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コードレス~対決除霊怪奇譚~  作者: DrawingWriting
ホロウ
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ホロウ - 第37話

   ●




 ――辛い。あまりにも。




 碓井(うすい)磐鷲(ばんしゅう)は右手で両目を覆った。額から汗が(にじ)み出てくる。こめかみが締め付けられるようだ。


「あの。碓井さん」


 正面に座る少年――織田卓明が、実に気まずそうにこちらを(うかが)ってくる。磐鷲はその申し訳なさそうな表情をやめろと言わんばかりに、彼の眼前へ左の掌を突き出した。


「いいから早く食え。俺に構っている時間は無い」


「けど」


「何度も言わせるな。いいか、さっき言っただろう。俺は辛いものが好物だと」


 そう告げる自分の前、ローテーブルの上には『激ヤバ辛太郎~本当にあった辛い(めん)~』などというふざけたネーミングのカップ麺が置かれている。ほんわかと湯気を立ち上らせる器の中には、マグマを彷彿(ほうふつ)とさせる赤黒いスープに、わざわざそれがしっかり絡むように作られているのであろう幅広の麺。粉末化して絡みついてくる唐辛子。唇が痛い。一口(すす)るごとにむせてしまう。


 辛い。あまりにも。


「お、お水飲みます? まだ飲料水残ってますし」


 提案する卓明の腕を、その隣に座る濱野(はまの)真由が引っ張った。彼女は分かっているようだ。唐辛子に水は逆効果であるということを。


「……水はそのまま残しておけ。休息が終わったらある程度持って行った方が良さそうだからな」


「そう……ですね。この家、バッグとかあればいいんですけど」


 気が引けますけどね、と卓明は苦笑いをする。しかし、その右頬には大きな黒い円状の(あざ)が出来上がっている。それは今にも彼の眼にまで到達しようとしているようで、磐鷲は改めて眼前のふざけたカップ麺を気力で啜った。


 そう。思っていた以上に、辿り着いた飾荷ヶ浜は危険な状態にあり、この地に残された時間は少ないであろうことを、磐鷲は既に予想していた。その予想を作り上げるための情報をもたらしてくれた眼前の少年少女に至っては、更に猶予(ゆうよ)は少ないだろう。故に磐鷲は気合を入れた。一刻も早く先に進まねばならない。そのためには彼らに余計な負担をかけてはならない。故にこの激辛クソ麺は自分が食らう。この家に残されていた三つのカップ麺の内、明らかに危険なこの激辛クソ麺は何が何でも自分が食わねばならないのだ。




 ――それにしても辛い。




 汗を(ぬぐ)うと、坂道で海水塗れの顔を拭いていた数十分前のことを思い出す。あの時、卓明と真由に出会えたのは幸運だった。更に言うと、漂着地点近くにプロパンガス利用の古い家があったのも幸運だった。お陰で電力をはじめとする各種インフラが壊滅したこの地において、家の中に置かれていた災害用飲料水で湯を沸かし、タオルを拝借して海水を拭い、体を温めるためにカップ麺にまでありつけた。唯一不幸なことは残っていたカップ麺が三つだけで、そのうちの一つが……いや、それはこの際もう言うまい。


 重要なことは、これらの過程において、卓明からあらかたの状況を聞き出せたことにある。


「……そうだ真由ちゃん、ごめんな。真由ちゃんの家から持ってきてたランドセル……ここに来るまでに手放しちゃったみたいだ」


 替えの服も入れてたのに、という卓明に、真由は「ううん」とでも言いたげに首を横に振る。彼らもずぶ濡れだったが、卓明にはアタッシュケースに入れていた自分の替えのシャツとスラックスを、真由にはこの家の箪笥(たんす)に入っていたチェックのネルシャツと黒いパンツを、それぞれ適当に着させた。ついでにいうと箪笥からは安っぽい革ベルトも見つけられたので、宇苑から借り受けたという太刀の(さや)は引き続き卓明の腰にベルトで装着させている。これだけ色々と拝借しているが、この家の住人には最早、感謝の言葉を述べることすら出来ないのがもどかしい。


