ホロウ - 第24話
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闇に光が射し込んだ。それはあまりに突然で、どこか無遠慮ですらあった。
だが、なぜだかとても温かかった。
「わっ!」
続いて、驚きの声。ドタンと尻餅をついたらしい音が響く。
「宇苑兄ィ! 女の子がいる!」
「お嫁さん?」
「そんな都合の良い話あるか! ……ごめん、大丈夫? こっちへおいで」
光の向こうから差し出された手に、彼女――濱野真由は暫し反応出来ずに居た。何が何だか分からなかった……というよりは、停止させていた脳を起こすのに時間が掛かった、という方が正しい。
「もしかして、ずっとカイ・ウカイ……あの真っ黒なヤツの目の前に居たの?」
恐らくは懐中電灯の光だろう。逆光と、暗闇で目を見開き続けていたせいで、視界がブレて、霞んで、まともに前が見えない。ただ視覚以外で言えば、間違いないことがある。
優しい声だった。
「さぁ、こっちだ。大丈夫、もう大丈夫だよ」
差し出された手は力強く、温かく、硬直して動かない彼女の体を労りながら引っ張った。男性だ。高校生くらいだろうか。
「よし。よく頑張った。もう大丈夫、俺やこっちのお兄さんが居るから、もう何も心配要らない。……君、名前は?」
押し入れから出て、少し痺れる足で部屋に立った。声を出そうとする。
「……っ……?」
――出ない。
「? どうしたの? 大丈夫?」
声が出ない。自分の喉が、自分のものでなくなってしまったかのようだ。
「ショックで声が出なくなってるのかも。たまにあるんだよ、そういうこと」
連れ出してくれた男性の後方から、より低い調子の男の声が届く。そうなのか、と目前の男性が言った。
「怖かっただろ。でももう大丈夫だ。何の心配もいらない。……あ、自己紹介しようか。怪しいヤツじゃないんだよ、俺たち」
「勝手に他人の家に上がってる身で怪しいも怪しくないもないけどね」
「宇苑兄ィ、それは言っちゃいけない」
どうやら、後方に立つ鳥の巣のようなもじゃもじゃ頭の男性の名前が『宇苑』らしい。柿色の半纏を羽織り、その下に白のTシャツを着ていて、黒いジーンズをはいている。足元はドロドロのスニーカー。家の中なのに、と真由は抗議したくなったが、そんなことを言っていられる状況でもなさそうだ。
「俺は織田卓明。ほら、山側に綿舩神社ってあるだろ。崖の上の神社。あそこの息子なんだ」
そう言って優しく笑う彼は、どうやら近くの高校に通っているらしいということに気付いた。理由は単純で、黒のスラックスに白い半袖のYシャツ、そして首元の校章の刺繍が、真由にとって見慣れたものだったからだ。ただ制服はえらくボロボロで、ところどころ破れてすらいる。よくよく見ると人懐こそうな笑顔の至るところに擦り傷や内出血が、そして薄めの唇にも切り傷があった。整えられた眉や耳の出ている黒い短髪、少し垂れ目がちな目尻などからは誠実そうな人柄が滲み出ているが、どこかで喧嘩でもしてきたのだろうか。
いや、巻き込まれたのか?
「で、後ろの半纏のお兄さんが渡辺宇苑。変わった名前だろ? 血の繋がりはないけど、俺にとっては大事な兄貴だ」
「えーっと、濱野真由ちゃん? かな? 緊急事態につき、玄関口に置かれてた懐中電灯を拝借してるよ。あと土足なのもご勘弁」
「あれ? 何で名前分かったの?」
「ランドセルの中がぶち撒けられてたから、勝手にノートの名前欄を参照させていただいたのさ」
手癖が悪いなぁ、と卓明が苦笑いする。真由はどうすべきか迷った。色々聞きたかった。何が起きたのか? どうして家の中に入ってきているのか? 何でこんなに暗いのか? 今は何時なのか? いや、それより何より。
――お母さん、どこだろう。
「えっと、真由ちゃん? でいいかな?」
卓明に尋ねられ、彼女は頷く。声が出ないならジェスチャーで何とかするしかない。
「何が起きたかは分かる? ……分からないよねそりゃ。俺たちにも何が何だか分かってないし……でもとにかく今、この辺りは無茶苦茶なことになってる。昼なのに真っ暗になってるし、真っ黒な化け物――さっき君の目の前にいたあいつね――が町の至る所にいるし、デカい地震っぽいのもあったし……」
真由は思い出した。押し入れの奥に居て、突然明かりが消えたこと。悲鳴があらゆる方向から聞こえて……。
「ああ、ごめん、ごめんな! 大丈夫、落ち着いて。今は大丈夫だから、俺たちが居るから」
突然、自分でも戸惑うほどの体の震えが来て、目を白黒させている間に卓明が両肩をがしりと掴んでくれた。「大きく息を吸って」「吐いて」……慣れた調子で彼は落ち着くように促してくれる。
「うーん、残念。他に懐中電灯は無さそうだ」
勝手に家の中を探っていたのだろう、宇苑なる男が頭を掻きながらやってきた。「最近は携帯があるもんなぁ」と卓明。彼は真由の視線に気付くと、その意図を汲み取って続けた。
「さっき君の前に居た黒いヤツ――俺たちはあれをカイ・ウカイって呼んでるんだけど――アイツ、どうやら光に弱いみたいなんだ。携帯のライトとか、懐中電灯とか。ここまで来る途中でそれに気づいて。だから申し訳ないんだけど、こうして君の家で灯りを探させて貰ってたわけ。……近くの他の家は大体崩れちゃっててね」
「で、成果が懐中電灯一つ、ってわけ」
「宇苑兄ィ」
咎めるように卓明が言った。……少なくとも眼前の男性に関しては警戒しなくて良さそうだ、と真由は判断した。言動の端々に誠実さが垣間見える。
それにしても。
真由は周囲を見回した。
真っ暗な室内には壁に掛けていたカレンダーやタンスなどが豪快に床へぶち撒けられており、普段の生活空間からは程遠い惨憺たる有様と化している。玄関入ってすぐのキッチンや冷蔵庫も同様で、ありとあらゆるものが床にばら撒かれて居た。……と、そこでようやく彼女は気付いた。
玄関脇に、何か……真っ黒な物体が置かれている。
「真由ちゃん」
先に言っておくよ、と隣の卓明が言った。
「アレには触っちゃだめだ」
それは……端的に言うと、真っ黒で大きな卵に見えた。手のひらサイズの冷蔵庫に入っているものとは比べ物にならない――恐らく一メートル近いだろう――楕円形の物体。つくしの頭の部分を真っ黒にしたもの、と言ってもいいかもしれない。それがドンと置かれている。
勿論、そんなもの、押し入れに入る前は存在しなかった。
「真由ちゃん。色々と不安だろうけど、一旦外に出よう。いいね?」
卓明の言葉に、真由は頷くしかなかった。一瞬「お母さんを探さなきゃ」という気持ちが鎌首をもたげたけれど、どう見ても家の中に母は居ない。
外に逃げたのかも知れない。きっとそうだ。





