第7章 『月神祭り』
三月になっていた。
月野町でも梅の花が見ごろを迎えていた。
鳥野勇樹と月野町商店街が創り上げた祭り、「月神祭り」がいよいよ始まろうとしていた。
一月と二月、二回の満月の夜には、月神祭りのハイライトである「月神獣退治」の予行練習をおこない、準備は万端整った。
そして、三月の満月の日がやってきた。役場の職員を招いてのデモンストレーションに、月野町商店街の人々は気合が入っていた。
月神祭りは三日にわたって行われる。
一日目は、防人ノ儀の前に、占いで今年、元服する少年を選ぶ、「元服ノ儀」。
二日目は、月宮神社への刀剣類を運び、祈祷してもらう、「太刀参り」。
いかにも古来より続いているかのようなネーミングをつけられた祭事を粛々と進めていき、役場の職員たちは、勇樹から説明を聞きながら、PRビデオを作成するためにカメラを回していた。
そして、三日目の「防人ノ儀」を迎えた。
昼ごろ……。
自治会集会所の前に、月神人の面々が集まっていた。皆、先祖より伝わる鎧甲を身につけていた。それは、実際に防人ノ儀で使用されて、能力を与えられていたものであるが、なかには古くなってそれを持たない者もいたから、加藤骨董店で用意してもらった。
「これまでは、このような目立つ格好はしてこなかったんですが」
と勇樹は役場の広報課の職員に説明する。町興しの祭りとするからには、ある程度の演出も必要です、と解説するのも、もう何度目だろうか。
勇樹は、今回、祭りに直接参加せず、役場へ説明をする役を買って出ていた。頭の中には、これまで積み重ねてきた経緯や作り上げてきた行事のすべてが入っていて、プレゼンテーションするのに他に適任はいないとの判断だった。嘘八百を並べていることに心が痛まないこともないが、そこは演技して乗り切らなければ明日の生活がないのだと自らに言い聞かせた……。他の月神人の面々も多かれ少なかれ同じ気持ちだ。役場をかつぐことになんともいえない気まずさを持つまじめな者や、あるいは逆に少年のようないたずら心を刺激されてくすぐったいような含み笑いを内心かかえている者もいた。
それら、それぞれの思いを胸に、いよいよ迎えた三日目――。
これから始まるのは、昨日、月宮神社に運び、祈祷してもらった刀剣を受け取りに行くという、太刀戻り、と名付けられた行事だ。
一晩、護摩を焚いてもらって、念入りな祈祷をおこなってもらったのも、満月とともに現れる月神獣がそれほどまでに禍々しく強力な妖怪であるということの証でもあった。
「これまでトラックを使っていましたが」
と、またも勇樹は解説する。
「古式に則り、徒歩でまいります」
うなずく役場の職員。手間暇かけて構築した嘘を信じこんでいる様子である。真実はもっとすごいものなのであるが、それを言えずにいるのが心苦しいと同時に、バレないだろうかと、三月の肌寒さにもかかわらず汗が背中を伝った。
全員が隊列をなし、和太鼓の合図で歩き始める。その数は二十名。ゆっくりと、月宮神社まで約二・五キロの道のりである。
月野町広報課のビデオがそれを追う。
ゆっくりとした足取りだった。
月宮神社もすべての事実を知っていたが、月神人と密約によりこれまで決して口外することはなかった。そして今回、町興しをするということで、全面的に協力をしてもらうこととなった。この祭りが、逆に事実を隠すカムフラージュになるし、なにより祭りによる相乗効果で神社への参拝客が増えれば、互いに利益を得ると神社側も大いに乗り気だった。その際の多少の嘘は演出の範囲であると、少しも気にしなかった。