 理由は単純だ。家の最奥、寝室と思しき場所に、一メートル近い大きな楕円(だえん)形の物体、漆黒の卵があった。恐らく――卓明らの遭遇(そうぐう)したというカイ・ウカイという化け物に触れると『そう』なるのだろう。そして幾許(いくばく)かの時間を経ると。


 卵は孵化(ふか)する。


 ……全て想像でしかないが。


「――さて、食いながら聞け。結論を言っておく。これから俺たちが向かうべきは、『飾荷ヶ浜総合病院』だ」


 あらかた麺を食べ終え――苦行だった――磐鷲はローテーブルの上に置いていたサングラスを手に取った。卓明と真由はまだずるずるとそれぞれのカップ麺を(すす)っている。存分に味わえ、と心の中で呟いた。一時の休息は誰にでも必要だ。子供なら猶更(なおさら)である。


「碓井さん、スープが残ってますけど」


「黙れ。逆にコイツを流し込まれたくないのならな」


 飲んでたまるか、と心の中で呟いた。


「病院に向かう理由は幾つかある。


 一つ、施設の都合上、停電対策の自家発電装置があること。この町で危険なのは暗闇だ。光のある場所に居れば化け物共も入って来れん。よって当面の安全が確保できる。


 二つ、多少なりとも頭があれば同じ思考に皆行きつく。つまり君らが家族と合流できる可能性が高まる。


 三つ、海から遠い」


「海から? っていうか碓井さん、宇苑(うえん)兄ィとは小学校で落ち合おうって――」


「口を挟むな。飲むか? ヤバ辛太郎を。安心しろ、その辺りもこれから説明してやる」


 どうやら宇苑のアホは余程考えなしに動いていたらしい、と磐鷲は内心で舌打ちをした。話を聞くに目の前の彼らを守るために一旦離別したようだが、子供が土地勘だけで定めた合流地点をそのまま受け入れるなどプロとしてあってはならない愚行だ。『時間が無かったから』『そんな状況じゃ無かったから』は言い訳にならない。


 この状況で自分たち除霊師が被害者たちを守り、導かなければ、一体他に誰が守れるというのか。


「小学校での合流の約束は一旦忘れろ。この地域で現状最も安全なのは病院だということはまず間違いない。それに、仮に宇苑が小学校で地蔵のように待っていたとしても、いずれ奴も否応なく病院に来ることになる。ヤツはアホだが、流石に沈む大地と共に黙って海に消える程ではない」


 ……と信じたい。


「沈む大地……ですか?」


「これを見ろ」


 磐鷲は懐からスマートフォン――市販のモノとは防塵(ぼうじん)防水性能が桁違いの特注品だ――を取り出し、少し操作をしてから少年少女の前に置いた。非常用ランタンと懐中電灯によって照らされる質素な部屋に、ディスプレイから漏れる光が混ざる。


「これは飾荷ヶ浜全域を示す地図だ。地図の北端辺りは俺が事故に()ったと思われる地点、南端はこの地方で海に面している場所の内で最も緯度の低い地点にしている。二点の直線距離はおよそ10kmと言ったところだな。そして、恐らく現在地はこの辺り――飾荷ヶ浜中央から見て真西の地点だ。GPSによる位置情報測位が役に立たん以上、ざっと近隣の地形を見た上での想定でしかないが、全くの見当違いということは無い筈だ。そして既に君らも見た通り、これより南は海に沈んでいる」


 そう言って卓明を見ると、彼は無言で唇を噛み締めていた。少なくともそう磐鷲には見えた。改めて地図を見返すと……成程、ここより南側には漁港や住宅地、そしてこの地域に一つしかない高校があったようだ。彼が通っていたのも十中八九ここだろう。


「時系列を交えて状況を(まと)めるとこうなる。まず南端近くの工場を半壊させる『何か』が起きた。その少し後、工場から見て東北東にあたる内海金融なる悪徳企業の社長宅で地盤の崩落が発生した。更にその少し後、つまり現在――この地区のすぐ(そば)までが海に沈んだ。つまり」


