マリオネット - 第5話
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私は尊敬の念を禁じ得なかった。心の底から、眼前の除霊師に、その類稀なる力に、拍手を送った。
《第一の回答で、君は私の製造年月日を言い当てた。だが、足りない。生まれを答えると言うなら、『私という自我が生まれた日付』まで答えてくれなければ》
除霊師の両腕は、肩のところから綺麗さっぱり消え失せている。これまで私が説明しようとして――しかし、その度に彼女が遮ってきた、回答失敗のペナルティーによるものだ。
《第二の回答で、君は私のライフサイクルを語った。だが――》
「――第三フェーズ、人間の体で何をするか、まで答えて欲しかったとでも?」
私に被せて、彼女が言う。スツールの上に座ったまま、消えた両腕のことなど、意にも介していないように見える。
《ああ、そうだね。それでもいい》
「それ『でも』ね」
《ああ、『でも』さ。やはり分かっていたんだね? どんな答えだろうが、私に『正解』と告げる気が無いということを》
確かに、彼女は私の言動や、過去に巡り合ったのであろう様々な対霊経験から、私についての事実を次々と言い当てた。それは素晴らしいの一言に尽きる。だが、それら回答は決して、私という存在のすべてではない。製造年月日など最たる例だ。『どこで生まれたか』――彼女はそれを本の頁で例えたが、しかしそれは私が辿ってきた時間という帯の始点、起点でしかなく、帯全体から見ればその占有率は一割にも満たない。実に些細な事柄だ。
「正解を持っているのがあなただけで、『契約』を結ぶことにも一切の躊躇が無い……その時点で、あなたが何を考えてるかなんて察しがつくわ」
《にもかかわらず――それが徒労と終わることを知りながら、君は私の正体の一部を言い当ててきた。何故だい? 私には、それだけが分からない》
「良いようにあしらわれて弄ばれるのは嫌いなの。私は弄ぶ方が好きだから」
《高慢だねぇ。聡明だが負けず嫌いときたか。いやはや》
私は拍手を絶やさずに、ゆっくりと彼女に歩み寄っていく。相手は微動だにしない。次に何が起きるか、確実に理解しているだろうに。
《第三の回答を聞く前に、伝えておこうじゃないか。君という有能な除霊師への、私なりの敬意――手向けとして》
「伝える? 次の回答で、この空間における私の体が消え失せるということ? それはつまり、私の肉体はあなたに乗っ取られるということを指し示している――そんなガキでも思い当たるようなことを、この期に及んで言うつもりかしら?」
《歴史は繰り返す、というフレーズを聞いたことは?》
私が尋ねると、その時初めて、彼女は怪訝な表情を浮かべた。私は歩みながら続ける。
《陳腐だが、真実を端的に言い表す言葉だと思わないか? 多くの人間は、支配と革命、或いは戦争と平和といった時代の流れにおいて、この言葉を用いているようだが》
「何が言いたいの?」
《人間の体を奪った私が何をするか、さ。奇しくも君が可能性として口にした『悪意を振り巻く』というものは、かなり正解に近しかった。より厳密に言えば、私が行うのは些細で些末な破壊行為だ。結界や聖域の楔たるものに呪詛を織り交ぜ、聖なるものを侵食する。見つけたもの、手当たり次第さ。肉体に限界がやってくるまで、只管だよ》
私は彼女の目線に合わせるために中腰になりながら、告げる。
《すべては、降臨の為の準備なんだよ。……おっと、勘違いしないでくれ。私は子供用玩具に意思が宿っただけの、小さな小さな存在だ。大したことの出来る器じゃあない。人間の体だって、操れこそすれ、維持まではとても、ね》
人間というのは、つくづく複雑怪奇な存在だと思う。人形には、食事も、睡眠も、排泄も必要ないのだ。私はいつも彼らの体を奪ってはみるものの、結局のところ、自分の思うように動かすだけで精いっぱいで、メンテナンスにまで気を配る余裕はとても持てない。いつも自然とタイムリミットがやってくる。何度目かの試行で、私は人間の体の継続維持を諦めた。明らかに異様――破滅までの期間、周囲にそう思われないような振る舞いさえ徹底すれば、それでいい。