まだまだ田植えの季節は遠く、単なる殺風景な空き地のような田んぼを突っ切る道路を進む鎧姿の男たち。
祭りのことをまだよく知らない月野町商店街以外の町の人々は、何事かと通り過ぎていく行列に視線を送る。
約一時間を要し、月宮神社に到着した。
山の中腹にある神社まで石段を登ってゆく。
鳥居をくぐって境内に入ると、社殿の前で狩衣に烏帽子の神主が待ちかまえていた。事前に打ち合わせしたとおりである。
全員が整列すると、太鼓の合図で、神主は巫女からお祓いをした槍を受け取った。
これまでの防人ノ儀で実際に使用された武器はさまざまなものがあった。槍をはじめ、日本刀や長刀……。しかし公開するとなると、銃刀法違反になりかねないので、先端の刃を模造品にした槍を用いることにした。祭りもそれに合わせて構成した。
神主はひとりひとりに槍を手渡すと、大袈裟に大幣を振った。
頭を下げて、うやうやしくそれを受ける。
その間にも勇樹は担当の職員にあれこれと解説をした。なにしろ自分で作り上げたものなので、立て板に水のように詰まることなく用意した台詞を吐けた。職員に疑う余地はない。
儀式はつつがなく終了し、全員がそろってお払いを受けると、月神人の代表が丁寧に礼を述べ、静かに回れ右して境内を後にする。
そして帰路も列をなしてゆっくりとした歩みで練り歩く。
しかし槍を持っただけで鎧武者は様になった。見栄えがする。彼らを追って撮影する役場の職員も大変だろう。だがすべてを記録して残しておかなければならない。町の将来のために。
隊列が商店街の自治会集会所へ戻るには、まだ一時間以上を要する。沿道に、通りかかった町の人々が物珍しそうにケータイカメラを向けたりするなか、進む列はあくまで厳かだった。
『月野町大祭 月神祭り「防人ノ儀」について』
そういうチラシが回覧板を通じて舞い込んできたのは、二月の下旬のことだった。
近辺の交通整理等を実施する旨、ご協力をとの注意書きの他、祭りのハイライト、「月神獣退治」の見物の案内が書かれていた。
回覧板のお知らせなど、普段なら自分には関係のないことと、まったく取り合わない坂本だったが、夕食の際、家族がその話題に触れたのでピンと反応した。
祭りといえば、夏と秋に月宮神社でおこなわれる昔からの地味な祭りぐらいしか、この小さな田舎町にはなかった。そこへ、だれも知らなかった秘密の祭りが公開されるとあって、娯楽の少ない町ゆえ、物珍しさを多少なりともかき立てた。
配られたチラシをしげしげと読んだ。そして、ははん、と思う。数ヶ月前に一度捕まえた、あの奇妙な動物のことが、頭のなかで直結した。
あれからしばらくはその話題に触れなかった坂本だったが、このままではおけない、という思いが甦った瞬間だった。
――あの生き物の正体がわかるかもしれない。
と思った。
思い返せば、屈辱だった。
捕まえたあの生き物に逃げられた、という思いと、あの少年たちにしてやられたという逆恨みの気持ちが育ってきて、復讐心がふつふつと湧いてきた。
坂本は、思い通りにならないのは許せない性分で、なおかつ執念深かった。このままでおくものか、という気持ちが心の底でくすぶっていたものの、どうにもならず、ほかのことで憂さを晴らしていたが、そんなことでは気が収まらない。
そこへ、祭りの案内が舞い込んできたわけである。
これはチャンスだと、どす黒い感情が渦巻いた。
そして、当日――。
月神祭りの最終日である。
坂本にとって因縁のある月読山が会場だ。
――ここで間違いなくすべてを明らかにした上で、あの少年とあの化け物をたたきのめしてやる。
強い思いだった。
