ホロウ - 第31話
二人は小学校とは反対方向に、瓦礫が作り上げた道を進んだ。時折巨大な針葉樹が道路にごろんと転がっていたけれど、それも乗りこえて進んだ。相変わらず世界は星すらない夜の中にあり、他に生存者の姿は一つも無い。卓明曰く「『スーツ姿の男』は、こちらが進むたびにフッと姿を消しては道の前方に再度浮かび上がる」そうだ。間違いなく自分たちは誘われている。
だけど、どこに? ……その答えは、十数分ほど崩壊した街を歩き続けた先に待っていた。
「内海屋敷だ……」
辿り着いた大きなお屋敷の前で、卓明がボソリと呟いた。真由らの正面前方には、この飾荷ヶ浜でも有数の敷地を持つ大邸宅――の崩壊した姿が広がっている。
高い塀も鉄製の凝った装飾付きの門扉も地面に倒れ込んでいて、庭だったと思しき空間には木々が折り重なっている。日本風のお屋敷だったのだろう、瓦が足の踏み場もない程に大地に散乱していて、住宅部分もぺしゃんこだ。生き残り……がいるようにはとても思えない。
「もしかして那奈のところに連れてきてくれたのか、あの人? でも何でだ……?」
――那奈?
「あ……えっと、那奈っていうのはね。俺の幼馴染で同級生で……探し人なんだ。あっ、宇苑兄ィには『妻』って嘘ついてるんだけど、それは言わない方向で。家族じゃないなら助けてる暇ないだろ、って宇苑兄ィが取り合ってくれなくてさ……」
苦笑しながら、卓明はもはや屋敷の様相を呈していない崩壊した住宅跡へと踏み込んでいく。足の踏み場もない程にコンクリートブロックやら倒れた木やら瓦やらがばら撒かれているが、その中でも何とか足場を見つけて、だ。真由も彼の手を握りながら必死になって歩いた。
汗を掻きつつ考える。もしかして自分たちを先導しているらしい幽霊は、この屋敷で働いていた人間なのでは無いだろうか。
小学校の先生から「この辺りには近づくな」というお触れが出たことがある。その言葉の意味を察するに余りある異様さを物語るように、黒塗りの外国車に乗って移動するスーツ姿の男たちを真由も見た経験があった。そして、あの男たちの一人が卓明の探し人の居場所を教えてくれている……?
「真由ちゃん」
ふと、隣の卓明が――彼も瓦礫の隙間を縫って進むこの強行軍に汗を流していた――足を止めて前方を見据えた。
「あそこ」
彼の視線の先には、どうやらボロボロになり果てた玄関口らしきものがあった。らしきもの、と言っても、扉として機能していたらしきガラス戸は割れて大地に転がっており、更に奥に見える邸宅部分は圧し潰されている。だが屋敷の他の場所よりも柱がしっかりしていたらしく、瓦が全て滑り落ちている以外は軒先が綺麗に残っており、靴箱や据え付けの傘立てなどがうっすらと見えているお陰で、何とかそれが玄関であることは認識できた。
そして――その玄関口の内側から、光が漏れている。ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎のような弱い輝きではない。均一に一方向に放たれている、人工的な輝きだ。
「あの! すみません! ……無事ですか?」
慎重に言葉を選びすぎて何だかよく分からないことになっているな、と真由は思った。岡目八目、という四字熟語を学校で教わったが、まさに自分は今、それを体感している。いざという時は自分を守らなければという責任感と、探していた人物に出会えるかもしれない期待感の両方を、卓明の掌から強く感じた。
だが。
「あぁ?」
明かりの方向から聞こえてきたのは、不機嫌そうな男の声だった。途端、卓明の掌は緊張一色に上塗りされた。
「誰だ? 救助隊か? ……なわけねえよなぁ、まだ昼の二時だってのにこの暗さだぜ? あり得んぜマジ……」
「その声……内海のプー太郎だな。あんた、生きてたのか」
「はぁ?」
いかにも不快そうな声が返ってきた。だが、返ってくるのは声だけだ。男はこちらに顔も出さない。
「誰だ? どうやってここまで来た?」
「織田卓明。数時間前にあんたの部下にボコられた奴だ。……正直複雑だけど、まぁ死んでるよりは生きて――那奈!」
玄関口の中を覗き込んだ卓明は、叫ぶなり走り出した。真由を置いて玄関口に一足飛びで駆けこんだ彼に、プー太郎と呼ばれていた男が怒号を発している。
恐る恐る、真由も明かりの元へ近づいた。
五、六人分は靴を揃えて並べられそうな程に広い玄関の中央で、一台だけぽつんと地に置かれたスマホが爛々と光を吐き出している。すぐ傍に男が一人、そしてその真向かいに女性が一人。卓明はその女性の両肩を持って「生きてたんだな」とか「良かったよ本当に」とか、そんなことを言っていた。だから、その女性が彼の探していた『那奈』であることは容易に想像できた。
一目見て真由が思ったのは、「暗い感じの人だな」だった。
整った顔立ちに雪を想起させる白い肌、セミロングの黒い髪。体格は華奢で、背は卓明より頭半分ほど低い。髪と同じ色の真っ黒な瞳からは、カイ・ウカイを彷彿とさせる生気の無さを感じた。美人ではある。だが触れれば容易く砕けてしまいそうな儚さと、それを諦めきっているかのような雰囲気に、真由は思わず顔をしかめていた。
――卓明さん、こんな人を探してたんだ。
真由は無意識に何度も右手を開閉させた。どう見てもチンピラ風の――そしてどこか疲れた様子の――男。一緒に居るだけで陰気が移りそうな女。こんな二人に会うために、わざわざ身を賭してやってくる価値はあったのだろうか?
「おいガキ! 人の女に勝手に触ってんじゃねえよ!」
チンピラ男――さっき卓明にプー太郎と呼ばれた男だ――が、立ち上がって卓明を指さしている。卓明は一切声を発さない那奈なる女性とチンピラ男とで視線を往復させた後、那奈の肩を掴んでいた手を放した。
「それでいい。素直なヤツは嫌いじゃないぜ。それはそれとして、えっと? 何の用だって?」
「……那奈を探してたんだよ。こいつは俺の幼馴染だから」
「へぇ! そりゃあすげえや。こんな化け物がうようよいるような場所を? ガキ一人連れながら? なんだお前、もしかして除霊師か何かか?」
「除霊師?」
真由は静かに――と言っても相変わらず喉が動かないので声を出しようがないのだが――卓明の隣に立って、彼の右手を握った。卓明はハッとして「ごめん真由ちゃん」と謝ってくる。……少し気持ちが落ち着いて、卓明の隣で突っ立ったままの那奈へと視線を向ける。
那奈もまた、こちらを見つめていた。





