リメイク - 第14話
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天道、と名乗った彼は、一見すると華奢で小柄な、どこにでもいる少年のように思えた。
柔らかな輪郭と身長からして、歳は十を数えて少しと言ったところか。青いパーカーに淡い空色のジーンズ、白い毛糸の帽子、鴉のように真っ黒な髪と瞳。顔立ちを見るに、東洋人であることは間違いないだろう。寒さのせいか若干赤らんだ頬と鼻先、そして敵意を感じさせない屈託のない笑顔からは愛らしさすら感じる。だがその声は、見てくれの幼さと相反するような、静かで落ち着いたものだった。
「ざっくりと事情を説明しようか。僕はキミたちのリーダー・碓井磐鷲が、この地で雷瑚晶穂に修行をさせるつもりであることを知った。その修行が常世遺物を使いこなす為のものであること、そしてその修行の手伝いに名乗りを上げたのが卜部嵩であることもね」
「知った、って……このことはあたしのお世話係さんらとボスくらいしか知らん筈やで? 何でどこぞの部外者が勝手にそんなん知れんのん?」
「……天道ってのがマジで、かつあたしの考えが間違いじゃねーなら、こっちの事情が見透かされてても仕方ねえかも知れねえ」
「え? しょーちゃん、あの人のこと知ってんの?」
「博識だね。そういうところは他の除霊師たちも見習って欲しいなぁ。大先輩なんだけどな、僕」
天道はゆっくりと立ち上がり、パッパッと膝の辺りに着いた土を払った。そのあまりに『普通』な少年そのままの仕草に薄気味悪さすら覚えながら、晶穂はいつだったか読んだ民俗学の論文を思い出す。
「確か……奈良時代の対馬の僧侶だったと思う。太陽の化身として生まれて、当時の天皇の病を治しに遥々都へ空中浮遊していったとかの記録が残ってた筈だ。今でも対馬には天道教っつう宗教がある。
奈良時代って言えば、まだまだ仏教や道教が渾然としてた頃だ。陰陽寮が置かれるよりも更に昔から生きてる僧侶だっつうなら――永い時の中で、陰陽術やら宿曜道やらを習得しててもおかしくはない」
脳裏に、青樹涼の母親のことが思い浮かんだ。彼女は腕の立つ陰陽師であり、その占いの力は、晶穂を大怪我に追い込んだブードゥーの呪術師の足跡を追うことに大いに貢献している。より強力な術師であれば、未来視や千里眼に似た力を持っている可能性は十二分にある筈だ。
「いやいやしょーちゃん、じょーしきで考えーや。人間そうそう1400年も生きれるもんちゃうで? あとさぁ、うちらみたいなちっちゃい講の内輪話聴いてるとかちょっとキモない?」
そう言いつつ自らにおぶさってくる嵩に、晶穂はどう反応すべきか迷った。彼女の思惑は分かる。その祈祷師としての力を以て、そして直接晶穂に触れることで、こちらの傷を少しでも癒そうとしてくれているのだろう。しかしこの状況下でべたべたと引っ付かれたりキモいキモくないの話をされたりと、その言動はイマイチ緊張感に欠ける。どうにも気が抜けてしまいそうになる。
まだ試練とやらは終わりではないというのに。
「それとさぁ、そこの天丼さんが」
「天道だよ」
「何でしょーちゃんの修行にチョッカイかけてくんの? 折角、うちとしょーちゃんで楽しく山籠りするつもりやったのに」
「理由は二つ。一つ……卜部嵩、キミの予定していた生易しい修行では、雷瑚晶穂に二重思考を習得させるに至らなかっただろうから。っていうかキミの考えてた修行って、実質ただのキャンプ、いやグランピングだろ?」
「うちアイツ嫌いや」
頬を膨らませる嵩。恐らく図星なのだろう。晶穂は思わず苦笑いした。
「そしてもう一つ。どうしても雷瑚晶穂はここで二重思考を習得する必要があった」
「なんで」
「なんで……そうだな」
どうしてだと思う、と天道は晶穂を見て言った。まるで何かを試すかのように。その時、ふと――。
『そう遠くない未来、世は滅びますので』
――いつかの呪術師の言葉が晶穂の頭に過ぎった。
「……さあな。あたしにゃあ見当もつかん」
言葉にならない予感を、首を振って捨てる。天道は見透かしたように小さく笑った。
そして。
「閑話休題。本筋に戻ろうか、雷瑚晶穂」
天道がパチンと指を鳴らした直後、寂れた広場がグニャリと折れ曲がった。驚愕の声を漏らす間もなく、周囲の光景が再び塗り替えられていく。
「キミは二つ目のステージをクリアした。残るは三つ目――つまりは最後の試練だね」
天道がそう告げたのと、空が飴色に、大地が土塗りの橋に変貌したのは同時だった。橋の下は灰色の濁流で、しかし水の音は一切しない。そのくせ、パラパラという乾いた音がどこかから響いてくる。一瞬だけ視線を向けると、どうやら橋の外側では濁流から細かな石が次々と浮き上がっていて、それらが空のどこかに吸い込まれる度に音が鳴るようだ。
奇妙な世界だった。
「底の無い根の国の最果て」
ぽつりと、呟くように天道が言う。
「大地の無い海神の国」
彼は続ける。真っ黒な前髪で瞳を隠しながら。
「そして、覆いの無い常世の橋。試練とは本番の予行演習だ。ここまでの光景をよく覚えておくといい、雷瑚晶穂。いつかキミはこれらへ至るだろう。
……ま、すべては試練をクリアできたらの話だけどね。知ってるかな? 大抵のビデオゲームは、最後に近づけば近づくほど難易度が跳ね上がる」
これもそんなようなものだ――天道は柔らかく微笑み、次に自身の胸の前へと左手を持ち上げた。ややあって、その掌の上に――まさしく降って湧いたように――拳大の石ころが現出する。
「……しょーちゃん、気ぃ付けや。あれ常世遺物や」
警戒した声色で嵩が告げた。その言葉は恐らく正しい。何となく――そう、理屈ではない何かが晶穂の中で嵩を肯定している。
「勘弁して欲しいぜ……こっちはつい数十分前まで常世遺物なんざ眉唾物だと思ってたってのによ」
「あれ、しょーちゃん知らんのん? 宇苑くんがいつも持ってる太刀、あれも常世遺物やで」
「……え、マジで?」
目を遣ると、未だ背後から抱きついているままの嵩は、顔のすぐ傍でこくこくと頷いた。嘘や冗談では……なさそうだ。
「……畜生、変だとは思ってたんだ、刀身の無い刀なんてよ! 何が眉唾物だ、そこら辺にあるじゃねーか!」
「まぁどんなもんでもあるところにはあるもんやしねぇ。まぁそれはそれとしてや。しょーちゃん、いい?」
ふと、嵩の口調が不穏なものに切り替わった。晶穂は「何が?」と尋ねる。嵩はじっと前方を――つまりは天道を見据えている。
「決まってるやん。うちの妹分がこんなボッコボコにされたんやで? 達磨にしてやらな気ィ済まんわ」
嵩は本気の目をしていた。表情にこそ小さな笑みが浮かんでいたものの、その笑みは楽しさが故のものでは無い。もっと攻撃的な――威嚇に近いものと捉えるべきだろう。
心境は分からないでもない。自分が逆の立場だったなら。
だが。





