ホロウ - 第20話
地理的には、ちょうど卓明らが家の前から下ってきた坂道の地下、といったところか。岸壁に開いた横穴は、大口を開けた深海魚を彷彿とさせる。カテゴライズすれば『海食洞』と呼ばれる洞窟なのだろうが、当然、幼い卓明にそんなことは分かる筈もない。ただ宇苑に背負われながら、海よりも暗い空間へと身を浸らせていくのみだ。
否。正確に言えば、昼でも夜闇のように暗いであろうその空間に、ポツポツと小さな明かりが落ちている。
何だ、と不思議そうに宇苑が近づいていき、落ちている明かりを拾い上げる。
「ライトだ」
「ライト?」
青く発行する棒状の明かりを手にしながら、宇苑が怪訝そうに呟く。卓明は拙い口調で説明した。彼自身も数度しか見たことは無いが、真ん中でぽきんと折ると数時間光り続けるライトのようなものだった筈だ、と。所謂ケミカルライトと呼ばれるものだが、宇苑にとってもそれは見慣れぬ物体だったらしい。
「ふぅん……でも何でこんなものがここに?」
「きっとお兄ち……国兄ィ達が置いていったんだよ。こんな真っ暗なところだもん、目印が無いと迷っちゃうよ」
そりゃそうか、と呟き、宇苑はライトを持ったまま歩き始める。卓明は焦りながら彼を止めた。
「置かなきゃ! 僕たちも帰れなくなっちゃう!」
「……あ、そうか」
漸くその時、卓明の脳裏に一筋の不安がよぎった。
この人は本当に大丈夫なのだろうか。
真っ暗な洞窟を、凸凹の岩肌を、水たまりや狭洞やホール状の開けた場所やらを、地面に置かれたライトを辿りながら、宇苑は黙々と進んでいく。その足取りに迷いや戸惑いは一切無い。だが――国明に約束された通りに助けを求めたものの――宇苑は国明と同年齢だった筈だ。
助けを呼ぶなら、素直に母を起こして、大人たちを連れてくるべきでは無かったか。
確かに祖母に並々ならぬ修行をつけられているようだし、卓明にとっては国明に無い落ち着きを――出会った当初の獰猛さは最近なりを潜めている――持っているから、国明よりも随分と成熟して見える。だが、先ほど彼が表した素の表情は、国明と変わらない少年のもののように思えた。
そして、それは卓明以外の者にとっても同じだったらしい。
「おいクニ! 何で大人を呼ばねーんだよ!」
彼らは数度目に出くわした、一際天井の高い開けた場所に一塊になっていた。丁度、大人の身長と同じくらいの窪みがホール状の空間の隅に出来上がっているようで、何をどうしてそうなったのか不明ながら、国明と他三名の少年が、その窪みから顔だけ出してぎゃあぎゃあと騒いでいたのだ。
何をどうしてそうなったのか不明……というのは、彼らが何故そんな場所にハマったのか、卓明には全く想像できなかったからだ。
既に述べた通り、彼らが居たのは開けた直径二十数メートル程の空間――頭上は外に繋がっているのか、湿気を帯びた洞窟内を月の光が淡く照らし、輝いている――その端っこにある窪みの中だった。果たして冒険心溢れる少年たちが一斉にこの場に出たとして、四人が四人全員とも、壁際の窪みに突っ込んでいくものだろうか?
更に、奇怪なことが一つ。
「死んじゃうぞコレ! 助けに来たのがオレらとタメって何の解決にもなってねぇじゃん!」
「馬鹿野郎ども落ち着けい! ここに来た我が弟とそれを背負う少年剣士はだな、ウチの婆ちゃん曰く『下手な大人よりも強い』と絶賛のアレだぞ!」
「国明」
「やだ宇苑くん、いまひょっとして俺の名前呼んだ!? 何か照れる~!」
「どうやったらそんなところに仲良く滑り込めるんだ?」
淡々と尋ねる宇苑の背から降りつつ、こくこくと卓明は頷いた。おかしいと思ったのは自分だけでは無かったのだ。
そう。少年たち四人が顔だけ出している窪みの上には、台形の巨大な岩塊が一つ、どんと寝そべっていたのだ。それは丁度、浴槽蓋が顔を出せる程度だけ開いているようなもので、どう考えても体を突っ込むだけの隙間は無い。注意深く岩塊と窪みの隙間に足から体を差し込んでいった……と言われれば「そうですか」と納得できなくも無いが、四人が四人ともそのような奇行を為したとは考え難い。それも遭難と隣り合わせのこんな場所で、である。
「滑り込んだんじゃねーのよこれが! ここに放り込まれた上に蓋されたのよこれが!」
「蓋?」
「この上の! 岩!」
「誰に?」
「あそこに居るヤツ!」
国明とその仲間たちから放たれる言葉に首を傾げながら、卓明と宇苑はほぼ同時に後方へと首を向けた。
洞窟の、端。月明りの射し込む宙空の、更に奥。反対側の壁際。
そこに、人影が一つあった。
暗くてよくは見えない。だが、卓明からはどうも、その人影は三角座りをしているように思えた。寒いのだろうか、もぞもぞと体を動かしている……ような気もする。
「アイツ、俺たちが近づいていったらすげえ勢いで叫んできてさ」
「こいつらビビッて動けなくなっちまって。そしたらもう凄い力でぽいぽいのポイよ。ここに放り投げられて、更に岩で蓋と来たわけ」
「てめぇなに『俺は違うけど』みたいなツラしてやがんだ、クニ! 一歩も動けなかったのはてめぇもだろ!」
「馬鹿言うな俺は寺生まれだぞ! ちょっとビックリしてただけだ! 別にビビッてはない! ぞ!」
寺じゃなくて神社生まれなんだけどなぁ、と卓明はぼんやり思った。そんな卓明の想いなど気にも留めず、兄とその友人たちはああだこうだとぎゃあぎゃあ騒ぎ立てている。隣で「何でそんなに元気なんだ」と宇苑が呟いた。確かに、と卓明も思った。
「だってもうここに入れられて何十分? 何時間? も経ってるんだぜ? あそこのヤツ、結局アレから何もしてこねぇし」
「ビビるにも飽きちったよ」
「なぁ宇苑くん、アイツってやっぱ人食い徳吉なのかな!? 心霊最前線にいる少年剣士としての意見を求める!」
真剣なのか不真面目なのかよく分からない調子の国明たちだったが、宇苑は鋭い眼差しで遠くの人影を見据えている。この時の卓明に彼の意図は掴めなかったけれど、後から考えれば極々当然の行動だっただろう。
ざっと見て二メートル近い横幅の岩塊をポンポン持ち上げられる人間など、そうそう居るわけがないのだから。
「逃げるぞ」
宇苑は小さく、しかしハッキリとそう告げた。そして岩塊に手を当て、万力を込めてそれを押し始める。
その瞬間だった、と卓明は記憶している。





