ホロウ - 第4話
それは突然だった。
聞き覚えの無い張りのある声が工場内に響いた。
スーツの男たちが背後を振り返る。
背の高い人影があった。
「そこまでボコボコにしておいて、今更『何もしない』は無いでしょ」
そう続けた男の身なりは、お世辞にも整っているとは言い難かった。
彼は柿色の半纏を羽織っていた。黒い髪には艶はあれどボサボサ、足元のスニーカーは土でドロドロ、半纏の下に着ているTシャツはよれよれ。黒いジーンズはともかく、全体的に清潔感という言葉からは程遠い。だが。
卓明には見覚えがあった。その男の羽織る半纏と――何より。
その、刃のような眼光に。
「誰だてめ」
スーツの男の片方が声を出したのと、半纏を羽織る男が卓明の前に立っていたのは、ほぼ同時だった。卓明は混乱した。まさに瞬きの合間に――彼と自分とは十メートル近く離れていたのに――突然、男は自分の前に居たのだ。
「織田卓明くん。だよね? 大きくなったなぁ。たっくんって呼んでいい?」
「え」
異様な程に優しく、奇妙な程に慣れ慣れしい言葉だった。が、自分でも不思議な程、卓明はすんなりと半纏男の声を受け入れていた。動揺の声を漏らしたものの、同時に頷いている自分がいた。
もしかして――と卓明は思った。もしかして。
この人は――。
「ひとまず座ろう。無理しちゃダメだ。水飲む? しまったなぁ、薬とか全然持ってきてないや。あ、でも待てよえーっと……おっ、あったあったこれこれ。たっくん、これ握って深呼吸してて。これはね、ガチの巫女さんがガチのお祈りをした結果産まれたガチのお守りなんだよ。ガチで引くくらい怪我の治りが早くなる」
勝手にぺらぺら喋りながら、半纏の男は卓明を壁に寄りかかるように座らせ、更に勝手に古そうなお守りを卓明の手の中に押し込んできた。為すがままにされていた卓明だったが、半纏の男の後方からスーツの男二名が声を荒げてやってくるのが見え、焦って声を出す。「あの」と。
「後ろ、後ろから」
「僕なら大丈夫。強いからね」
半纏の男は歯を見せて笑った。直後だった。
彼の姿は卓明の眼前から消えた。
ドン、という重い音が工場内に響き渡る。
スーツの男の片割れ……その顔面が、卓明のもたれている壁にめり込んでいた。
「後悔しろ。かなり乱暴にいく」
半纏の男はそう言うと、右手に掴んだスーツの男の頭部を壁から引き抜き、もう一度顔面から壁に打ち付けた。工場内に重い音が響き、頭部がねじ込まれた壁面にヒビが走る。
それを見て、もう片方のスーツの男は戦意を喪失したようだった。彼は声をあげ、踵を返して出口へと走り出す。が。
半纏の男は傍の壁を蹴り、軽業師のようにひらりと宙を舞った。そうして、逃げ出しかけた相手の眼前に着地すると同時に、スーツの男へ足払いを掛ける。
一瞬だった。
スーツの男の体はその場でくるりと横回転した。半纏の男は刹那だけ宙に浮いた相手の顔面を掴み、思い切り大地に叩きつけた上、更にその頭部を砕くように踏みつけた。
ガン、という派手な音が響き渡る。
床に顔面がめり込んだスーツの男は、ぴくぴくと痙攣し、やがて動かなくなった。
「顔の形が変わってても文句は言うなよ。弟を痛めつけたバツだ」
半纏の男は呟くようにそう言って、再び卓明に向き直った。卓明は息を飲んだ。半纏の男の強さに、ではない。その男の眼差しに――正確にはその男にいつかの面影を見出して、だ。
そう。卓明には国明の他にもう一人、兄のような人物がいる。兄といっても血縁関係は無く、まだ幼いころに数か月一緒に過ごしただけの間柄だが、それでも卓明にとって、国明と同い年で、ぶっきらぼうだが優しくて、何かあればすぐに飛んできて自分を守ってくれた。
男の名は。
「宇苑兄ィ……?」
「はろー。十年ぶり? くらいだね、たっくん。渡辺宇苑、弟の求めに応じて現着だ」
自分で言うけど物凄く珍しいことだよこれは、と、その男――渡辺宇苑は笑った。





