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コードレス~対決除霊怪奇譚~  作者: DrawingWriting
ホロウ
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ホロウ - 第36話

   ●




「ちくしょう、ちくしょう……!」


 彼は何度も、何度もその言葉を繰り返していた。うわごとのように繰り返しながら、全身の震えを何とか抑え込もうと試みながら、リビングのソファに寝かせた男の腹部を、救急箱から取り出したガーゼを手に圧迫し続けた。


 家の中――自宅である綿舩(わたふね)神社には誰も居らず、真っ暗だ。争いの痕跡すら無い。つまりこの家に居たはずの人間は――彼、織田栄二の妻である朋美と、母であるナヲ子は……。


「ちくしょう! 何でこんな……!」


 直前の記憶がフラッシュバックする。


 総合病院からの帰り道に起きた強大な地震。坂道に車を停めて目撃した街の惨事。あちこちが燃えて、潰れて、或いは海に沈んで――無数の悲鳴と汚臭が蔓延(まんえん)し始めた故郷の姿に、栄二は一刻も早く自宅に戻ろうとした。妻と母の安否が何よりも気がかりだった。


 災害時には乗るな、という常識をかなぐり捨ててアクセルを踏み込む。


 最中、血の池地獄を見た。祭り飾りで彩られた中型の駐車場。そこで、化け物と成り果てた人間が、同じ人間を襲う光景を目の当たりにした。真っすぐ進むとその傍を通ることになる――それを危惧し、苛立ちながら慄きながら迂回しようと考えた時だ。


 地面から、人影が飛び出た。


 それは例えるなら、机の上にダイスを放り投げるような、どこか乱雑な調子だったと記憶している。或いは、トランポリンで跳びあがる様子を丁度切り取ったような。とにかく、放り投げられるように地面から現れたその人影は、周囲の状況に面食らい、そして。


 『奴』と対峙した。


 『奴』はその人影に正面からぶつかった。人影はぐらりと揺れ、倒れた。


 栄二が弾かれるように動いたのはその時だった。ほぼ本能的なものだったと思う。気づいた時には車ごとその場に突っ込み、『奴』を押しのけるようにして退かせ、人影を車に乗せた。


 恐らく十秒も掛からなかった。自分でも驚くほどの手際だったと思う。


 今は、その行為が誤りだったかも知れないと、どこか悔やんでいる。




 ――もし、後をつけられていたら。




 車のヘッドライトで家の中を照らしているから、リビングルームは強烈な光に包まれている。これで恐らく――恐らくどまりでしかないことが恐怖を増幅させる――あの黒い異形や漆黒の人影は出てこないだろう。


 それはいい。問題は『彼ら』だ。


 『彼ら』に光は関係ない。襲われれば栄二など太刀打ちも出来ないだろう。太刀打ちできるとすれば――彼の予想が間違っていなければだが――それは。


「水」


 不意に、声がした。必死で圧迫止血を試みていた栄二は、思わず全身を強張らせる。


「水。飲みたい」


「あ、ああ……分かった、ちょっ、ちょっと待ちなさい!」


 ソファに寝かせていた、もじゃもじゃ頭で柿色の半纏(はんてん)を着たその青年の声に、栄二は驚愕(きょうがく)しつつも素直に要望に応じる。圧迫していたガーゼをひとまずそのまま患部(かんぶ)に押し当て、包帯でぐるぐる巻きにし、それからソファの後ろ、ダイニングキッチンの隅にある冷蔵庫へ走る。中を開けるとふわりと冷気が(ただよ)ってきたが、この町にもはや電気は通っていない。平和だった数時間前の残り香だ。


 お茶の入ったピッチャーをひっつかみ、男の元へ。怪我人にカフェイン入りの茶を飲ませるのが正しい行動なのかどうか栄二には分かりかねたが、水道も止まっている今、贅沢は言っていられない。


 栄二がお茶を運ぶと、眼前の男は自らそれを掴んで口元に手繰り寄せた。そのまま豪快に飲み干していく。


「……ふぅ。あー……生き返った気分。死んでないけど」


 あはは、と男は能天気に笑った。腹に穴が開いているというのに。


「ありがとうおじさん、助かったよ。いやー死ぬかと思った。マジで」


「実際、死ぬ直前……だったのでは」


「僕は死なないよ。強いからね」


「『あれ』を失っても?」


 そう返すと、ソファに寝転がる男の笑いはピタリと止まった。


 栄二は続ける。


「君のことは卓明から聞いているよ。子供の頃に(しばら)く一緒に暮らしていた除霊師で、手紙を出したから来てくれるかも……と卓明は言っていた。……まさかその子供の頃の格好をそのまま大人になっても貫いているとは……まぁ、識別出来て助かった」