祭りのイベントである「月神獣退治」は夜におこなわれるから、昼間はまだ準備をしている最中だろう。夜の祭りの最中は暗いし人手が多いだろうから、むずかしいと判断した。やるなら、今だ。
祭りをぶちこわしにするのも、スカッとしそうだとニヤリとした。
坂本は出かけた。
目的は、航聖を締め上げて真相を知ることだった。祭りにあのUMA(未確認生物)が登場する、とはチラシには書いていない。どういうことなのか――。自分には知る権利があると思う坂本だった。
一人で自転車を走らせた。だれも誘わなかった。獣を逃がすという失態を演じてしまったということもあり、雁首並べてぞろぞろと出向くのも仲間に事情を説明するのも、安っぽいプライドが許さなかった。
地図にある商店街へ来た。普段の買い物でもあまり近寄らない場所だ。買い物なら、バスに一時間乗ってでも、離れたショッピングセンターへ行く。
昔からある古くさい佇まいの商店街は、姑息に飾り立てられても、なにかの祭りで賑やかになるとは思えないほどだった。商店街の道路にわたしてある万国旗がダサかった。
さて――。
まだ人もまばらな商店街から、月読山のほうへと移動する。草が短く刈られたなだらかな斜面が頂上まで続いている。夏、雑草が生え放題だった同じ場所とは思えないほどである。
「月神獣退治」がおこなわれるのは、この頂上だという。頂上にはステージが組まれているのが遠目でもわかり、どうやらそこが会場のようである。
月神獣……。
――あのとき捕まえたあの獣が、今夜登場するのだろう。
――あれはUMAだ。間違いない。おれが見つけたあいつを大人たちが横取りして見せ物にしようとしている。
なんとしても取り戻さなければならないと思った。チラシを片手に頂上まで登ってみた。夜八時に始まるため、昼間のこの時間では見物客は一人も来ていない。
鋭い眼光で、にらむように視線を走らせる。どこかにあの獣が隠れているのではないかと思って。
だが見つかるはずもない。シロは、今、月読郷にいた。しめ縄をつけられた古びた小さな石の祠があるが、霊感など感じない坂本には、オーラが見えることもなかった。なにか手がかりになるようなものはないかと探したが、そんなわかりやすい目印があるわけもない。
まったく成果なくそこをあとにして、今度は以前、秘密基地のあった場所へと移動した。
山の北側へ回り込んだところは、夏に来たときのままで、秘密基地は残骸が撤去されずにそこにあった。
――あいつらはもうここで遊んでいないんだな。
ここは、いわば、大人たちから隔たれた場所だ。となると、UMAはあの少年たちの手を離れ、やはり大人たちに組み入れられた公算が高いと坂本は判断した。
あの少年がUMAを発見したが、それを見た大人たちが横取りし、祭りのときに公開しようという腹なのだと坂本は推理した。これまで非公開だった祭りを急に公開する理由はそれしかない、と。こんなことになるのなら、あのとき、無理に追いかけてでも捕まえるべきだったと後悔した。
祭り会場へ戻ってみると、あの少年――航聖がいるのを見つけた。
きっといつか出てくるだろうとの予想が的中して、坂本の目はぎらりと光った。
ダッシュした。得意の瞬発力を発揮し、坂を下る勢いもあって一瞬で航聖に迫った。
航聖に気づかれたときには、すでに襟首をつかんでいた。そのまま押し倒した。
「探したぜ、この野郎」
航聖の目が驚きに見開かれる。
「なんだよ?」
「なんだよじゃねえ。聞きてぇことがあるんだ」
獲物を捕らえた猛獣の目をしていた。馬乗りになって威圧して、こちらが優勢であると思い知らせて尋問するやり方である。
「あの化け物をどこへやった?」
「知らないよ」
