識を取り戻す前に――或いは小学校が巨人に破壊されるその前には、もう情報交換を果たしていたのかも知れない。
「ナヲ子さんに与えられたコードネームは『イトヒキ』。俺の知る限り、彼女は他者の体躯を不可視の『糸』のようなもので拘束したり、糸繰人形のように操ることが出来た。宇苑の剣の腕は彼女の能力によって培われたようなものだ。つまり、体を操って無理やり剣術の型を全身に覚え込ませたワケだ。
あのゾンビモドキたちも同じだろう。彼女の糸によって体を無理やり動かされている……」
待てよ、と晶穂は口を挟んだ。闘った、或いは病院の入り口近くでフラフラと動いていた人々の姿を思い浮かべる。アレは無理やり体を動かされているといった類のものでは無い。正気を失い、狂気に塗り固められて獣に堕ちた――そう表現するのが妥当だろう。
「仮にボスの言う通り、アレが特異能力者の能力によるものだとして、コーダーは何を思って住民を操ってるってんだ? 何をさせようとしてる?」
「分からん」
「は? おい大型トド、馬鹿にしてんのか?」
「やかましい。逆に聞くが、お前には分かるのか? 重度の認知症に罹った老人の思考を」
苛立った口調の磐鷲に、その言葉に、晶穂は声を失った。
「碓井さんの仰る通り……母は五年ほど前から認知症に罹り、まともな意思疎通が出来ない状態なのです。だから、ここから先は私と碓井さんの想像にしか過ぎません。過ぎませんが、ある程度の確度はあると考えています。
つまり、こういうことです。母の『イトヒキ』の能力、その真髄は他者を物理的に操ることではない。他者の精神にまで介入し、自分の考える通りに操ることが出来る。神経は糸に似ていますし、歳を重ねることによって母の能力がそういった進化を遂げたとしても不思議はない」
「そして恐らく、ゾンビモドキ――いや、敢えて彼らをイトヒキと呼称しよう。彼らイトヒキは、ナヲ子さんに残った僅かな使命感、責任感、そして本能的な衝動によって突き動かされ、街の人々の殺害と黒い怪異たちの殲滅を行っている。それは術の暴走と言えるだろう。判断力を失った状態で、それでも尚、ナヲ子さんはこの街で起きている異常に対処し、これ以上の悪化を防ごうとしている」
「待て待て待てボス、そりゃおかしいだろ。そのコーダーが認知症に罹ったのは五年前なんだろ? あんたらの言ってることはまるで――」
「そうだ。恐らくナヲ子さんはこの街に起こるであろう異常事態を予期していた。いや、知っていたのさ。誰がこの事態を引き起こそうとしているのか」
ずずず、と遠くで大きなものが崩れる音がした。恐らく、この地下洞のどこかが崩れた――いや、地上でまた崩落が起きたに違いない。
晶穂は静かに右手の空洞へ目を遣った。
眩暈しそうなほどの真っ黒な穴が、遠く遠くまで続いている。
「……この地方には、とある伝承があります。戦国時代、とある尼僧を食ったことで鬼と化した『人食い徳吉』という農民の伝承です。
この『食われた』尼僧の名が、古い文献に記されていました。彼女の名は源涯。『源涯清醒』」
「彼女こそが恐らく、街を闇に包み、黒い怪異で人々を取り込もうとしている諸悪の根源。……俺たちが止めねばならない相手だ」
遠くでまた、ずずず、という大きな音がした。
それは崩落音というよりも、何か巨大なものが這いずり回っているようだった。





