フォルスフッド - 第4話
「わ、私が普段、子供に近づくことはありません。朝は早いですし、夜だって終電帰りです。休みの日の買い出しだって、ここ二週間ほどは深夜に済ませたんです。それに万が一、子供に出会うことがあっても……そ、そうです。あの電車でも、小学校でも、子供たちが死んだという話は聞かない。ネットも新聞も読み漁りましたが、事故死の記事も病死の記事もありませんでした。それなら、アサミを祓わなければならない理由なんて、全然無いじゃあないですか」
「死人が出ないなら問題はないと?」
職業柄、磐鷲は自分の担当地域における事故死や不審死、病死などの情報を、すべて頭の中に叩き込んでいる。表沙汰にならないような話でも自然と耳に入ってくるよう、普段からネットワークの構築と維持にはかなり力を入れていた。故に、彼は知っている。中村の話に出てきた子供たち――電車の中で倒れた少年と、小学校の校庭で倒れた児童――が、数日後に回復し、今は元気に過ごしているということを。
だが、その事実を中村に伝える気は毛頭無い。
「事故のような……いや、犬や猫に噛まれるようなものじゃないですか。犬や猫が生きてるのは良くて、アサミがダメという理屈はおかしいじゃないですか」
「故に『祓わなくてもいい』と。私の口からその言葉が聞ければ満足ですか?」
「そ……そうです。専門家がそう判断を下したのなら、私はこれからもずっとアサミと――」
「違いますな。あなたの望みは『そこ』にはない」
ぴしゃりと言い放つ。中村は驚いたような、怯えたような顔で磐鷲を見つめた。
「確かに、あなたが欲しいのは保証だ。だが、それは決して『今後もその少女と暮らし続けても良い』という保証ではない。あなたが本当に欲しいもの。それは――」
言葉を放って、二本目の煙草の先を灰皿で押し潰した時、中村は大きな声を上げて立ち上がった。彼は叫んだのだ。
「違う!」
その顔は震えていた。真っ青だった。だが、そこにあったのは恐怖ではない。
怒りだ。
「違う! 違います、そんなことじゃない! わ、私は……!」
「いいや。違いませんな」
不愉快な男だ――内心、磐鷲は目の前の男にそう呟いていた。醜悪、とまでは言うまい。だが、不愉快だ。
「あなたが欲しいものは、『自分がその少女に襲われることはない』という保証ですよ。あなたが知りたかったのは、『自分が少女のターゲットとなりうるか否か』です。襲われた子供たちの生死なども、あなたにとってはどうでも良い。唯一の不安は己の身、それだけだ」
「どうしてそんなことがあなたに分かるんです! わ、私はそんな、そこまで卑劣な人間じゃあない!」
「あなたは当初、その少女が子供を襲うという情報を口にしなかった。何故か? 求めている解を得るにあたって、その情報は不要だと考えていたからだ。むしろ、邪魔ですらあった。あなたが求めていた情報は、生者と死者が共に居ることによる影響、或いは過去の事例だけだったから。子供を襲うなどと口にしてしまえば、誰に尋ねようが十中八九、『除霊すべき』と答えられるに決まっている」
「それは――!」
「ええ、仰りたいことはよく分かりますとも。私が告げているのは、すべて推論にしか過ぎない。妄想、憶測、当て推量……そう反論されても文句は言えませんな。
ですがね、中村さん。あんたが足を踏み入れている『ここ』は、そういう世界なんですよ」
磐鷲は真正面から中村を見据えた。灰皿から一筋の煙が立ち昇っている。
先程の煙草の火が、潰しきれていなかったらしい。
「世の中というのは不思議なものだ。幽霊の存在を信じているにも拘わらず、霊媒師や除霊師には猜疑の目を向ける――そういう人間がゴマンと居る。翻すと、俺達のような業種の人間というのは、ともすれば死者よりも信頼されていない。
だが、だからこそ――自らがともすれば死者よりも胡乱な存在であるからこそ、俺達は自らを、自らが見極めた真実と幻のラインを、唯一無二の羅針盤とする。あんたがどれだけ否定しようが、信じたくなかろうが、関係ない。この事務所を訪ねてきた以上、あんたには俺の判断に従ってもらう」
中村と磐鷲の間で、煙はゆらゆらと立ち昇り続けた。両者を分かつ境界を形作るかのように。
「では、答えよう。『あんたが少女のターゲットとなり得るか?』――否だ。滅多なことでも無い限り、あんたが襲われることは無い。だが、『今後もその少女と暮らし続けても良いか?』――これもまた、否だ。ああ、勘違いしかねんから断っておくが、これは『その少女が他者を襲う危険がある』からではない」
そこまで一息に言って、磐鷲は相手の反応を待つ。
中村は……困惑と混乱を足して二で割ったような表情で立ち尽くしている。こちらの言っていることの、意味が分からない――そんなところだろう。
「えっと……つ、つまり……?」
「つまり。あんたが今の自分を保っている限り、あんたがその少女に襲われることは無い。しかし、あんたに変化が訪れた場合は別だ。あんたもまた、少女のターゲットとなり得る」
「変化……?」
「ああ。例えば」
こんな風にだ、と告げて、磐鷲は懐から獲物を取り出した。中村の目が大きく見開かれる。
スミス&ウェッソン社製M&P――磐鷲の愛用する、専用の銃弾が込められた実銃だ。磐鷲は。
中村の腹部に向けて、迷わず引き金を引いた。
重音が、事務所にこだました。