航聖はこたえた。
「知らないはずはないだろうが。この祭りと関係あるんだろ? あれは、いったいなんだ? ケータイで写真を撮ってあるんだ。こいつをネットにアップされたくなかったら、本当のことを言え!」
ケータイを取り出した。画面には、半年ほど前の、今よりずっと小さいシロが写っていた。
「神様の使いだなんて言うんじゃないだろうな。あれはUMAなんだろ? どこへ隠した」
――そいつを痛めつけて、今度こそ手に入れてやる。
そしてそれを発見した名声を手に入れてやると意気込んだ。今度こそ捕まえて、首に縄をかけてやる。
そのとき、振り上げた坂本の拳に電撃が走った。
「うっ!」
驚いて、痛みの走った右手を見る。
と、今度は左手に持っていたケータイが弾け飛んだ。草の上に落ちたケータイは真っ二つに割れていた。
坂本はなにが起こったのかわからない。
激怒して、航聖に向かって、
「おまえ、なにをした!」
と怒鳴った。
しかし航聖には身に覚えがない。
「うわっ」
坂本の体が後ろへ吹っ飛んだ。
起き上がった視界に、舞台を作るときに余った角材が猛烈な勢いで飛んできた。ハッと息をのむ間もなく、角材は坂本の頬をかすめて後方へ抜け、地面に落下したと同時に縦に裂けて弾けた。あと数センチすれていたら、頭を砕かれていたところである。
航聖は立ち上がる。と、航聖の体が宙に浮いた。高いところから坂本に向かって降りてきた。バチバチとその体から放電する。
「ひいっ!」
坂本は、壊されたケータイを残して山の斜面を転がるように這々の体で逃げ出した。後ろを振り返ることなく一目散に、何度も転びながら山を下りていった。そのあわてぶりは尋常ではなかった。
一方、航聖はなにが起きたのかと驚いていた。
が、すぐにわかった。
「おねえちゃん!」
理沙がこちらに向かって悠然と歩いてきていた。今のはすべて、理沙の能力によるものだったのだ。
「航聖、平気だった?」
ふう、と息を吐いて額の汗をぬぐい、理沙は声をかけた。満月の力を借りずに能力を目一杯使ったせいで、体力を消耗していた。
「うん、ありがとう」
「あれは坂本ね……」
顔をしかめた。同級生だったから、理沙はその素行はよく知っていた。
「ここまで懲らしめたら、もうここにも近づかないと思うわ」
「おねえちゃん、すごい」
航聖は素直に感心した。
「みんなには、ナイショよ……」
せっかく覚醒した能力をやっと制御できるようになってきたが、もう防人ノ儀で月神獣を倒すために使うことはなくなってしまった。ここまで強力な能力は必要ない。以前なら自分のこの力を憂いていただろう。しかし今の理沙はもう折り合いがついていた。戦いが終わる――そのことで、ずいぶんと肩の荷が下りた思いだった。
「で、なんでここにいたの?」
理沙は話題をかえた。
「シロと少し話をしようと思って……」
シロは月読郷にいたが、祠のすぐそばにいたから、祠を通して会話ができた。
「そっか……。時間に気をつけてなよ。祭りが始まっちゃうんだから」
「うん、わかった」
斜面を登っていく航聖を見送りながら、理沙は用事を思い出した。
「あ、いけない。集会所へ行かないと。みんな帰ってきちゃう」
あわてて走りだした。
§
ふう……。
重い鎧をつけての行進は、さすがにきつい。
自治会集会所で、月宮神社から祈祷してもらった武具を受け取る「太刀戻り」から帰ってきた月神人たちは、休憩をしていた。
月宮神社までは、常識ではクルマを使う距離である。そこを練り歩く、それも重い鎧をつけて。さらに祭りを見る町の人の目にもさらされて、体力的にも精神的にも、休憩が必要だった。
