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コードレス~対決除霊怪奇譚~  作者: DrawingWriting
ホロウ
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ホロウ - 第35話

   ●




 全身がずぶ濡れになっていることに気づいた。脱力感も酷い。


 まずいぞ、と卓明は胸中で呟いた。


 寒中水泳の授業で一度、こうなった時のことを思い出した。冬の海に長時間いると、全身から力が抜けて、次に(おぼ)れるであろうことが分かっていても体が動かない。


 救いがあるとすれば、体の正面だけ妙に生温かいこと。そして――感触で分かる――いま現在に関しては、恐らく下半身しか水に漬かっていないということだ。


 動け、と卓明は自身に命じた。動かないと死ぬぞ。動かないと。




 ――どうなる?




 記憶が蘇る。視界が暗転する直前。『何か』が起きて自分たちの足元が崩壊し、目と鼻の先に居た那奈に手は届かなかった。彼女は自分を見ていたけれど、そこに何らかの感情を見出すことは難しかった。無表情。もっと言えば『誰がどうなろうとどうでもいい』――そんな状態だったように思う。


 それでも良かった。生きていてくれたのなら良かった。きっとあの位置なら崩落の影響も受けなかっただろう。多少心許(こころもと)ないが、彼女の近くにはあのプー太郎もいる。自分の女だと言うのなら、彼女を守るくらいはしてくれるだろう。だから大丈夫だ。良かった。生きていてくれるならそれで良いんだ。


 そう思えるなら、どれだけ良かっただろう。




 ――結局俺なんて、その程度でしかないんじゃないかな。




 冷たい体で考える。正直に言うと、多少なりとも驚いて欲しかった。辿り着いた自分に何か一言掛けて欲しかった。だって、少なからず命の危険を()して向かっていたんだ。何か――例え那奈の心が虚無に覆われていたとしても、何か彼女へもたらせるものがあって欲しかった。気に掛けている人間が少なくとも一人はいるんだと、そう彼女に感じて欲しかった。


 傲慢(ごうまん)な考えだ。そう言われても否定は出来ない。だが誰に何と言われようと、抱いていた期待が崩れたのは事実に相違なく、故に卓明は動けなかった。


 


 ――結局、俺には何も出来ないんじゃないかな。




 宇苑のような力もなく、ただ人の力を頼りに動くだけ。そんな自分の行きつく先は、どう足掻(あが)こうと――。




『その顔面! その腕!! お前ら、あの化け物になりかかってるんじゃねえのかよ!!』




 ……ふと、誰かに体を揺さぶられた。


 若干の(わずら)わしさを感じながら、目をゆっくりと開く。


 真っ暗だった。ざらざらした地面に寝転んでいる。そして眼前……彼と同じく地に倒れたまま、卓明を見つめているもの。


「真由ちゃん」


 怪我はない? と卓明は尋ねた。真由は自身の両手を卓明の両頬にあてながら、何度も頷いている。彼女の右腕は(すす)を塗りたくられたかのように真っ黒で、おまけにその漆黒は彼女の腕から肩口まで広がっているらしい。鎖骨の辺りが黒ずんでいる。


 時の経過と共に、黒は自分たちを覆っていこうとしているのだ。


 自分は顔面だと言われた。今はどんな顔になっているのだろう。……いや、そんなことより。


「立てる?」


 真由が頷く。


 卓明は己を奮い立たせた。動け、と自身に命じた。先ほどよりも強く。途端に体のそこかしこに痛みが走ったが、彼はそれを無言で捻じ伏せた。




『例え特別な力が無くったって、人を助けることは出来る』




 ――そうだ。婆ちゃんもそう言ってたじゃないか。




 卓明は先程までの自分を恥じた。上体を起こし、ゆっくりと立ち上がった。どうやら自分たちは坂道に漂着したらしい。ガタガタになったアスファルトが、丁度立ち上がった場所から海へと続いている。真由に手を貸して立たせてやりつつ、卓明はここが何処なのかを思いめぐらせた。考えなければならないと強く自分に言い聞かせた。




