ホロウ - 第49話
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道中、濱野真由の視点からは、二度の問題が発生した。
一つ目の問題は、坂道。飾荷ヶ浜総合病院へと向かう道のりの途中にあった、長い長い上り坂。
その坂道の頂点に、あの『白目の町民』が複数名、身じろぎもせず立っていたのだ。
「おい、どうする?」
額に流れる玉のような脂汗を拭く卓明に、傍に来た数名の大人が相談する。真由は不満だった。卓明は自分と数える程しか歳の変わらない『少年』だ。そんな彼を、いい年をした大人が頼っている。本来なら立場は逆の筈だ。
仕方がない、と言えば、そうなのかもしれない。
真由は改めて、一時停止をした後方の人々を見遣った。小学校の体育館から持ち出した荷車や無事だった数台の自動車、軽トラック。病人はそれらに載せ、スコップなり鉄の棒なり、何らか武装できそうなものを持った人々が護衛のように付き従うその様は、歴史の教科書の後方に掲載されていた難民の写真を彷彿とさせた。
卓明はいま、それら四十余名の難民の先頭に立っている。
小学校で人々に声を掛け、戸惑いの声を受けながらも宇苑を背負い、病院へと向かい始めた彼が人々の先頭になってしまうのは当然と言えば当然だ。そしてその迷いのない行動に縋りたくなるのも当然なのかもしれない。当の本人は……体育館の備品置き場から持ち出した懐中電灯で前方を照らす真由の隣で「宇苑兄ィ重い」「なに食ったらこの細い体でこんなに重くなるんだ」などと汗まみれになりながら呟いて進んでいたし、坂道に来てからは転びかけること数回と、危なっかしいことこの上ない様相を呈している。
化け物の闊歩する闇に包まれた変わり果てた街で、いつまたあの巨大な怪異が現れるとも知れない中で、家族を亡くしたばかりの卓明にこれ以上の重荷を背負わせる――それは真由から見れば、拷問とでも呼ぶべき行為のように思える。
だが。
「……比較的動ける人って、どれくらいいます? ちょっと、集まってもらえますか」
卓明はゆっくりと背中の宇苑を大地に下ろし、真由に「ちょっと待っててね」と言ってから、大人たちと何やら話し始めた。真由はその背中を宇苑の傍で追っていたが、やがて何か話が着いたのか、卓明は真由の元に舞い戻り「宇苑兄ィと一緒に近くの車に避難してて」と一方的に告げた。
意図を尋ねたいが、相変わらず声は出ない。
やがて周囲の大人に協力してもらい宇苑を近くの車に乗せた後、卓明は「また後でね」と真由の頭に手を置いて、それから出かけて行ってしまった。どこに、かは分からない。だが数名の大人も一緒に連れて行ったらしいことは周囲の人々の様相から分かる。そして二十数分が経った頃だった。
「おおい、みんな」
卓明と共に出かけて行った大人の一人が、息を切らして真由ら待機組の元に戻ってきた。彼は大声で――二十数メートル先に立っている『白目の町民』は大声を出されようと身じろぎもせず人形のように動かない――避難民たちに告げる。
「みんな車の陰に入ってくれ。顔を出さないように注意して。特に真っ黒な卵が自分のすぐ傍に転がって来ても、絶対に触っちゃいけない」
「卵?」
「どういうこと?」
「すぐわかるから、とにかく聞いてくれ。合図が来たらみんなで一斉に坂道を上るぞ。その頃には、上のあいつらは失せてるはずだから」
彼の説明には納得できない部分、不透明な部分が多くあったが、「とにかく言う通りにしてくれ」の一点張りだった。真由は無理やり乗り込ませてもらっている軽トラックの荷台で、相変わらず目を覚まさない宇苑を隣に遣り取りを見守るしか出来ない。だが結局、みんなは連絡係であろう彼の言葉に従うことにしたらしい。自動車や軽トラックの車間に荷車各種を配置し、護衛代わりの人々も車の陰に隠れる。その様を確認してから、連絡係は再度、何処かへと消えていった。
数分後。
真由は見た。坂の上に立ち尽くしていた白目の人々が、ぐるりとこちらへ――坂道の下へと目を向けたところを。そして、何か真っ黒なものが大小複数、真由らが息を殺す車群の傍を転がっていったところを。
――あれって。
真由には見覚えがあった。黒い卵。間違いない。真由の家に冗談のように出現していた、そして卓明・磐鷲と共に休憩した家にドンと置かれていたものと同じものだ。
どうしてあんなものが道を転がっていくんだろう――そう思う真由の視線の先では、白目の人々が雄叫びを上げながら、転がっていく卵たちを追い掛けていく。道の端に停止している真由らのことなど眼中にないといった様子だ。
「今の内だ! さぁ早く!」
卓明の声が坂の上から響いた。それでみんな、一斉に動き出した。荷車を押して、或いは車のアクセルを踏み込んで、坂を上っていく。最中、卓明がこちらへ走ってきて、「ただいま」と言いながら宇苑を再び背負おうとする。走る軽トラの荷台の上でのその行動は、いつも以上にどこかぐらついて危なっかしい。
手伝っている間に、軽トラックは無事に坂の上へ到達した。ここからは少しだけ下り坂が続いて、やがてまた緩やかな坂道が北東へと伸びている。それを進んだ先に飾荷ヶ浜総合病院は存在するはずだ。
「ありがとう真由ちゃん。行こうか。立てる?」
卓明は誰に言われるでもなく、再び避難民たちの先頭に立とうとする。真由は頷き、彼の後を追った。そして動き始めた集団の先頭で、真由はじっと卓明を見つめ続けた。
「……あ、もしかしてさっきの卵の話、聞きたい?」
どうやら意図は伝わったらしい。頷くと、卓明は「どこから話したもんか」と唸るように言った。
「とにかくさ、小学校で見た感じ、朋美叔母さんとか……今ちょっとおかしくなってる人たちは、俺たちよりもカイ・ウカイとか黒い人影とかをまず狙おうとしてるんだ、って思ったんだ。だから……多分、それとすごく近いものだろう黒い卵が傍に来たら、アイツらはそっちを優先すると思った」
実際、卓明の考えは当たっていたわけだ。だけど、と真由は思う。
先ほどの策の実行には、致命的な問題がある。