兜を脱いで汗をぬぐう。三月は肌寒いとはいえ、今日は晴天にめぐまれ、日差しが暑いほどだった。
集会所の畳の座敷で足を投げ出し、用意されていたペットボトルのお茶を飲み干す。
話し合いによって決められた行事とはいうものの、いざやってみると疲れることばかりである。しかし、それもこれも今日が山場である。あとひと踏ん張りというところだ。これが成功するかどうかでこの月野町の、この月野町商店街の将来が決まるというものなのだから、真剣にならざるを得ない。
そこへ、おやつを持って商店街の女性陣が現れた。和菓子屋の協力の下、まんじゅうが配られる。
ひとりひとりに手渡されていく。理沙も手伝っていた。
すわりこんでいた大伊豆星司のもとへまんじゅうを持って行き、お疲れ様、と手渡す。
「ありがとう」
往復二時間も歩いていては、さすがに腹もすく。大伊豆はまんじゅうにかぶりついた。
「うちのお父さんが大変なことをさせてしまって」
大伊豆の側に腰を下ろすと、理沙は少し申し訳なさそうな顔をした。
大伊豆はまんじゅうをお茶といっしょに飲み込んで、
「でも、楽しいよ。文化祭みたいで」
笑顔でこたえた。
「いや、文化祭より楽しいかも。文化祭で芝居、やったでしょ?」
うん、とうなずく理沙。あまり思い出したくない出来事ではあったが。能力が暴走して、京一郎のクラスの演劇を台無しにしてしまったが、今となっては、遠い思い出だった。
「あのときは体育館にいた生徒だけのための演技だったけれども、こっちのほうは、日本中の人を相手に演じてるんだぜ」
役場の職員がビデオで撮影していて、それがPRムービーとして、ネットをはじめ、ローカルテレビ局などいろんなメディアで展開されることはすでに聞き及んでいた。
「映画みたいでさ。考えてみたら、ぼくはその主役なんだよな……」
しみじみと、つぶやくように。
「クラスの友だち――千景や真由美も来てくれるって言ってたし」
学校でも祭りの話をしていた。刺激の少ない田舎町ということもあって、興味をもってくれるクラスメイトも何人かいた。大伊豆と理沙が話をすることは、あいかわらずなかったが。
「ありもしない祭りを作り上げて、いわば、虚構を見せているわけなんだから――」
もう一つまんじゅうをほおばって、大伊豆は理沙を見る。
「きみのお父さんは、ほんとに大胆だよな。偉そうに言うわけじゃないけど、今までだれもなしえなかったことをやってのけようとするんだから。いってみれば、この「映画」の監督兼プロデューサーとでもいうべきか……」
父親を褒められて、理沙ははにかんだ。
「わたしが言うのもなんだけど、今度のことで、わたしも心から父を尊敬……というか、誇れると思うんだ」
「ぼくも商店街の男として生まれて、きっと将来は月神人となって月神獣と闘うんだろうなぁ、なんて漠然と思ってて、でも一方で、こんな小さな商店街がこの先も続けていけるのだろうかという不安もあったんだ……。今の大人たちも、それは感じていたんだと思うけど、なにをしたらいいか決められなかったし、目の前にある毎月の戦いに勝つことだけしか考えられなかったんだと思う。たぶん、ぼくも大人になったらそうなってた」
「わたしも……」
理沙は苦笑した。
「ぼくらの住むこの町で、なにかが変わるなんて、思ってなかったもの」
防人ノ儀のことを知らない一般の町の人たちにとってみれば、なんの特徴もない町が変わる、自分たちの力で変えられる、などという発想は皆無だろう。町長や町会議員でさえも、なにをやったらいいか見当もつかない。防人ノ儀を知っている月野町商店街の人たちでも、それを町の発展に利用するなんて大それた事だと議題にもあがらない。しかし、不可能だと思えることをやってのけようとしている。なんだか夢でも見ているようでもある。