私という存在は、所詮、それだけのスケールでしかないのだ。
だが。
《あれは、我々とは違う》
私は恍惚の表情を浮かべていたと思う。崩れた顔でどこまで感情を露わに出来ていたか、あまり自信はないけれども。
《あれは、時代を崩すものだ。この狭まった世界を、もう一度プリミティブな時代へと逆行させるものだ》
「何の話?」
《この世に降り立つもの。いいかい、有能な除霊師の君。近い将来、君たちにとっても、我々にとっても異質な『もの』が、この世に降臨するだろう。それはどちらかと言えば我々に近い属性を持ち――故に、君たちにとっては絶望的ともいえる破壊をもたらす》
除霊師は私を真正面から見つめていた。嘘か誠か、妄想か予見か――彼女なりに見定めようとしているのだろう。私はすっかり彼女を気に入っていた。だから、多少饒舌になっても構わないと踏んだ。
どうせこの勝負は、終わったも同然なのだから。
《つまり――私はお膳立てをしているのさ。やがて『降り立つもの』への、ささやかで、しかし確実に影響を及ぼすお膳立て。きっと、似たようなことをしているものは他にもいるだろうね。私のような小さなものでさえ、降臨の予兆に気付いたんだから》
「仮に、その良くわからないものが本当に降臨したとして」
《降臨したとして?》
「あなたが得られるものは何?」
《浪漫、とでも言おうか? 或いは、希望――世界が覆る瞬間の目撃者となり、この小さなライフスタイルから解き放たれるかもしれないという――》
――除霊師が、小さく笑った。実に可笑しそうに。何がそんなに可笑しかったのだろう――いや、浪漫を語る者が笑われることも、世の常と言うべきか?
「おめでたい頭の造りしてるのね」
今度は、明確な嘲り。流石に私もムッとして、彼女に真意を尋ねる。何がそこまで――。
「だって、もしあなたの言う通り、何か得体の知れないものが世の中をひっくり返して、世界が原始的な時代に逆行するとしたら」
《したら?》
「あなたみたいな雑魚、あっという間に他に食べられて終わっちゃうじゃない。原始的な世界には、弱者の居場所なんて無いのよ?
自分だけは生きていられると思い込んでるそのお粗末な想像力が、もう滑稽で滑稽で」
私は彼女の首を強く掴んだ。意識の支配する空間とは言え、ベースはあくまで現実のそれだ。首を絞められれば苦しい――その常識は、意識のみの存在である彼女に、十分な苦しみをもたらす。
《その雑魚に、君は負けたんだよ》
「もう一つ。歴史が繰り返すとするならば、あなたの言う通り『何か』が降臨して世界が破滅したとしても、いずれそれは駆逐され、元の時代が返ってくることになるわ。なんていうか、逐一、言葉のチョイスにセンスが無いわよね」
《……そうか。なら、お喋りの時間はここまでとしよう》
私は失望していた。心の底から、眼前の除霊師に、その程度の低い高慢さに、虚無感を禁じえなかった。
《最後の回答を聞くよ。勿論、私がそれを聞いて『正解』と告げることは無いが》
言いなさい、と私は言った。彼女の首を締め上げながら。
「アメデオ」
彼女は不思議な言葉を告げた。首を締め上げられながら。……だが、私にはそれが何を示す言葉なのか――彼女が何を言いたいのか、その意図を測りかねた。
故に、尋ねる。除霊師の真意を。
《……いま、何を?》
「あら、覚えてないの?」
秋の夜に浮かぶ、欠けた月――彼女の顔に浮かんだ笑みを見て、私はそんなものを連想した。美しく、趣があり、しかし、うっすらと忍び寄ってくる寒さを内包している……そんな微笑み。
「あなたの名前でしょ? これが私の、最後の回答」
《ハズレだ。さようなら、坂田雨月》
告げた途端、持ち上げていた彼女の体躯は、一瞬で闇に溶けた。





