ホロウ - 第42話
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成程、彼女の言葉は嘘ではないらしい――煌々と照らされる眩い明かりの中、脈動の激しさを抑え込もうとしながら、那奈はそんなことを考えていた。
「だーかーら、言ってんだろ! こんなペラペラ喋る奴が表のゾンビモドキの仲間に見えるか? サッサと院長あたり連れてこい!」
那奈と、隣の女性――雷瑚晶穂と名乗った彼女は現在、飾荷ヶ浜総合病院の三階にいた。三階だ。周囲には割れた窓ガラスが散らばっており、数メートル先には警戒感を露わにした医師や看護師たちがこちらを睨んでいる。それもやむを得ないと那奈は思った。何せ除霊師・雷瑚は、那奈を横抱きにし、病院を囲む塀の上から、その尋常ならざる脚力をもって数十メートルの外庭を飛び越え窓ガラスを蹴り砕きつつ現在地へ侵入したのだ。
そうせざるを得なかった雷瑚の事情も分かる。何せこの病院は、那奈を襲った者たちと恐らくは同種の、白目を剥いてウロウロと動く亡者のような人々に取り囲まれていたのだから。その数、目算で数十名。彼らの襲来を防ぐためか、病院の一階と二階の窓は全て内側から板などで封じられていて、正面玄関前にも椅子やら机やらで組み上げられた強固なバリケードが積み上げられていた。しかしそれは同時に、那奈のような要救助者をも拒む壁ともなっている。
こうなった状況は容易に想像できる。思うに、飾荷ヶ浜南部と異なり、この北部方面には真っ黒な化け物たちの数が然程多くないのだ。代わりにいるのが、雷瑚のいう『ゾンビモドキ』たち。この病院、あるいはその周辺に居た住民たちは、彼らゾンビモドキたちの襲撃にあい、それらを何とか撃退しつつ、更なる襲撃を防ぐために何とかバリケードなどを作り上げた。立てこもるうちに外にはゾンビモドキがどんどん溜まってきて今に至る――そんなところだろう。
故に、驚異的な身体能力を持つ雷瑚でなければこの場所にはやってこれなかったし、そんな彼女と出会えた自分は恐らく相当に運が良い。
……と、いうことなのだろう。
「おっ、ようやくか?」
傍らの雷瑚が髪をボリボリと掻いたのを見て、伏せていた視線を前方に向けると、緊張した様子の人垣を超えて、白衣を着た恰幅の良い医師が一人やって来るのが見えた。彼は開口一番、抑えた声で雷瑚に尋ねた。
「境講の人間だと名乗ったそうだね。……綿舩神社の縁者かね?」
「綿舩神社? いや、あたしゃ外から来た人間だ。この地域の境講の奴らのことは何も知らん。……那奈、一応言っとくと――」
それから雷瑚は、軽くこちらに説明をした。一般に秘匿されているものの、こういった異常事態に対する専門家集団として境講というものが日本には存在すること。それらは言わば超小規模な役所のようなもので、様々な地域に点在しているということ。いま話に出た綿舩神社とやらが、恐らくはこの地域で除霊などを担当していたのだろうということ。
「綿舩神社……」
呟きながら、成程、と思う。綿舩神社。
織田卓明の家族が神職を務めている神社だ。古いがそれなりに大きく、人が泊まれる部屋が幾つもある。小学生の頃、母親が亡くなった那奈を引き取り、暫く生活させてくれた場所でもある。
「あたしゃさっきここに入ってきたばかりでな。中で何が起きてるのか、あんたが知っていることを全て話してもらいたい。代わりにあたしからも外の動きを話そう。あんたの口から説明すれば、院内の人間は大抵安心できるだろ? 境講なんて聞いたことも無い人間にとっちゃ、あたしの話なんか与太話にもなりゃしねえだろうからな」
「申し訳ないがその通りだ。何せこんな田舎だ、当院の場合、境講の存在を知っているのは私と秘書係をしている妻の二人くらいなものだからね」
「そうか、ならさぞかし嫁さんは喜ぶだろうぜ。外はとっくにここの異常に気付いてる。殻があるから中に入れないだけで、相当数の人員を配備済みだ。報道管制が敷かれてるから一般人にゃ知られてねーが、先遣隊のあたしが戻るか、そうでなくても数時間後には殻をぶっ壊して救助部隊が到着するだろうよ。殺風景なショッピングモールも後僅かってわけだ」
「それは……ありがたい話だ。ただ『殻』とは? それに、先遣隊はどうして君一人だけなのかね」
「たまたま条件に当てはまるのがあたし一人だったってだけさ。この近くにいて、結界破りが出来て、ある程度の経験があり、死んでもまぁ許容範囲な……待て。いまあたし何て言った?」
不意に、雷瑚はそんなことを言って自らの口元に手を当てた。正面から疑問が飛んでくる。「何の話だね」と。那奈も同感だった。
「殻……最初にあたし、殻って言ったな? 結界のことを。外では結界と認識してたのに。何でだ? 殻? あーくそっ気持ち悪ぃ、違和感が論理的に消化できん。杖の影響か? そうだな、天道もそんな感じのことを言ってた……」
ブツブツと雷瑚は呟いている。それはどこか、自分の考えを整理しようとする名探偵の様相にも似ているように思えた。卓明の家にお世話になっていた頃、TVドラマで見たことがある。怪事件に挑む頭脳明晰な探偵の活躍譚……。
――あれ?
そこまで考えた時、ふと那奈は疑問に思った。