大伊豆はまんじゅうの残ったカケラを口に放り込み、
「ごちそうさん。ありがと」
ぱんぱん、と手をはらう。
「ここで夜まで待つんだよね」
「そう、鎧姿でうろうろしたくないからね。一度脱いだら、着るのがまた面倒だし。夜までの間、確認のための打ち合わせをしたりする予定なんだ。本番で不様ところは見せられないからね」
「わきで見させてもらうわ。来年はうちの航聖がやるから」
「そうだったね。しっかりしたお手本を見せないとね」
「がんばってね、せいちゃん」
理沙は以前の呼び名を使った。幼い頃はそう呼んでいたのに、いつしか……そう、学校へ通う頃には、他のクラスメイトとかの目もあって親しくはしなくなっていた。だが、今まで他人行儀でいたけれども、そうではない近所づきあいの意味を込めて、「せいちゃん」と呼んだ。
「その呼び名、久しぶりだね」
大伊豆は覚えていた。懐かしさとともに、なんだか照れくさい感覚が胸にこみ上げてきた。
じゃあ、と言って立ち去ろうとする理沙に向かって、右手の親指を立てた。
「任せてよ、りぃちゃん」
そこへ勇樹が入ってきた。
「えー、みなさん、お疲れ様でした」
座敷にすわりこんで休憩している全員に向かって丁寧に頭を下げる。
「もう少し休憩していただき、それからこれからの段取りの最終確認をおこないます。防人ノ儀の「元服の儀式」と「月神獣退治」について、です。みなさん、今夜でおしまいですので、ご協力をお願いします」
おう、と威勢のよい返事があがった。疲れていたが月神人もやる気満々だった。
いよいよ、祭りのクライマックスへのカウントダウンが始まった。
春の日差しが優しく暖かかったが、太陽が傾いてくると冬が戻ってきたように気温が下がってきた。風も出て、空気が冷える。
月野町商店街のすぐ裏手にある標高五〇メートルばかりの小山――月読山。三日におよぶ祭りの最終日、クライマックスはこの山の頂上でおこなわれる。
自治体の協力により、町の人々に配布してもらったチラシには、ここで祭りが開催される旨が記されていた。
「八時から勇壮な祭りがおこなわれます。観覧ご希望の方は……」
町がつくるPRビデオに観客の姿がないとなるといささか迫力にかけるからと、いわばサクラを募ったのである。もちろん、町の人々であっても純然たる観客にはちがいないのだが。
商店街のすぐ近くに臨時に設けられた駐車場には、徐々にクルマが集まり始めていた。町が雇った警備員が誘導灯をかざして交通整理する。今日は一箇所だけであるが、来年の防人ノ儀の際には、県外からの見物客も見込んで何箇所も臨時駐車場を用意する予定だった。
もともと商店街の衰退を食い止めるための町興しであるから、祭りを利用して客を呼び込もうと、商店街もいつもより遅くまで営業しており、飾りつけ(万国旗やモールであるというのが昭和っぽかったが)も賑やかだった。いらっしゃいの掛け声も普段より威勢がよい。
一方、肝心の「防人ノ儀」も、準備は万端に整えられていた。
山頂までの斜面に生えた雑草はきれいに刈り取られ、鳥が落とした種が発芽して勝手に成長した雑多な木々も切り倒されて、大勢の人が見物しやすく整備されていた。
頂上の広場には、まだ日暮れ前にもかかわらずかがり火が焚かれ、これまではなかった祭り用の舞台が組み立てられていた。
ステージ上には幕も張られ、いかにも神事であるといった趣がかもし出されていた。
演出はとことん細部まで配慮され、関わる商店街の人々からは、映画の撮影のようだという感想があがるほど。