「ああ……この半纏(はんてん)? そうだね、これは何て言うか、思い出の品だからさ。子供の頃からずっと着てて……あ、それはいいとして、おじさんはたっくんとは――」


「叔父だ。織田栄二。卓明と……国明の父親である継一の弟にあたる」


「叔父。……そっか、継一さんは死んだんだった」


 そう言えば焼香(しょうこう)も上げてないや、と男――渡辺宇苑(うえん)は言った。それから、ふう、と一つ大きく息をつく。


「……ここどこ?」


「綿舩神社の住居部分……要は自宅だ。怪我の応急処置の為に何とかやってきた。本当なら病院に連れて行きたかったが、道中に『彼ら』が居て諦めた」


「『彼ら』?」


「つまり……いや、私には大した霊能力が無いから、何が起きていたかは想像に()るんだが――」


「あ、ごめんおじさん。マジでごめんなんだけど」


 言葉を(さえぎ)って宇苑が言う。何か欲しいものでも、と栄二は尋ねた。


「眠い。……ちょっと寝るよ」


 その時が来たら起きる、と彼は言った。そして……止める間もなく、彼は静かに寝息を立て始めた。


 栄二はゆっくりと立ち上がり、リビングルームを見回す。


 車のライトによる異様なまでの明るさ。それを物ともせず眠る男。この男は母・ナヲ子に師事していたと聞く。自分のような半端ものでは無い、本物の除霊師。肝が据わっているのは、その証左と言えるのかも知れない。


 彼が回復すれば、と栄二は考える。回復すればすべては解決するのだろうか? 闇に閉ざされた飾荷ヶ浜。闇を鍵穴の形にくり抜いて動かしたような化け物が闊歩(かっぽ)し、同じく漆黒の――恐らくは化け物に食われた人間の成れの果て――人型が獲物を求めて彷徨(さまよ)い、おまけに『彼ら』まで生存者を狙っているこの異常事態。それを、この青年が一人で?


「……ちくしょう」


 また口から言葉が飛び出て、彼は自身を落ち着かせようと何度か深呼吸をした。結論は出ている。


 彼一人で事態を収めることは出来ない。


 そもそも何をもって『解決』とする?


 失われた命は帰ってこない。仮にこの闇の(とばり)や化け物たちが全て消え失せたとしても、『彼ら』が元に戻る望みは限りなく薄いのだ。それぞれの原因は全く別にあるのだから。


 ……いや。


「まだだ」


 諦めるのはまだだ、と栄二は呟いた。大切なものがいくつも失われた。いくつも失ってしまった。自分には力が無いのだ。化け物と戦う力も、妻を救う力も。


 だが「仕方ない」と素直に頭を()れることなど、どうして出来るというのか? 理不尽は世に無数ある。だが、こんな理不尽は飲み込めない。飲み込んではいけない。


「待っていろ、朋美……」


 妻の名を呟き、彼は部屋の片隅に置きっぱなしだった懐中電灯を片手に、ずかずかとリビングから出た。目的の部屋に入り、片っ端から引き出しやら箪笥やらを開いていく。何か手掛かりになるようなものは無いか。少しでもいい、何か残されていないか。


 今更ながら、平時の自分がどれだけ家のことを妻に任せっきりだったかがよく分かる。とはいえ、後悔していても仕方がない。何か、何かないか。手掛かりになるようなもの、この事態を引き起こした者への反撃の嚆矢(こうし)と成り得るもの――。


 ――それに目を留めたのは、全くの偶然と言って良かった。ふと本棚に目を向けて――中段に一冊、どこか違和感のある分厚いA5判サイズの真っ白な本に視線が止まったのだ。


 違和感の原因は直ぐに分かった。


 背表紙に何も書かれていない。


 彼は懐中電灯を天井に向けて床に置きながら――出来るだけ部屋全体を照らしておかないと、いつあの黒い化け物たちが湧いて出るか分かったものでは無い――ゆっくりと本棚に近づいた。


 耳が痛い程の静寂が部屋を包んでいる。


 この部屋はこんなに静かだっただろうか。家のすぐ後ろには森が、山が広がっている。ちょっと走った先にある崖下には海が広がっている。風に揺れる木々、潮騒(しおさい)――そういったものが、かつてはもう少し聞こえていた気がするのに。


 音の無い部屋で、栄二はその真っ白な本を取り出す。表紙を見る。


 そこには、こう記述されていた。




『Elastic Scalability of Objects - Patrick Lafcadio Raiko』




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