 ――俺がこの子を守らないと。




 まずは現在地の把握。それから宇苑との合流。次いで家族との合流。やるべきことは沢山ある。弱気になっている暇など無い。


 恐らく。


 恐らく、あのプー太郎の言葉は正しい。自分たちは何らかの理由によって黒く染まりつつある。全身が黒く染まった時にどうなるかは分からない。だが、(ろく)な事態にならないことは容易に想像できる。


 脱出しなければ。


 この異様な事態から、この闇の蔓延(はびこ)る場所から抜け出さなければ。突然足元は崩れるし、よく分からない何かが地面を(えぐ)ったりするし、そこかしこにカイ・ウカイや黒い人影が居るし、困難なことは間違いないが、ならばこそ脱出しなければならない。


 彼女の――真由の隣にいるのは自分なのだ。彼女を守れるとしたら自分だけだ。


「とりあえず……どこかで着替えた方がいいな、コレ。こんなずぶ濡れじゃ風邪引……ん、どうしたの?」


 塩水でべとべとする髪を掻きあげる卓明の服を、真由が必死に引っ張っている。見ると、卓明の後ろを指さしていた。素直に指し示された方向へ目を向けると……。


「うわっ!!」


 卓明は驚愕(きょうがく)で思わず声を上げた。


 人が倒れている。先ほどの卓明らと同じく坂道に、腰から下を海に浸した状態で。自分たちと違うのは、完全にうつ伏せになっているということだ。


 あのぉ、と恐る恐る声を掛ける。


 倒れている人物――黒いスーツを着た男は一切反応しない。卓明は屈んで、男の体を軽く揺さぶってみた。


 起きない。豊かな腹部が柔らかそうに揺れるだけだ。が、死んではいないらしい。男に触れた掌から、生温かい体温が伝わってくる。


「あのぉ! 大丈夫ですか! ……仰向けにしますね!?」


 そう告げてごろんと体を天に向けさせると、男の顔にはゴツめのサングラスがデンと載っていた。自分と同じく彼もずぶ濡れだが、サングラスが着いたままということは、同じく海に落ちた身の上ではあれど、そんなに長い時間は漂流していなかったのかも知れない。よくよく見ると右手にはしっかりと黒いアタッシュケースを握り締めている。そんな黒づくめの格好には、赤いネクタイと白いシャツがよく映えているけれど、頭部には一切の髪が生えていない。所謂(いわゆる)ハ……スキンヘッドという奴だ。




 ――もしかして危ない職業の人なのでは。




 若干、恐怖心が心に(かげ)を作った。が、卓明はそれを振り払い、男の体を揺さぶり続けた。目の前に人が倒れているのだ。隣の少女の目もあるし、「やっぱ逃げようか」と去るのは難しい。何より心苦しい。というか揺さぶっているよりもこの場合、人工呼吸とか胸骨圧迫とかした方がいいのでは――そんなことを考えた時だ。


 突然、男が大きく口を開け、海水を吐き出した。次いで(せき)。苦しそうに顔を歪めてから体をくるりと回し、大地に向かって何度もせき込む。その丸い体躯が丸く縮こまる姿は、どこかしらよく肥えたトドを彷彿(ほうふつ)とさせた。


 そして。


「……ああ。久々に死を覚悟した。むしろ生きていることが不思議なくらいだな」


 男はそう言うと、四つん()いの格好のままこちらを振り返った。


 恐怖を感じたのか、真由が体を寄せてくる。卓明はそんな彼女の前に出るようにして「大丈夫ですか」と尋ねてみた。


「まぁ、何とかな。済まないが少年、現在地と時刻を教えてくれ。ああ、先に名乗るべきか。まずは安心してくれ。こんな外見だが決して怪しい者では無い。


 俺の名は碓井(うすい)磐鷲(ばんしゅう)。所謂……私立探偵というやつだ。仕事で飾荷ヶ浜(しょくにがはま)……伊豆半島の南側にある小さな町に行く途中で――」


「碓井さん? あなたが?」


 驚いて思わず口を挟むと、男は四つん這いをやめ、でんと坂道に座った。そしてマジマジとこちらを見つめて。


「もしかして」


 男は言った。


「君はナヲ子さんの孫の……国明――いや、その弟の織田卓明君か?」


 どうやら、かなり聡明(そうめい)な男性のようだ――卓明はトドのイメージを振り払うという困難なミッションに挑みながら、「はい」と返事をした。




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