「防人ノ儀の見物はこちらです。ゆっくりおすすみください」
山の中ほどに設置されたスピーカーで登ってくる見物客への呼びかけは、道具店の主人が務めていた。普段、防人ノ儀に関わるとき、月神人が使う武具をそろえたり、能力を込めたりする。リハーサルをしていたせいで、うまくしゃべっていた。
その声にさそわれるかのように見物客が山へ登っていく。
黒黄のロープを張った内側は、月神人が登るルートとなっている。
太陽が西に沈み、それと呼応するように、東の山陰から月が顔を出し始めた。夕日のように赤く大きな満月が。
山頂までの斜面に設置された、観客のための大型ライトが点灯される。レンタルしてきた仮設のトイレもずらりと並び、十分な数が確保されていた。これも町役場と打ち合わせをしてきてこそ設置することができた。
ここまでくると、もはや祭りというよりイベントだった。
食べ物を売る屋台も出ていた。これも商店街で用意したものである。たこ焼きや焼きそばなど、祭りには欠かせないアイテムであるが、ほんの数軒だけだったから、来年にはもっと大がかりにしたいところだった。
時間がすぎてきて、月は次第に天空高く昇ってきていた。冷たい光を大地に降り注ぐ満月は、赤から黄色に変わっていた。時刻は間もなく八時である。いよいよ防人ノ儀の始まる時刻だ。
観客も、今か今かと寒さに耐えつつそのときを待っていた。
「始めてくれ!」
と、防人ノ儀の進行役、酒屋が号令を送った。
和太鼓を一発、ドンと打ち鳴らすのは、散髪屋である。
ドンドンドンドン――。
と、リズミカルな音を響かせて。練習の通りにバチをふるう。
「すすめーえ!」
鎧甲を着た月神人たちが月読山に登り始める。手に手に槍を携えて。
大人たちのあとにしたがって、最後尾に大伊豆星司がいた。槍は持たず、腰に剣を佩いていた。
見物客の間――ロープを張った内側を、列になって歩いていく。その姿は古来の武者そのものであり、実に見応えがあった。皆、緊張からか、一様に表情が硬い。
カメラのフラッシュがあちこちでたかれ、リハーサルとはちがう独特の雰囲気がへんなプレッシャーとなって、本番に望む月神人たちの表情をこわばらせていた。
山頂まで登っていく。春とはいえまだ寒く、息が白い。
太鼓の音は、山頂に至るまで続いていた。
役場のカメラも、寒さにめげず、ずっとその様子を捉えていた。
ようやく一行が山頂へとたどり着いた。
満月は天空から見下ろす目玉のように輝いている。
酒屋が指示を出し、太鼓の音がやんだ。
いよいよである。
ここまでは、なんとか壮麗な祭りとして成立させてはいるかもしれないが、さりとて、ここにしかない、月野町独特の謂われがあるわけではない(そもそもすべてがでっちあげである)から、全国に知られる話題性としては、まだ足りない。
本番はここからである。
月野町商店街の全員が、心臓の鼓動を黙殺しつつ、イリュージョンの出現を持った。
ステージの下で向かい合って並ぶ月神人。中央にできた道をすすむのは、今回、元服する若者として選ばれた大伊豆星司である。
大伊豆はゆっくりと階に足をかけて、高さ一メートルほどのステージへと上がっていく。
鞘から剣を抜いた。
模造とはいえ、ギラギラとした刃が月明かりと揺れるかがり火に照らされて妖しく光った。
「今宵、来るは月神人なりー!」
大伊豆は叫ぶと、剣を満月に向かって突き上げた。
「我、月神人の先陣として月神獣と闘う者。月神獣、現るなら現れよー!」
それを合図とするように、ステージの向こうにある祠の上空に、なにか白い、靄のようなものが立ちこめた。
始まった!