「本当だ、南から海に沈んでいってる」


 卓明は――彼もカップ麺を食べ終えたようだ。わかめラーメンという優しい味のカップ麺を――呟くように言った。その傍らから、同じく食事を終えたらしき真由が――ちなみに彼女のはワンタン入りの更に優しい味のラーメンだった――卓明と共にスマートフォンを覗き込んでいる。声が出せないそうだが、話にはしっかりついてきているらしい。


「そういうことだ。それに未だ起きてはいないようだが、今後津波が発生する可能性も否定できない。分からんことばかりだが、今は海から遠ざかるべきだろう」


「じゃあ碓井さん、俺たちはこれから北の病院に行くとして……その後は? 更に北へ北へ逃げる形になるってことですか?」


「いや、君らの逃避行はそこで終わりだ。病院で救援を待て。俺と宇苑で外部に救助を求めに行く」


「え? どうせなら一緒に行った方が」


「残念だが君らを伴って向かえるような余裕は恐らく無い。この飾荷ヶ浜一帯には強大な結界が張られている。そして内側からこれを崩そうとしたなら、ほぼ間違いなく何らかの妨害が入る筈だ。君らの言う化け物たちの大群が襲ってくる等の、な」


「結界……」


 そうだ、と言いながら磐鷲はスマートフォンを胸ポケットにしまった。そして傍らのアタッシュケースから、二の腕程の長さの、鹿の角に似た形状の黒筒を取り出す。そして筒の底部を強い力で引き剥がした。


「これだけの事態が起きて数時間経つというのに外部からの救援が一切来ていないこと。通信、水道、電気と言ったインフラが全滅状態であること。この事態の始まりが化け物の出現や大地の崩落からではなく、暗闇が地域一帯を覆ってからだということ。これらは全て、何らかの結界によってこの地方一帯が外界と物理的に隔絶されたことを意味している。恐らく、物理的な障壁もあるはずだ。でなければ、俺が走らせていた車が何かにぶち当たったことに説明がつかん。恐らくあのタイミングで結界が形成されたんだろうな。故に車だけが破壊され、俺だけがギリギリで結界内に入り込めた」


「え……っと、ちょっと待ってください。つまり」


 卓明が考えこむ。その間にも磐鷲はテキパキと組み立てを進めた。


 ヘンリーリピーティングアームズ社製、AR-7。真っ黒に塗り(そろ)えられた持ち運び可能なサバイバルライフルだ。いつものM&Pが漂流によってオシャカとなった今、遠隔攻撃はこれに頼らざるを得ない。


「碓井さんは結界……目に見えない壁が創られている途中に突っ込んだ、ってことですか?」


「そうだ」


 幸いにも弾数はそれなりに用意してあるものの、AR-7の攻撃力はM&Pと比べると著しく劣る。一般的に使用される.22口径ロングライフル弾ならばまだしも、磐鷲のそれは自身の特異能力を活かすための特別仕様弾であることも要因の一つである。


「つまり、一秒でも早く来てたら車が壊れることは無かったし、逆に一秒でも遅かったらここには居なかった、ってこと?」


「そうだ。人生はそれなりに長い。そういうこともある」


 ライフルの組み立てが終わって卓明を見返すと、彼は実に微妙な顔つきをしていた。恐らく「そんなジャストタイミンな出来事が起こりうるのか?」と言いたいのだろう。それとも「運が良いのか悪いのか」か? それなら答えは明白だ。


 悪いに決まっている。


「さて、もう少し色々と話したいことだが、残念ながらタイムリミットのようだ。ついては二人とも、可及的(かきゅうてき)(すみ)やかにテーブルの下に潜ってくれ」


「はい?」


「五秒以内だ。四、三、二――」


 怪訝な表情のままの卓明を、傍らの真由が――卓明よりも状況判断力には優れているらしい――慌てた様子で引っ張った。半ば強引にローテーブルの下に二人が潜り込み、「一」と磐鷲が呟くように告げた直後。


 何の脈絡もなく唐突に、樹木がへし折れるような破砕音が鳴り響いた。正面右手の壁が崩れる。


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