リメイク - 第19話
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坂田雨月からの猛烈な抗議の電話を切って、碓井磐鷲は小さく息を吐いた。スマホスタンドに伸ばした右手をそのままスーツの首元に向け、ネクタイを少し緩める。
雨月の言い分はこうだ。
今日から自分と晶穂は公立高校に職場復帰するはずだった筈だ。それが蓋を開けてみれば自分だけしか来ておらず、結局、夜になっても晶穂が来ることは無かった。どういうことか? 騙したのか? 上司だからと言ってやっていいことと悪いことが有る筈だ。そして晶穂からの詫びの連絡も無い。一体、磐鷲は晶穂に何を命じたのか?
高速道路を降りて、既に十数分が過ぎていた。山間の静かな道路を、夕暮れの紅い陽が射す国道を、遠出用の古いマニュアル車で法定速度を律義に守りながら磐鷲は進んでいく。機嫌が悪い時の雨月は、突き刺すように冷たい口調でイチイチこちらの言い分を遮るようにしながら主張を続けるため、非常に神経を使う。率直に言えば苦手だ。普段が理知的で優秀な除霊師である分、晶穂が絡む話での暴走具合は、相手をしていて胃が痛くなる。
今回も、素直に晶穂の現状を伝えるなどすれば――常世遺物を扱うための修練を卜部嵩と共に一週間ほど山籠りしながら行うことになった、などと伝えてしまえば――雨月は「何故そこで私を除け者にするのか」と静かに怒った挙句、磐鷲の指示などまるで無視して公立高校の職務を放り出し、自力で晶穂の居場所を探り、向かってしまうことだろう。虫も殺さないような顔をしておきながらその実、雨月の本性は狂犬に近しいのだ。故に、雨月には「晶穂は修業の都合で一週間は職場復帰できない」「師事する相手のスケジュール上、かなり急な都合となった」と詳細な事情をほぼほぼ伏せて伝えることにしたのだが、あの分では全く納得していないだろう。明日辺り、またクレームとも怨讐ともつかぬ言葉で詰りの電話を入れてくるに違いない。磐鷲は憂鬱だった。昔はまだもう少し可愛げがあった――。
「――いやそうでもないか」
車内で独り、呟く。晶穂と雨月は二人揃って磐鷲の講に入った。入りたての頃、晶穂は素直で口も悪くなかった。一方、雨月は最初から磐鷲をどこか敵視していたきらいがある。とはいえ、ぶつくさ言いながらも『一旦退く』という選択肢を取れるようになっただけ、雨月も大人になったのかも知れない……。
「……いやそうでもないか?」
日本でも三本の指に入る治病祈祷の力を持ち、更に特異能力まで有する巫女・卜部嵩。
過去の体験から、生者ながら死者の特性をも併せ持つコードレス・雷瑚晶穂。
その晶穂と共に磐鷲の講に入り、攻撃的な特異能力と理知的な判断力を持つコーダー・坂田雨月。
そして――彼女らと同様、幼少期から磐鷲の講に入り、今は常世遺物を片手に年がら年中『探し物』をしているコーダー・渡辺宇苑。
磐鷲が作った講に所属しているのは、現状、磐鷲以外にこの四名のみ。この講において、雨月の精神的成熟度は上から四番目くらいだろう――磐鷲はそう考える。勿論、一番は自分だ。そして、五番目――最も精神的に危うい者のフォローのため、いま彼は車を走らせている。
……と言っても、正確には支援を要請されて向かっているわけではない。この行動は磐鷲自身が決断した故のものであり、向かったとて何の意味も無い可能性は十二分にあり得る。その場合、雨月は更に怒るだろう。「自分への説明責任を果たしたくなくて逃亡したのだ」などと言って。
そうであれば良い、と磐鷲は思った。そうであれば。この行動が杞憂に終われば。それが一番だ、と思う。小娘の小言を聞くくらいで事態が終わるのならば、どれだけ良いだろう。そう思う。
つまり。
磐鷲は半ば確信していた。
自分の向かう先で、何か――破滅的な何かが待ち受けているであろうことを。
「無事に終わればい」
そこまで言葉が出たところだった。不意に。
夕の陽が消えた。
夕陽が水平線に沈んだのではない。突然、まるでスイッチを切った電球のように突然に、闇の帳が降りたのだ――それを知覚した瞬間だった。
磐鷲の車は『何か』にぶち当たり、その衝撃で豪炎に包まれた。
【リメイク 完】