「頼むぞ、シロ。無事に成功してくれよ」
リハーサルで、十分に練習した。それでも勇樹は両手の指を組み合わせ、祈った。
揺れ動くかがり火に呼応するかのように、靄は大きく揺れ、それはなにかの形を取り始めた。
シロたちが祠の向こう側――月読郷から操作しているのであるが、もちろん観客は知るよしもない。
一瞬、四足獣の形を取った。月神獣の出現である。
まさかそんなものが出てくるとは思っていなかった見物客のなかから、おお、というどよめきがおきた。
「やあやあ、我こそは、月神人の末裔である。我が里を乱す月神獣よ、成敗いたす!」
大伊豆が言うと、舞台の下にいた大人の月神人たちが、ステージへと上がっていく。
全員が上がった。
再び太鼓が鳴らされる。
ドン、ドン、ドドドン、と戦闘シーンのリズムで。
大伊豆が剣を振るう。
大人たちが槍で突く。
大きく広がった靄が、彼らに迫ってくる。
かと思うと、剣と槍の攻撃で、引っ込んでいく。月神人としての能力が、その霧に作用した。
見事なコンビネーションである。練習どおりだった。
靄の形がダイナミックに変わるたびに、観客から驚きの声。
変幻自在の靄は、ときには月神獣の形をとったが、次第に勢力が衰えていく。
「ええーい、これでとどめだ」
大伊豆が叫ぶと、槍がいっせいに放たれた。
そして、靄が消えた。
それと同時に、かがり火がさっと消された。
「月神獣は去ったぞ。勝ち鬨をあげよ!」
えいえい、おー!
全員が声をそろえて拳を突き上げた。
それは、演技ではなく、無事にイリュージョンが成功したことを喜ぶ心からの雄叫びでもあった。
拍手が鳴りやまなかった。
一人一人がそれをかみしめながらステージを下りていく。役目を終えて山を下っていく月神人が拍手で送られていく。手をあげてそれに応える。
勇樹は観客の反応が思ったよりもずっと良かったのでホッとしていた。
「すごいですね……。本当に闘っているみたいでした」
役場の職員が興奮しながら感想をもらした。
「どういう仕掛けなんですか?」
「ご神体の鏡やかがり火の効果ですよ。イリュージョンの正体なんて、ただの手品みたいなものです」
勇樹はとぼけた。内心、アカンベーをしていた。それよりも、うまくいったことがなによりうれしかった。本当は叫び出したいほど気持ちが高ぶっていたのだが、それを隠して平静を装い、
「でも、これで祭りの日だけでなく、ここをパワースポットとしてPRできるでしょう?」
そこまで考えていた。町興しの目的は、商店街経済の活性化なのだから、祭りのときだけ賑やかになっても効果は限定的である。そこで、通年でなにか集客は見込めないだろうかと考えた末が、パワースポットという案だった。
祭りで出現したイリュージョンは、年に一度の満月の夜だけに現れるとなれば、その話は神秘的な意味が付随されて人を引きつけるものを持たせられるだろうと勇樹は目論んだ。パワースポットなら、通年で観光客を呼べる。もちろん、どう宣伝するかであるが、それは町役場と十分に協議を重ねていくことになるだろう。
「素晴らしい。こんないいコンテンツなら町興しは成功ですよ」
若い職員はうなずいた。
町の活性化を望む自治体としても、ぜひこれを利用したいと利害は一致していた。
「さっそく、明日から、月神祭りのPR会議を始めます」
「協力しますよ」
勇樹は微笑んだ。
ぞろぞろと帰っていく見物客に混じって、職員も帰っていく。
役目を終えた舞台を見つめ、後片付けが大変だな、と思いつつ、勇樹もきびすを返した。
まだ祭りの余韻で賑やかな商店街まで下りていくと、家の前で勇樹の家族が待っていてくれていた。
勇樹は驚いた。この寒いのに、家に入っていればいいのに、と思った。
「おかえりなさい」
妻の直美が言った。
「おかえり」
と息子の航聖と娘の理沙。
「やったね。大成功だよ」
航聖が満面の笑顔を見せる。
「感動したわ。お父さんは、腕利きのプロデューサーよ」
理沙がこんなにも褒めるのも珍しい。
が、それだけの仕事を成し遂げたのだ。それに対して家族が敬意を払って玄関前で待ってくれていたのだった。
「ありがとう」
勇樹はVサインをつくった。そして、
「さ、寒いから中へ入ろう」
家族の肩を抱きながら、いっしょに家へと入っていった。